新しい分類、社会関係リスク

日本社会の勝ち組と負け組、単線的社会、格差、社会関係をうまく作れない問題などを、「再チャレンジ」の表題(分類)で書いてきましたが、内容と表題がズレてきたので、「社会関係リスク」という表題(分類)に変更しました(このページです)。この表題でも、しっくり来ないのですが、良い言葉が浮かばないので、しばらくこれで行きます。
新しいホームページソフト(ホームページビルダー)に、まだ慣れないので、表題を変えるだけでも四苦八苦です。

年末恒例、年賀状との闘い

23日に続き、今日も引きこもって、年賀状を書いています。今年も、裏面の印刷は早くしたのですが、平日の夜は懇親会が続き、休日は大学での講義とその準備で、なかなか着手できませんでした。
未だに宛名を、手書きにしています。お一人お一人の顔が浮かび、「かつてお世話になったなあ」と、思い出しながらです。だから、なかなか進みません。今の私があるのは、この人たちのおかげです。感謝。
「千里の道も一歩から、始まることを信じよう・・」と、水前寺清子さんの「365歩のマーチ」を口ずさみ、自らを励まして、書いています。

地方消費税充実の理論書

持田信樹東大教授、堀場勇夫青山学院大教授、望月正光関東学院大教授が、『地方消費税の経済学』(2010年、有斐閣)を出版されました。地方消費税が1997年に導入されて、10年以上が経ちました。次なる地方税財政の充実を考える際に、地方消費税の拡充は必須です。
この本では、理論と実際の両面について、世界の理論的・制度的な流れに立って、研究と提言をしておられます。特に、地方税としての性格をさらに強化するために、都道府県の産業連関表を用いてマクロ税収配分を行うことを提言しておられます。
地方税財政研究の必読文献です。ご一読をお勧めします。

フランスの農業改革の経験

22日の読売新聞経済面に、フォール駐日フランス大使のインタビューが載っていました。フランスの農業改革の経験についてです。フランスは、食料自給率120%の農業国です。
フランスは、自給できないことの問題意識から、1950年代から農業改革を始めました。この60年間で、農業人口を3分の1に減らし、平均農地面積を約7倍の70ヘクタールに広げました。農家の平均年齢は、10歳以上若返り、40代半ばだそうです。
日本では、農家は減りましたが、一戸当たりの経営規模は2ヘクタールです。平均年齢は、60歳を超えています。もちろん、日本の稲作とフランスの小麦や牧畜とを、面積で単純に比較してはダメでしょうが。日本では、兼業農家が温存され(稲作は兼業ができる事業なのです。ただし小規模なのでコストが高くなります)、農地の集約が進みませんでした。
日本の農業問題を議論する際には、稲作とそれ以外を分けて議論すべきこと、そして稲作については農地(売らない貸さない)が問題なのです。昨日紹介した2007年6月23日の記事を参照してください。

追悼、辻陽明記者

今日、22日の朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記。NPO前へ」に、次のような記述がありました。
・・この連載は、昨年、食道ガンのため53歳で亡くなった記者が残した企画書が出発点だった。朝日新聞編集委員だった辻陽明。NPOや公益法人の取材に力を注ぎ、こう言っていた。「自分たちの力で社会を良くしようとする人々が、NPO革命を起こした。日本社会は捨てたものではない。希望がある」・・

辻さんには、親しくしていただいていました。きっかけは、私が総務省交付税課長の時です。2003年12月4日の朝日新聞1面に私の名前が出ました。「交付税課長が講演会で『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない』と発言した」という記事です(2003年12月4日の記事)。この記事を書いてくださったのが、辻記者でした。その少し前に地方財政の取材に来られ、私が解説したついでに「今度講演会があるので、それも聞いてください」とお誘いしたのが、きっかけです。
現役課長が朝日新聞の1面に乗ることは、霞ヶ関では好ましいことではありません。しかも、自分の担当している仕事についてです。私自身は、間違ったことを言っているつもりはありませんでしたが。当時の瀧野欣弥官房長(現内閣官房副長官)と国会議員会館ですれ違い、「新聞にあんな記事が出て、申し訳ありません」とお詫びしました(私は国会を飛び回っていたので、そんなところで役所の上司に会ったのです)。滝野官房長は、「おかしいと思ったら、自分で改革せよ」とだけ、おっしゃいました。

その後も、辻記者は、経済関係の鋭い記事(2007年6月23日の記事など)を書かれ、幾度か「岡本さんの意見を聞きたい」と尋ねてきてくださいました。朝日新聞記者とは思えない「素直な姿勢?」で、私はウマが合いました(失礼)。時々、夜のおつき合いもしてもらいました。もっとも、辻さんは、お酒は飲まれませんでした。「いや~、少し体調が悪くて・・」とおっしゃっていたのは、今思うと、お病気のせいだったのでしょうか。
さらに、ボランティアやNPOの取材を続けられ、「新市民伝」の連載もしておられました(2006年9月16日の記事)。私は、辻さんに「どのようにして、街の活動家を捜してくるのですか?」と、尋ねたことがあります。
私が秘書官になってから、連絡をかまけていました。今日、この記事を読んで、びっくりしました。まだまだ、いろんなことを教えていただき、また書いて欲しかったです。53歳とは、あまりに若い。あの落ち着いた、そしてにこやかなお顔が、目に浮かびます。残念です。ご冥福をお祈りします。