朝日新聞9月17日1面「危機の政党」曽我豪編集委員の「選挙偏重から抜け出せ」に、次のような記述があります。今回の民主党代表選挙結果についてです。
・・国民が期待する答えは、そこではない。選挙制度改革、官邸機能強化、脱官僚。政治再生の方策は多々繰り出されたが、今や権力をつくり出す政党の仕組みと作法のチェンジが必要な時代に移った・・
そうですね。1990年代前半に日本の政治のエネルギーの多くをつぎ込んだ選挙制度改革は、16年前に実現しました。そしてその後、「2大政党+その他の党」体制を生み、ついに1年前に、実質的には半世紀ぶりの政権交代を生みました。
官邸機能強化は、橋本行革、省庁再編、小泉政権で、いくつかの制度化と運用の成果を生みました。もっとも、官邸機能強化は、その時々の総理大臣と官邸の運用によるところが大きいです。それはまた、各省や党がどのような抵抗をするかにもよります。そして、脱官僚・・。
この1年で、政権交代だけでは、国民の期待する政策が立案され実行されるわけではない、ということが見えました。次の課題として、政党内での政策の集約と、大臣及び総理候補者の育成が、課題として浮かび上がりました。
民主主義とは、このようにして、一歩一歩進んでいくものなのでしょう。
月別アーカイブ: 2010年9月
優等生化する新入社員
日経新聞9月16日の夕刊が、興味深い写真を載せていました。1面の連載です。1986年の日本航空の入社式と、今年の入社式の写真です。今年の女子の新入社員は、みんなが黒のスーツ、白のシャツ、黒の靴、髪型まで一緒なのです。制服かと間違います。たぶん、化粧の仕方も同じなのでしょうね。それに対し、86年の彼女たちは、さまざまな服装をしています。びっくりします。
採用が厳しくなったからでしょうが、ものの見事に画一化され、個性を封印しています。個性の豊かさや多種多様な人材といったスローガンは、何だったのでしょうか。「多種多様な人材を求めない企業と、個性を表に出せない新入社員。そこから組織の活力は生まれてくるのだろうか」と、記事は解説しています。
日本社会のあり方を考えさせる、見事な写真と記事でした。
河野昭さんをしのぶ会
今夜は、故河野昭さんをしのぶ会に、行ってきました。河野さんは、行政管理庁、総務庁、そして省庁改革本部事務局長を経て、初代内閣府事務次官を務められました。故人の意向でお葬式がなかったので、関係者で追悼論文集を出し、それを奥様とお嬢様にお渡しする会という形で、このような会がもたれました。
私は、省庁改革本部で、平成10年7月から13年1月6日の新府省発足まで、2年半にわたりお仕えしました。根は優しい人でしたが、仕事には厳しかったです。でも、あのような難しい改革を成し遂げるためには、必要だったのでしょう。政治家と渡り合い、反対する各省を説き伏せ、各省から集まった100人を超える官僚を束ねて、期限までに進める。今から振り返っても、大変なことでした。仕事以外ではお優しくて、よく飲みに連れて行ってもらいました。時には、ご自宅まで。
今夜は、当時の「しかられ3人組」、岡田秀一企画担当参事官(現・経済産業審議官)、井手憲文独立行政法人担当参事官(現・国土交通省海事局長)と私(減量担当参事官)も、そろって出席しました。もっとも、河野さんにしかられたのではありません。別の政府高官に、しかられました。節目節目に、官邸で顧問会議が開かれ、私たち参事官が進捗状況を説明する時に、いろいろあったのです(今となっては、笑い)。
私の仕事は、1,200ある課を1,000にすること、審議会を整理することなどでした。それは、霞ヶ関の全省庁を相手にするという、めったにできない経験をさせてもらうことであり、どのようにしたら改革が進むかを教えてもらう機会でした。
今夜は、いろんな省の方も出席され、故人の交遊の広さを物語っていました。私も、お世話になりつつ最近お会いしていない方々に、ご挨拶ができました。河野さんは、空の上からこの風景を見て、いつものように「かかか・・」と笑っておられるでしょう。
誰が、地域社会の問題を解決するか
昨日の続きです。小中学校での問題行動、例えば、いじめ、教師への暴力、学級崩壊、さらには不登校など。これらの問題に、誰が取り組み、だれが解決するかです。
かつては、このような問題は、本人が悪い子であり、親のしつけが悪い、と片付けられていたのでしょう。しかし、これだけ数が増えると、一個人、一家庭の問題とは、言っておられなくなります。学校での問題だから、教師が悪い、教師の責任だとも、言っておられないのです。
では、学校での問題行動は、どうしたら減らすことができるのでしょうか。それを、誰が取り組むのでしょうか。教育委員会と教師に任せていては、改善しないでしょう。原因は、学校現場だけにあるのではないのです。
そこには、原因として、社会の変化があると言わざるを得ません。そして、家庭や当事者だけでは解決できない問題であるということは、個人の問題・自己責任の問題から、社会の問題に変化したのです。
たとえば、交通事故死者は、政府や自治体、国民の長年の取り組みで、大幅に減らすことに成功しました。速度違反や飲酒運転の取り締まり、シートベルトなど事故を起こしても安全な車の開発、信号機・ガードレールなど施設の整備によってです(2010年1月3日の記事)。
私は、「新地方自治入門-行政の現在と未来」で、地域の財産を、自然環境、公共施設、制度資本、関係資本、文化資本に分けて説明しました(p190)。そして、公共施設や制度資本はお金と技術があればできるが、関係資本や文化資本は人間関係であり、それをつくるのは簡単ではないと述べました。児童生徒の問題行動の多発は、この分野に属します。
しかし、地方自治体が取り組まなければならない課題です。もちろん、市役所だけで解決できるものではありませんが、地域の人たちや組織を巻き込んで、対策を考えることができるのは、市町村です。
地方自治体の仕事は、このような地域住民の不安を解消することに、重点が移っています。「モノを増やすことから、関係の充実へ」。これが、私の主張です。
児童の問題行動
文部科学省が、子どもの暴力行為などの調査結果を発表しました(児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査)。それによると、平成21年度中の、小・中・高等学校での暴力行為の発生件数は約6万1千件です。うち生徒間暴力が3万4千件、対教師暴力が8千件もあります。器物損壊が1万7千件です。
小・中・高・特別支援学校での、いじめの認知件数は約7万3千件です。高等学校での不登校生徒数は約5万2千人、小・中学校の不登校児童生徒数は12万2千人です(8月5日発表)。高等学校での中途退学者数は約5万7千人です。小・中・高等学校で自殺した児童生徒は165人もいます。
これらの問題は、依然として減っていません。困ったことです。