スウェーデン、日本と違う社会の成り立ち

先日、高岡スウェーデン公使の著作『日本はスウェーデンになるべきか』を紹介しました。「一つのモデル、スウェーデン」(2010年12月28日の記事)。そこでは、スウェーデン社会の奥底にある、社会と個人のあり方についての考え方(高岡さんの表現では「本質」)が、日本とかなり違うことを紹介しました。高岡さんの説を、もう少し紹介しましょう。この本では、4つの違いを挙げておられます。
1つは、自立した強い個人です。厳しい気候風土の中で、子供も女性も高齢者も障害者も、自分でできることは自分でやる。そして本当に世話になる必要がある時は、公的セクターが支援するのです。自分で運び自分で組み立てる、家具屋のイケアも、この現れだそうです。家具の配送に関する興味深い経験談も、書かれています。
2つめは、決まりを守るスウェーデン人です。路上駐車の例などが書かれていますが、これに比べれば、日本人は決まりを守っていませんねえ。
3つめは、透明性です。情報公開、個人番号など、なるほどと考えさせられることが書かれています。
4つめは、国境を越える連帯です。

自立した個人は、一見冷たい社会に聞こえます。しかし、決して他人に無関心ではないのです。その逆で、援助の必要な人には、みんなで手を差し伸べる。社会も国家もです。それと比較すると、日本は、これまで地縁、血縁、社縁で助け合っていたので、その機能が弱くなると助け合いや連帯が少なくなったのでしょう。またそれは、「身内」には親切ですが、「ソトの人」には冷たい社会でした(山岸俊男著『信頼の構造』1998年、東大出版会)。もちろん、スウェーデン社会も、すべてを手放しで喜べるものではないでしょうが。
高岡さんの本は、スウェーデンと日本の、社会の成り立ちの違い、その上にある制度の違いを、わかりやすく解説してあります。経験談や数値も豊富で、なるほどと納得します。スウェーデン型国家を目指すにしても、違う道を取るにしても、日本の未来を考える際に有益です。
ところで、高岡さんは、イラン公使に転任になりました。新任地でのご活躍を、お祈りします。