観光客数

これも古くなりましたが、18日の日経新聞経済教室、額賀信さんの「観光立国。訪日外国人数、高い目標を」が、興味深かったです。
2008年度の訪日外国人数、は777万人でした。政府は、これを2020年初めまでに2,500万人に伸ばすことを、目指しています。10年間で、約3.2倍です。結構な伸び率です。ところが、額賀さんは、この目標では少ないと、主張されます。
・・2008年に国際観光到着数が世界で最も多かった国はフランスで、その数は7,930万人。第2位以下は、米国(5,803万人)、スペイン(5,732万人)、中国(5,305万人)の順で、さらにイタリア(4,273万人)、英国(3,019万人)が続いている。このうちフランスとスペインは、国内人口を上回る国際観光客を受け入れている(2009年版国際観光白書)。
これらの国々の国際観光収入はまた、いずれも巨額である。世界最大の国際観光収入を得ている米国では、2008年で11.3兆円を稼いでいる。以下、スペイン6.3兆円、フランス5.7兆円、イタリア4.7兆円、中国4.2兆円と続いている(国際旅客運賃を含まないベース)。同じ基準によるわが国の国際観光収入は、同時期で1.1兆円と中国の約4分の1にとどまっている。アジアの中では、中国だけでなく、タイ、香港、マレーシア、マカオ、インドにも負けている・・
として、「日本の人口を考えて1億人を目標とすべきである」と主張しておられます。

知的財産戦略

16日の日経新聞経済教室は、秋元浩さんの「生命科学の知的財産戦略」でした。
・・日本の生命科学(ライフサイエンス)研究は、山中伸弥・京都大学教授の新型万能細胞(iPS細胞)研究に象徴されるように、世界のトップレベルといっても過言ではない。しかし、研究は優れていても、実用化・産業化という面では欧米の後塵を拝していることが多いのではないだろうか。日本は、研究開発と並んで重要な知的財産戦略・事業化戦略に問題があるように思われる・・
医薬品産業では、新薬の研究開発に平均15年以上の時間と数百億円の先行投資を要する。そして新薬として発売される成功確率は研究開始時点から見ると数万分の1と著しく低い。にもかかわらず、その新薬はたった1件の物質にかかわる特許で保護される可能性がある・・
生命科学の知財戦略では、グローバルな視点も重要になる。経済活動も科学技術研究もグローバル化がますます進む一方で、知的財産制度は依然として各国の産業政策に基づく属地主義的要素が強く残り、国によって異なる部分も多い。生命科学分野の企業にとって、経営戦略や研究開発戦略と並ぶくらい知的財産戦略が極めて重要である理由の一つは、日本と米国の特許制度の違いに起因する・・
2007年に人の皮膚細胞からiPS細胞を創成するという画期的な発明が山中教授により発表され、これを契機に、我が国全体(オールジャパン)として研究と知財のコンソーシアム体制をつくろうという動きが始まった。研究のコンソーシアムについては山中教授を中心にオールジャパン体制が構築された。しかし、知財の総合プロデュース機能を有する知財コンソーシアムについては、内閣の知的財産戦略本部が2008年6月に開いた第20回会合においてその必要性は承認されながらも、国としての支援体制は実現するには至らなかった・・

首脳のブレーン

古くなりましたが、16日の日本経済新聞が国際面で、各国首脳の経済ブレーンを取り上げていました。
・・世界経済に不透明感が強まるなか、各国首脳の知恵袋となる経済ブレーンの存在感が高まっている。自らは経済通とはいえない首脳が、政権の安定維持を狙い、経済政策の微妙なかじ取りを一段と重要視してきたためだ・・
記事では、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、韓国の例が載っています。学者、議員、民間エコノミストなど、経歴はさまざまです。
経済分野に限らず、総理や大統領もスーパーマンではありませんから、すべての分野に通暁することは不可能です。そして、とてつもなく忙しいのです。どれだけ補佐官や官僚を使いこなせるか、それがリーダーには求められます。もちろん、彼らの意見を鵜呑みにするのではなく、是非を判断し、優先順位をつけるという仕事は、リーダーに残されています。

口蹄疫対策の教訓、新聞による評価

18日の朝日新聞が、今回の宮崎県での口蹄疫を振り返って、特集をしていました。10年前の成功が過信となり、今回の失敗につながったのではないか。市町村に、防疫と埋却を同時に求めるのは無理があるのではないか。机上の消毒と殺処分計画は機能しなかったことなどの反省を書いていました。また、各種のデータも整理されています。とかく新聞は、事件を細切れに速報することに偏しがちですが、この特集は振り返って評価をするという、良くできた記事だと思います。

新聞と編集者の権威と役割

古くなりましたが、8月8日の読売新聞一面「地球を読む」は、山崎正和さんの「報道の電子化」でした。報道の電子化によって、アメリカで新聞社が倒産、廃刊に追い込まれていることを、憂慮しておられます。
・・報道も出版も同じことだが、その最大の使命は情報を評価することであり、責任を持って選択した情報を世間に伝えることである。そのために新聞社も出版社も一定の権威を許されるべきであり、その権威を守るために社会の支援が与えられなければならない。
近代、権威主義への抵抗は時代の流行になったが、すべての権威がなくなれば文明は成り立たない。医療、教育、政治、法曹などどの分野を見てもわかるが、権威とは知的な分業のための社会制度である。これらの分野で誰が信頼できるかを、個人がいちいち事実に即して判断しようとすれば、頭に何万冊の人物興信録をつめこんでもまにあわない。
この選択を容易にするために国家は資格制度を設けているし、世間は評判というかたちで信頼の手引きをつくってきた。だが国家には腐敗の恐れもあるし、世間の評判には無責任に揺れ動く危険がある。そこで近代文明が発明したのが、ジャーナリズムであって、それ自体が権威である複数の新聞や雑誌が、情報を評価し取捨選択するという仕掛けであった・・
電子情報の氾濫が教えたのは、無限に多い情報は情報ではないという発見であった。また情報の価値付けについては、自然淘汰の法則は働かないばかりか、むしろ悪貨が良貨を駆逐するという現実であった。
今日の新聞の役割は社会的権威の是非はもちろん、日々の事件についてもその重要性を判別し、多忙な現代人が最低限でも知るべき情報を限定することだろう。専門分化の進む社会の中で、万人が共有すべき知識を選別することである。啓蒙とはいわないまでも、注意喚起が新聞の使命であり、そのためには熟達のプロが必要なのはいうまでもない。
出版も同じであって、編集者の仕事はまず筆者を選ぶことであり、原稿の主題と文体を評価することである。時流に反した言い方だが、言論の自由とは誰でも好きなことを好きなように書く自由ではない。電子出版はそれを可能にしたようだが、これは議長のいない大衆討議のようなものであって、言論が言論を打ち消しあう効果を招くだけだろう。出版社とプロの編集者は、真に自由で上質な言論の関守としてこそ不可欠なのである・・
いつもながら、鋭い見方ですね。