科学者の行政への助言

8月18日の日経新聞経済教室に、吉川弘之東大元学長が、原発事故をめぐる科学者の役割について、「科学、統合的知性の創造を」を書いておられました。
・・3月11日以降、新聞、テレビには多くの専門科学者が登場したが、その解説の内容は一致せず多様であった。これらの科学者の解説努力の結果は、一般の人々の不安を増大することとなった。
さらに問題なのは、事故対応の行動者に対する科学者の助言である。行動者とは、事故現場で働く作業者、作業指示者、電力企業、機器企業、自治体、政府などであり、その決定と行動が、原発事故の進行や地域の人々の避難などに影響を与える。行動者の行動が事故の収束に有効なものであるために、原子力発電に固有の専門的知識を持つ科学者の知識を結集する助言が必要だったはずである・・
科学者の助言には、工学研究者が企業技術者に行うような同じ領域内での専門的助言と、行政への助言のように専門内にとどまらない公的決定に対する社会的助言という2つの場合がある。原発事故への助言は社会的助言である・・
この社会的助言は「独立で、偏りがなく、そしてどの学派も代表しない」という中立的助言でなければならないとの考え方が、欧米では定着してきている。これは欧米において生命倫理、遺伝子組み換え食品、BSE(牛海綿状脳症)などの困難な経験を通じて、科学アカデミーと社会との間で合意に到達したルールである。もし上記の考えに従わず、一人ひとりの科学者が自己の考えをそのまま助言すれば、学会の中での学問上の対立が社会に持ち込まれて、社会的紛争を拡大してしまう。
わが国でも、公害、薬害、食品衛生、干拓、ダム建設などにおける科学者間の解釈の違いが政策決定の差異を強化して社会的紛争を激化させ、被害や社会的損失を拡大してしまった例が多くあるが、残念ながらこれらから学ぶことがなかった・・

先生は、さらにいくつも重要な論点を、指摘しておられます。原文をお読みください。

避難所と仮設住宅の環境調査

今日は、復興大臣と、石巻市に避難所と仮設住宅の視察に、行ってきました。石巻市は、16万人の市が中心部を襲われ、津波被害が最も大きい市です。がれきだけでも、岩手県内市町村の総量に匹敵します。
最大時では5万人の人が、260か所の避難所に、避難しておられました。現在は、2,300人の方が、64か所の避難所におられます。先日書きましたが、全国では8,600人、宮城県では5,700人おられます。
石巻市では、仮設住宅建設も進み、9月には全員が住宅に移ることができる予定です。今なお全員が住宅に入っていないのは、避難者の数が多かったことと、広範囲に浸水したため仮設住宅建設適地が無かったのです。
今日は、避難所1か所と仮設住宅団地を、見せてもらい、話を聞いてきました。避難所や仮設住宅の生活環境の問題を調べに行ったのですが、ここでは大きな不満はありませんでした。いくつか注文をもらったので、市役所と対応を検討します。

皆さんの要望の第一は、早く町の復興計画をつくって、元の住宅に戻れるのか移転する必要があるのかを、決めて欲しいということでした。皆さんの意識が、復興の段階に入っていることが、良くわかります。市役所は、既に計画(住宅を建てる場所の線引き)の案をつくっています。これから住民の意見を聞き、同意を得て進める予定です。町の将来を決めるのは、住民であり、議会と首長です。
石巻は、港湾と漁港の町です。漁港と水産施設の復旧計画も、順次進んでいるようでした。まずは、応急復旧です。町の中のがれきも、片付いていました。もっとも、壊さなければならない建物が、たくさん残っています。

塾頭との懇談会

今日は、東大客員教授時代の塾頭3人との、懇談会。茨城県出張から帰って、上野駅前に設営してもらった会場に駆けつけました。1人が、近日中にアメリカに留学するので、その壮行会です。日程を決める際に、私が「土曜なら大丈夫だろう」と言って、この日にしてもらったのですが・・・。
3人と初めて会ったのは2002年ですから、10年が経ちました。3人とも、立派な政治行政の研究者になっています。当時も今も、私の方が教えてもらうことが多いです。私がお話しできるのは、彼らが経験できない、官庁や官邸での経験です。もっとも、個人的な経験談は「偏向」していて、危ないです。

いわき市と茨城県の被害

今日は、復興大臣のお供をして、福島県いわき市と茨城県に、行ってきました。
福島県はご承知のように、浜通りの真ん中(双葉郡)が原発で避難していて、沿岸部の南部では、いわき市だけが残っています。原発事故以来、双葉郡からの避難者を、多数受け入れています。いわき市自体も自主避難をしたこともあり、生活必需品が届かなくなって、大変な苦労をされました。一時2万人おられた避難者も、今日で避難所を解消しました。
しかし、市長は、これからも、双葉郡からの避難者のうち、当分地元に帰ることができない人たちを受け入れるとの意向を示されています。また、放射能汚染されたがれきの処理など、たくさんの課題があります。

茨城県は、東北3県の陰に隠れていますが、大きな被害を受けました。住宅被害は17万戸に及んでいます。津波被害は3県ほどではなかったのですが、地震被害が大きいのです。住宅のほか港湾施設の被害、田畑での液状化、風評で観光客が来ないことなどです。
現場に行くたびに、どのような点に悩んでおられるかが分かり、私たちが取り組まなければならない課題の優先順位が分かります。大臣や私たちの仕事の都合で、視察が土日曜になってしまいます。受け入れてくださる地元市町村や関係団体、住民の方には申し訳ないのですが。

復興本部事務局の体制

事務局は、各府省から職員を派遣してもらい、日に日に職員を増やしています。体制(班編制)が一段落したので、ホームページに組織図を載せました。見ていただくとわかるように、総括企画系統、インフラ構築系統、住民支援系統、産業振興系統に、大きく4系統になっています。その中に、班をたくさん置いています。班長は参事官(課長級)で、一人でいくつもの役割を兼ねてもらっています。職員数は、常勤で約130人になっています。

もっとも、私たちの仕事は、前例がなく定型でないことが多いので、手探りの部分も多いです。「分担」は、あって無きの状態です。仕事を片付けてもらってから、分担表を書き換えています(笑い)。
「前例がありません」「それは私の分担ではありません」という台詞が通用しない、「世間で批判される官僚組織とは違う珍しい組織」です。職員はみんな、新しい仕事これまでにない仕事に、積極的に取り組んでくれています。ありがたいです。しかも、仕事が素早い点も。感謝しています。