福島出張

今日は、総理と復興担当大臣のお供をして、福島県に出張でした。南相馬市で現地視察(工場、病院、高速道路工事)。南相馬市には、既に避難を解除された地域、解除される見込みの地域、しばらく待ってもらう地域が含まれています。その問題点を見るために、この3か所を選びました。
そのあと、県知事との意見交換と、国と県との協議会をしてきました。協議会では、避難区域見直しに向けての方針、賠償の現状、除染の進め方、福島特別法の項目案と、盛りだくさんの議論でした。総理は、協議会のメンバーではありませんが、今日は特別に参加され、地元の意見に耳を傾けられました。厳しい意見が、続きました

祝・ホームページ10周年

このホームページを作り始めてから、今日で10年になります。2002年1月7日から、始めました。当初は、東大大学院に出講するので、学生との連絡のために作ったのです。その後、講義のお知らせだけでなく、日々の日記のほか、地方行財政など仕事関係、経済社会に関する私見などいろんなことに広がりました。
この間に私の職も、交付税課長から、総務課長、内閣府官房審議官、総理秘書官などと代わり、仕事の分野が変わりました。それにつれて、このホームページの内容も変わりました。最初は、地方行財政が中心だったのです。それが、近年はテーマが発散しています(反省)。
大目次や目次で管理しなければ、書いたことが自分でもわからなくなっています。過去に書いたことも、すっかり忘れていて。逆に、私にとって良い記録になっています。いわば「日記帳」です。
ページ数は、530ページまでは数えたのですが、その後ソフトを入れ替えたので、数えられなくなりました。閲覧者総数は、今日現在で162万人です。当初は、1日に3人(うち1人は私、もう1人は弟です)しか見てもらえなかったのですから、すごいものです(キリ番ゲットの記録)。
途中、総理秘書官を務めた1年間と被災者支援本部で忙しかった時などを除き、ほぼ毎日のように書きました。よく続いたものですね。たくさんの人が見てくださるのが楽しくて、今日まで続いたのでしょう。つまらない記述に付き合ってくださった読者の方に、感謝します。
寝る前の限られた時間に書くこと、またホームページ上での記述という制約から、短い文章の感覚的な内容しか書けていません。しかし、ホームページは、そのようなものなのでしょう。本格的な考えは、別に原稿にするべきだと考えています。もっとも、その原稿の方も最近は成果が少なく、反省しています。
この間に、ホームページの履歴にも書いたように、パソコンが壊れたりソフトが動かなくなるという危機も、ありました。そのつど、「お師匠さん」や「社長」に助けてもらいました。ありがとうございます。
それにしても、10年というのは、すんでみると早いものですね。さて、このあと、いつまで続きますかね。

と書いたら、何人かの方から、お祝いのメッセージをもらいました。ありがとうございます。

内閣官房の年始の挨拶

今日、官邸大会議室で、内閣官房職員に対して、官房長官から年始の挨拶(訓示)がありました。このホームページで何度か紹介しているように、内閣官房には、たくさんの組織があります。この図のうち、3人の副長官補の下にある各種の事務局や室を数えると、今日現在では25あります。これらをご存じの方は、そう多くないでしょう。
内閣官房は独立して職員を採用していないので、各省からの出向者からなっています。何人いるのかは、私は知りません。今日集まった職員だけでも、大変な人数でした。
また、内閣に直接属する組織は、このよう(行政機構図、内閣の機関)になっています。内閣法制局、人事院、各種本部です。復興対策本部は内閣直属の組織であり、事務局はこの表に出てくるとともに、事務局職員は官房副長官補の下にある「東日本大震災復興対策室」に属しています。
官房長官は、別に内閣府を統括しておられるので、例年、内閣府職員へも年始のご挨拶があります。さらに内閣府には担当大臣がおられるので、その方々も挨拶されます。なお、行政機構図は、こちら