ユーロ危機、政治の挑戦と経済の失敗

ギリシャに端を発した欧州の債務危機が、大きな問題になりました。なぜ、こんなことになったのか、いろいろな解説がされています。私は、経済と金融という側面とともに、政治による新しい仕組みへの挑戦と混乱という観点に関心があります。10月28日の日経新聞「つまずいた大欧州」、下田敏経済金融部次長の解説「ユーロ、債務危機の試練。統合優先、粉飾見ぬふり」が、要点を整理してありました。

ギリシャがユーロに参加する前に、関係者は強い懸念を表明していました。ギリシャは財政規律や物価抑制の基準を満たすことができず、実際に参加は2年遅れました。その際も、基準を達成したけれど、数値が粉飾ではないかと、疑われていたのだそうです。その後、ギリシャ政府が「自白」しました。
それでもなぜ、参加を認めたのか。今回の債務問題の震源地であるギリシャ、スペイン、ポルトガルは、長く軍事独裁政権が続きました。1970年代に独裁政権が崩壊しましたが、放っておくと政治体制が揺らぐ恐れがありました。欧州統合で、これらの国に政治的安定をもたらそうとしたのです。
その後しばらくは、EUの中欧と東欧への拡大で、経済が拡大し、問題が顕在化しませんでした。ここに来て、露見したようです。

通貨と金融政策は統合したけれど、財政政策は各国に残るという、現在のユーロ制度に、問題はあります。しかし、完璧を期そうとすると時間がかかります。少々のリスクを抱えつつも、大きな目的に向かって改革に挑戦する。それが、進歩を生むのでしょう。
「こんな危険もある」「こんな恐れもある」といっていたら、改革は進みません。もちろん、被害の大きな改革は進める必要はなく、リスクには備えをしながら改革を進めるべきでしょう。しかし、石橋を叩いてばかりでは、前進はありません。メリットとデメリット、それも現在だけでなく将来を見通して進めることが必要です。