11月12日の朝日新聞夕刊「昭和史再訪」は、昭和52年(1977年)2月26日の、知床100平方メートル運動開始でした。
知床の乱開発への危機感を持った町長が、離農者8人の所有する120ヘクタールの土地を、どのように「買い取るか」から始まります。町の財源では無理、北海道も国も援助してくれない。そこで思いついたのが、全国の人に分譲する=寄付金を募ることです。これには、イギリスのナショナルトラスト運動が、参考になりました。
私が紹介したいのは、このあとです。1986年に林野庁北見営林支局は、この土地に隣接する国有林の6%、1万本を切る計画を打ち出します。これに対して、運動参加者から抗議が殺到しました。翌年4月には町長選挙があり、この問題が争点になります。選挙の12日前に、北見営林支局は、まず530本を伐採。「これで風向きが変わり」、伐採賛成の現職町長が負け、反対派が当選しました。
これを機に、林野庁は林野行政を大転換し、国有林を切って売る方針から、伐採を認めない保護地域をつくることになります。それが、後に世界遺産の知床、白神山地になります。
当時の林野庁課長補佐の証言も載っています。記事をご覧ください。