慶応大学大学院講演

今日は18時半から、慶応大学法学部大学院で講演。大山耕輔先生、小林良彰先生のお招きです。与えられたテーマは「地方自治の問題」でしたので、最近考えている「地域社会の課題と行政機構の課題」について、幅広くかつ歴史的・国際的視野から、お話ししてきました。院生が相手なので、話しやすいですね。質問も鋭く、やりがいがあります。
盛りだくさんのことを、短時間にお話ししたので、聞いている方は疲れたと思います。いつもながら、反省です。

農業政策の反省

11月25日の朝日新聞オピニオン欄、松下忠洋経済産業副大臣の「市場自由化と農業、国際化意識した改革急務」から。
・・私は国民新党に所属しているが、かつては自民党農林族として農産物自由化反対の旗振り役を担ってきた。1993年にはガットのウルグアイ・ラウンド交渉でのコメ自由化案に反対して国会前で座り込み、ガット本部前でも韓国の国会議員と共闘して自由化反対を叫んだ。だが、こうした主張が結果的に国内農業の体力を落としてしまったことを痛切に反省している。
米作農家保護のため、94~2000年に投入されたウルグアイ・ラウンド対策事業費は6兆円。主な内訳を見ると、農業農村整備事業費(灌漑施設、農道空港など)3兆1750億円、農業構造改善事業費など(加工出荷施設、温泉施設など)1兆2050億円ーで、約7割は公共事業、施設整備に消えた。受益者の中心は農家や農業よりも建設業者だったことになる。
この間、農家1戸当たりの農業所得は年159万円から108万円に減り、食料自給率も約3%下落した。何のための6兆円だったのか。農家を直接支援して生産額と販売価格の差額を補填し、集落営農の推進や後継者育成策に回すべきだった・・
就農者の平均年齢は66歳。このままでは10年後に担い手がいなくなる・・
詳しくは原文をお読み下さい。

進む三位一体改革ーその評価と課題

月刊『地方財務』(ぎょうせい)2004年8月号、9月号
続きは、続・進む三位一体改革に書きました。

私が、月刊『地方財政』(地方財務協会)に「地方税財源充実強化の選択肢」という論文を書き、税源移譲などの選択肢を論じたのは、平成13年4月でした。その後、地方財政改革とも言うべき動きが動き出しました(もっとも、私が動かしたのではありませんが)。
経済財政諮問会議の提言等を踏まえ、交付税課長としていくつかの地方交付税改革に着手しました。その動きを取り入れて解説したのが、「地方財政改革論議ー地方交付税の将来像」(ぎょうせい、平成14年)です。その出版以来、約2年が経過しました。
正直言って、平成13年時点では、その後直ちに、これほど大きな交付税改革が進むとは考えていませんでした。14年の執筆時点でも、ここまで税源移譲が進むとは思っていませんでした。これは、関係者みんなの共通意見でしょう。三位一体改革が動き出し、かつ期限と数字目標が設定され、それに沿って進んでいることに、感慨無量のものがあります。

しかし、三位一体改革が進んでいることを、喜んでいるだけではいけないのでしょう。平成16年夏に、政府が地方団体に投げたボール「補助金改革案を取りまとめること」は、きちんと打ち返さなければなりません。いくつかの地方団体には、三位一体改革に対し不安もあります。今後の進め方について、理解を得る必要もあります。
今回の三位一体改革は、「走りながら考える」かたちをとってきました。確かに、地方税財源充実強化の方向性としては、関係者の間に共通理解はありました。「国庫補助金削減、税源移譲」です。しかし、具体策になると、十分まとまっていたとは言えません。
走りながら考え、考えながら走ってきました。問題点が見えるたびに、次の手を打ってきたのです。
三位一体改革が進みつつある今、われわれがしなければならないことは、これから2年間に残るノルマを達成することです。そして、「三位一体改革その一」が進んだ後の、次なる「三位一体改革その二」への道筋をつけることでしょう。克服しなければならない課題は、たくさんあります。

  目次
第一章 「三位一体改革」の設定
1 設定まで(平成一三年)
(1)第一次分権改革の成功 (2)予想外の展開ー経済財政諮問会議 (3)地方交付税の算定の見直し
2 「三位一体改革」方針の決定(平成一四年)
(1)「片山プラン」 (2)「骨太の方針二〇〇二」 (3)三位一体の意味 (4)一五年度の芽だし
3 数値目標の設定(平成一五年)
(1)協議不調 (2)分権改革推進会議の「迷走」 (3)「骨太の方針二〇〇三」 (4)その評価 (5)秋の動き

第二章 平成一六年度の成果と評価
1 経過
(1)総理指示 (2)麻生プラン (3)補助率カット案拒否 (4)幻のたばこ税移譲 (5)総理のリーダーシップ
2 初年度の成果
(1)概要 (2)成果
3 関係者の評価
(1)プラスの評価 (2)マイナスの評価 
4 いくつかの論点
5 評価
(1)平成一六年度分の評価 (2)三か年間の評価

第三章 一七年度に向けて
1 これまでの動き
(1)麻生プラン (2)「骨太の方針二〇〇四」 (3)評価一ー進む改革(4)評価二ー政治的意味
2 今後の予想
(1)残されたノルマ (2)対象補助金の選択 (3)地方団体の責任 (4)全体像の明示 (5)関係者の協力と国の決断

第四章 「三位一体改革」の次に来るもの
1 三位一体改革の続き
(1)三位一体改革その二、その三 (2)検討すべき課題一ーどこまで補助金を廃止するか (3)検討すべき課題二ー税源移譲の構想
2 ポスト三位一体改革
(1)財政再建 (2)規制の分権
3 地方財政の将来
(1)財政再建と歳出削減 (2)増税の準備 (3)交付税の将来像

第五章 見えてきたこと
1 地方財政の新展開
(1)理論と政治 (2)動き出した地方財政
2 構造改革
(1)新しい政治の形 (2)改革が進む条件 (3)この国のかたちを変える

2010.11.27

今日は、日本大学大学院で講義。昨日、ネパールから帰ってきたばかりなのに。もちろん、出発前に準備していきました。
講義は、随所で脱線というか、議論の範囲を広げつつ、順調に進んでいます。今日で、第2部「自治体は地域を経営したか」を終了。今回の私の議論は、次のようなものです。
市役所の組織を運営することだけが、公共経営ではない。官・共・私の3つのシステム(場)を含めて、地域や国家がうまくいくように運営することが、公共経営である。また、個人が暮らして行くには、公共サービスや私的財と私的サービス提供だけではなく、他人とのつながり・社会的関係資本が必要である。日本の行政は大成功したが、次の課題への取組に転換することに遅れている。これからの地域経営は、働く場を中心とした「活力」と、他者とのつながりを中心とした「安心」が重要である、ということです。
次回から、第3部「市役所の経営」に入ります。ここからが、通常の公共経営論です。官僚として32年、県庁、府省、官邸と、いろんなところで勉強させてもらいました。その経験から、お話しします。
(授業の補足)
授業中に言及した本は、宮澤俊昭著『国家による権利実現の基礎理論ーなぜ国家は民法を制定するのか』(2008年、勁草書房)です。

中国・ネパールで考えたこと2010年

(中国出張)
ご無沙汰していました。8日(月曜日)から今日(12日)まで、中国に出張していました。このホームページは、自宅のパソコンからしか加筆できないので、その間、更新できませんでした。このページを訪れてくださった方には、お詫びします。
携帯パソコンを持っていったのですが、インターネット環境が悪く、メールをうまく見ることができませんでした。私あてに電子メールを出していただいていながら、私からの返事が来ていない場合には、申し訳ありませんが、再度お送りいただけますか。

仕事は、中国財政部(財務省)との、地方行財政に関する定期意見交換です。中国中央政府には、総務省(旧自治省)に相当する役所がないので、地方財政については、財政部が相手になります。中国は、地方政府の支出割合が大きく、経済発展が著しいのですが地域間不均衡もあり、国と地方の税源配分や財政調整が大きな課題です。16年前に国税と地方税について、大改正をしました。国庫補助制度や地方交付税に似た制度もあります。
地方政府は、簡単に言うと、省、市、県、郷と鎮の4層になっています。しかし、法人格が分かれておらず、仕事や財政が混在しています。また、急速なインフラ整備のために、地方政府自身だけでなく、出資をした別法人による事業も大きいです。

北京では、丹羽宇一郎大使(経済財政諮問会議でお仕えしました)、山崎和之公使(一緒に総理秘書官をしました)にも、お会いすることができました。中国は訪問するたびに、急速な発展を遂げています。今回は、北京のほか、山東省(斉南や青島など)にも連れて行ってもらいました。この時期には珍しい黄砂にも、あいました。
中国についても、そして日本についても、考えることもたくさんありました。外から日本を見ると、そして日本を追いかけている中国から見ると、日本の中にいるより、より日本が見えます。それらについては、追々書きましょう。(2010年11月12日)

(中国の国地方財政関係)
中国で学んできたことの一端を、書いておきます。
中国では、1994年に税制改正を行いました。それまでは、地方税収が、国と地方を合わせた全税収の7割から8割を占め、地方政府が中央政府に上納していました。1994年に大改正をし、大幅に国税に移管しました。この結果、国と地方の税配分は、約5対5になりました。
中央政府は、そこから地方政府に対し、「税収返還」を行い、さらに「財政移転」行います。これで、国と地方の支出割合は2対8になります。
このうち税収返還は、国税の一定割合を地方政府に還付するものです。性格としては日本の譲与税に近いですが、日本では少額です。また財政移転には、支出項目を限定したもの(専項移転。日本の国庫補助金に相当)と、自由に使えるもの(財力性移転。日本の交付税に相当)があります。地方政府全体では、中央政府からの財政移転は、収入の約半分を占めています。
この結果、財政力の強い東部と、弱い中部・西部との差は縮まっていますが、まだ格差は残っています。
中国の地方行財政については、自治体国際化協会が、良い紹介を作っています。(2010年11月14日、15日)

(中国で考えたこと)
中国に行くたびに、そのめざましい経済発展ぶりに、驚かされます。しかし、振り返れば、日本もかつてそうだったのです。
日本の経済発展の軌跡と中国の軌跡を並べると、なお10数年は、中国の発展は続くでしょう。すなわち、日本が欧米に並ぶまでは、絶好調だったと同じようにです。(「戦後日本の経済成長と税収」のページの図表GDP1955-2009.pdf )
課題は、その後です。キャッチアップ型の政治経済から、先進国型に転換できるかどうか。日本は今、それに悩んでいます。もちろん、日本よりはるかに大きい人口、広大な国土で、発展することはより困難でしょう。また、貧富の差、地域間格差、日本より早いであろう高齢化、成熟していない年金制度などの困難もあります。いつまで、現在のような政治体制が続くかもです。

中国とアジアの経済発展は、日本の産業に大きな打撃を与えています。しかし、アジアの国々が発展することは、地域の安定にも、これからの日本にとっても、プラスでしょう。貧しい国々の中で、一人だけ先進国になっていても、アジア全体の安定にはなりません。いつまでも「民主主義と経済発展をした唯一の非白人国」では困るのです。
私はかつてアジア諸国を訪れるたびに、「いつになったら、この国々の人と、対等にしゃべることができるようになるのだろう」と、考えていました。あまりの経済格差は、対等な会話を成り立たせません。韓国が日本に肩を並べたので、韓国の人とは会話しやすくなりました。かつては、お互いに遠慮というか、いろいろ意識して話していました。
日本人は、しばしばヨーロッパに憧れますが、アジアがヨーロッパのようになるためには、近隣諸国がある程度同程度の経済水準になる必要があります。この経済発展ぶりだと、そう遠くない日でしょう。これまで一人勝ちだった日本にとっては、さみしいことでもありますが。
アジア諸国が同程度の水準になった時、その中でどれだけ日本が先に進むか。いよいよ、日本の実力が試されるのです。(2010年11月30日)

(中国らしい近代化はあるか)
先月、中国を訪問し、その経済発展ぶりが素晴らしいことを、このホームページでも書きました。日本の高度成長期との類似も。もう一つ考えたことがあります。それは、「経済発展・近代化は欧米化なのか」ということです。
確かに、中国の経済発展、今回見たのは北京であり青島ですが、素晴らしいです。しかしそこに、中国らしさは見あたりません。一つ一つのビルは大きく立派であり、デザインもしゃれています。そして、土地が広いので、それら高層ビルが整然かつゆったりと建てられています。その点は、日本の都会やマンハッタンとは違います。
しかし、鉄筋コンクリートとガラスという素材にしろ、高層ビルという立て方やデザインにしろ、アメリカで見ても違和感はありません。ホテルや食堂、政府関係の建物にしか、入らなかったのですが、その中の仕組みも同じです。

ホテルの中の「仕組み」が世界で共通なのは、旅行者にとって、とても助かります。これは、カトマンズでも同じでした。フロント、ボーイ、カードキー、部屋中の配置、風呂と洗面所、レストラン、ビュッフェスタイルの朝食、清算の仕方・・。西欧システムというのか、イギリス・アメリカシステムというのか、日本でもどこでも同じです。外国にいることを忘れてしまいます。もちろん、私たちも、日本国内でも、その仕組みに慣れたということです。かつては、西欧式のお風呂の入り方を教えてもらい、便器の使い方は図解してありましたよね。日本風の旅館とは違うのです。

さて、本題に戻ると、かつて中国に行くと、随所に中国らしさがありました。しかし、近代化が進み、それらはどんどん無くなっているようです。日本も同じですが。土産物を考えてください。書画や陶磁器が代表的なものでしょう。しかしこれらは、ノスタルジアをかき立てるものであっても、現代の中国を象徴してはいません。
かつて中国は、西欧とは違う中国文明を生みました。それは、西欧の文明をしのぐ、素晴らしいものであったと思います。しかし、現在の発展は、西欧文明へ飲み込まれることであり、近代化とは西欧への収れんのようです。現代中国は、近代西欧文明に新しいものを付け加えたり、違った路線を提示していません。キャッチアップ型の発展でしか、ないのです。
すると、前回(2010年11月30日)書いたように、一人当たりGDPがアメリカに追いつくまでは、このまま成長するでしょう。その後は、日本と同じように、停滞する可能性が大きくなります。(2010年12月27日)

(ネパール出張)
ご無沙汰していました。11月20日から今日26日まで、ネパールの首都カトマンズに出張してきました。EROPA(エロパ)という、アジアと太平洋諸国を対象とした行政学会があります。本部はフィリピンで、すでに50年を超える歴史を持つ国際機関です。研究者や組織の他に、国家も参加しています。日本も国家会員で、自治大学校がその事務を引き受けています。さらに、下部機関である地方行政センター(The EROPA Local Government Center )も自治大にあるのです。各国からの研修生の受け入れや、英語による研究の出版も行っています。

毎年、持ち回りで会議があり、今年はネパールが開催国でした。私も、執行理事会と総会で、英語で報告と挨拶をしました。短いスピーチで、事前に用意した原稿を読んだのですが。その他、執行理事会で、意見を少し発言しました。会議はすべて英語です。通訳を使った発表者が、1人だけいましたが。このような会議に慣れていない、場数を踏んでいないので、困りますね。
聞いていて、7割くらいわかる発表や5割くらいわかる発表があり、それ以下しか理解できない発言があります。一緒に行った先生方に、通訳してもらいました。皆さん結構な癖があって、「セントル」と聞こえるのが、「center」であったり、破裂音が多くて聞き取りにくかったり???。NHKラジオの実践ビジネス英会話に、インド人社員が出てくるのですが、「なるほど、これがインドの人の英語か」と、納得しました。
2013年には、日本で開催されることが決まっています。その準備も大変です。

今年のテーマは、「行政と危機管理」「リーダシップ」「連邦制」などでした。特に危機管理は、参加各国は地震、津波、地滑り、洪水、新型インフルエンザなど、様々な災害と危機にさらされています。その経験を基にした発表が多かったです。経験の共有になったことと思います。自然科学の学者も参加していましたが、この会議は行政学の会議です。災害を含む危機管理が、行政の重要な課題であると認識されているのですね。私も、興味を持って連載をしているところなので、参考になりました。

会議が終わった後も、主催者である総務大臣(Minister of General Administration。この写真の方)が声をかけてくださって、「公務員研修所に当たる施設をぜひ見て欲しい」とのことでした。隣町にある研修所は、施設も人員も充実していました。ネパールでは、上位の職に移るためには、ここで研修を受け、候補者名簿に載らないと、昇進しません。教授陣の学歴も、高いです。もっとも、それに当たる高級公務員は少なく、圧倒的多くが下級公務員で、その人たちの研修が課題のようです。
ネパールでは日本がたくさんの援助をしていて、この研修所についても、協力して欲しいとのことでした。そのために、私を案内してくださったのです。

もちろん、ネパールに行くのは、初めてです。ネパールと言えば、万年雪を頂いたヒマラヤやエベレストを思い浮かべます。「11月という寒い時期に行くのはかなわないなあ」と思いましたが、大間違い。東京より温かかったです。朝晩は冷え込みましたが。カトマンズは、高度が1,300メートル、緯度は奄美大島やカイロと同じだと聞きました。地図で見ても、インドのニューデリーより南にあります。昨年60数年ぶりに雪が降って、地元の人は大騒ぎだったとのことです。8,000メートルを超える山々があるので、3,000メートルくらいでは、丘だそうです(笑い)。
内戦が終わり、新しい憲法を制定する過程にあります。日本の自衛隊も、PKOで監視に参加しています。カトマンズは、大都会です。煉瓦と木でできた3階建てや5階建ての建物が、隣と接して建っています。街には自動車があふれ、大渋滞を起こしています。クラクションが、けたたましく。会議も定刻には始まらず、「南アジア的混沌」の一部を経験してきました。