15日16日と、後輩の結婚式で、沖縄に行ってきました。親族の方に挨拶したら、「あなたを見たことがあります」と言われました。「テレビででしょ」と答えたら、「そうだ!」と思いだしてもらいました(苦笑)。
会場は、きれいな浜辺に建つ豪華なリゾートホテル。かつ三連休なので、子供連れの親子やおじいちゃん夫婦を加えた三世代の家族連れでいっぱいでした。
当方は、主賓の挨拶をしなければならないので、濃紺のスーツにネクタイ姿です。結婚式場や披露宴会場ではよいのですが、ロビーや廊下では場違いなこと、この上なしでした(笑い)。
もちろんプールや海水浴場もあるのですが、革靴では行けないし、酔っ払っておぼれたら新聞に載るので、やめておきました。そんな時間は、ありませんでしたが。
飛行機の中やホテルでの夜など、本を読む時間はとれました。邪魔は入らない、他にすることもない。専念できますね。そう思って、少し「重たい本」を持って行って、正解でした。
本を読みながら、「次回、このホテルに休暇で来たら、何をするのだろうか」と悩みました。「リゾートホテルで、ゆっくりと何もせずに過ごす」というのは、今の私の辞書にはなさそうです。貧乏性なのでしょう。
退職したら、キョーコさんと海外旅行に行こうと、約束しているのですが。熟年のおじさん一人ではどうしようもありませんが、夫婦だとそれなりに過ごすことができるのでしょうか。
月別アーカイブ: 2012年7月
会話と対話と論戦と・その2
平田オリザさんのインタビューの続きです。
「日本政治に足りないと言われてきたのは、『対話』ではなく、『討論』『論戦』だったのでは?」という問いに対して。
・・対話とディベート(討論)は、どこが違うか。ディベートは、自分の価値観と論理によって相手を説得し、勝つことが最終目標になる。負けた方は全面的に変わらないといけない、勝った方は変わる必要がありません。しかし対話は、勝ち負けではありません。価値観をすりあわせることによってお互いが変わり、新しい第三の価値観とでも呼ぶべきものをつくりあげることが目標になります・・
「日本の国会で繰り広げられているのは、討論でもないように思います」という問いには。
・・そう、討論でもない
・・言葉から受け取るメッセージは人それぞれで、あいまいさが残る。そこをきちんと詰めて文脈をはっきりさせるのが、野党やジャーナリズムの責任です。しかし日本では自民党政権があまりにも長く続いてきたため、野党やジャーナリズムの政権攻撃は、あいまいさを詰めるというよりは、政権がやろうとしていることそのものを否定するというやり方をとってきました。
野党は、政府与党が聞く耳を持っているとはハナから思っていないし、政府与党も、野党の意見に耳を傾ける必要があるなんて思っていない。特に1980年代まではイデオロギーの対立があったから、文脈をすりあわせるような対話や熟議は望むべくもないし、討論とさえ呼べないひとりごとで国会が埋め尽くされるようになってしまったのだと思います・・
後段について、私はジャーナリズムの役割や責任も大きいと思います。政府与党への批判は重要ですが、代案のない批判は建設的ではありません。また、対話や討論は、政策を巡ってされるものですから、それなりの勉強が必要です。政局報道は、対話や討論とは違う次元の報道です。
会話と対話と論戦と
朝日新聞7月5日オピニオン欄、平田オリザさんのインタビューから。
・・ダイアローグ(対話)とカンバセーション(会話)は、明確に違います。私なりに定義すると「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観などをすりあわせる行為。しかし日本語の辞書では「【対話】向かい合って話をすること」などとされ、区別がない。
・・日本語は、閉じた集団の中であいまいに合意を形成するのにはとても優れた言葉です。日本文化の一部ですから、悪い点ばかりではない。近代化以前の日本は、極端に人口流動性の低い社会でした。狭く閉じたムラ社会では、知り合い同士でいかにうまくやっていくかだけを考えればいいから、同化を促す「会話」のための言葉が発達し、違いを見つけてすりあわせる「対話」の言葉は生まれませんでした
・・対話のための日本語はいまだにつくられていない。富国強兵、戦後復興、所得倍増と大きな国家目標があって、それに向かって努力していればきっと幸せになれると多くの人が信じているような社会では、多様な価値観は生まれにくい。みんなが一丸となって目標に突き進めばよかったので、対話は必要なかったのです・・
なるほどと思います。ただし、農村社会ではこの説は有力だと思いますが、相手との駆け引きや競争が必要な商人の世界では、どうだったのでしょうか。また、日本と同じような環境にあった国では、どうだったのでしょうか。たとえば韓国やネパールとは、どこが同じでどこが違うのでしょうか。さらに掘り下げて、知りたいです。
私も日本社会論や日本特殊論を語ってきましたが、ほとんど欧米との比較であって、アジアとや全世界との比較ではありませんでした。欧米を基準とした比較に陥らないようにしなければならないと、反省しています。
この項続く。
災害関連死
昨日12日に、「災害関連死に関する検討会」を開きました。私は担当なのですが、福島に出張していて、職員にすべて任せました。ごめん、諸戸参事官。
総数が約1,600人であることは、すでに公表しました。その後、その中の分析を進めています。約500人について分析しました。その概要です。
年齢別では、80歳以上の方が74%(表3)。時期別では、3か月以内に亡くなられた方が71%(表4)。原因別では、初期治療ができなかったことや避難所への移動中が43%、避難所でのストレスなどが30%です(表5。複数回答)。自殺者は5人でした(表7)。
まだ。分析の途中なので、中間報告です。
福島再生基本方針決定
今日13日に、「福島復興再生基本方針」が閣議決定されました。内容は、概要を見ていただくとして、本文は110ページもの大部のものです。
当初は、5月中に決定する予定でしたが、県や市町村と協議を重ねることで、今日までかかりました。法定の協議にかける前のすりあわせでも、市町村からは約400項目の意見をいただき、それらを調整したのです。関係者にはご納得いただいているので、問題はないと思います。
福島県知事からも、「復興庁はよくやってくれた」という趣旨の、ねぎらいの言葉をいただきました。ありがたいことです。
もちろん、方針や計画は作ることが目的ではなく、それを実行して評価されるべきものです。しかし、このように閣議決定することで、政府全体を縛ることになり、国民の前に国の責務を明らかにしたことになります。これからは、ここに盛られた事項を実施し、なるべく早い帰還を進めることが、私たちの仕事です。
昨日に引き続き、今日も福島県に行って、これからの進め方について12市町村の方と意見交換をしてきました。「遅い」「進んでいない」と批判されますが、県や市町村の協力を得て、一つずつ進めています。
一番困る批判は、具体的な事項を指摘せず、「遅い」と言われることや、物差しを示さずに「遅れている」と批判されることです。岩手県や宮城県と比較して、「進んでいない」とおっしゃる方もおられますが、津波被害は水が引いたら復旧に着手できます。放射性物質に汚染されたところは、自然減衰したり除染しないと、復旧に取りかかることはできません。避難区域は、避難が解除されてからになります。
「住民の立場に立っていない」とか、「寄り添っていない」というご批判もあります。批判は甘んじて承りますが、どの点がだめなのか具体的に指摘していただかないと、是正しにくいのです。