社会活動家の見た政治の中

社会活動家の湯浅誠さんが、内閣府参与を辞任され、その経験を語っておられます。「ブラックボックスの内部は『調整の現場』だった」毎日新聞3月30日夕刊

・・90年代にホームレス問題に関わっていたころ、社会や世論に働きかけて問題を解決したいという思いはあったが、その先の永田町や霞が関に働きかけるという発想はなかった。
こちらが投げ込んだ問題は、ブラックボックスを通して結果だけが返ってくる。「政治家や官僚は自分の利益しか考えていないからどうせまともな結論が出てくるはずがない」と思い込み、結論を批判しました。
しかし参与になって初めて、ブラックボックスの内部が複雑な調整の現場であると知ったのです。

(ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。)
・・以前は自分が大切だと思う分野に予算がつかないのは「やる気」の問題だと思っていたが、この状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、玉虫色でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした。
・・政府の中にいようが外にいようが自分は調整の当事者であり、「政府やマスコミが悪い」と批判するだけでは済まない。調整の一環として相手に働きかけたが結果が出ない--それは相手の無理解を変えられなかった自分の力不足の結果でもあり、工夫が足りなかったということです。そういうふうに反省しながら積み上げていかないと、政策も世論も社会運動も、結局進歩がないと思う。
・・物事を解決していくには、複雑なことの一つ一つに対応していく必要があります・・