例によって、放ってあった本を、布団の中で読みました。坂上孝ほか著「はかる科学」(2007年、中公新書)です。この本にも紹介されていますが、クロスビー著「数量化革命-ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生」(2003年、紀伊國屋書店)を読んだ時は、目を開かれた思いをしました。ヨーロッパが世界に先駆けて「進化」したのは、時間(時計と暦)、空間(地図、海図と天文学)を数量化し、さらには音楽(楽譜)や簿記といったものを発明したことに起因すると述べていました。時間、距離、重さ、量などを、数字化したのです。その他、温度や明るさ、早さ、地震の大きさ、血圧に尿酸値など、科学技術はたくさんのものを、測るようになりました。
一方、測ることができないものも、たくさんあります。そして、表現しにくい、伝えにくいものも。
感情は、測ることも、伝えることも難しいです。悲しさ、うれしさは、「死ぬほど」とか「飛び上がるほど」と言いますが、その程度は本人しかわかりません。いくら同情されても。「あなたなんかにわからない」です。と言いつつ、時間が経つと、本人もその程度を忘れてしまいます。「死ぬまで忘れない」という恨みもありますが。
モノの価値はお金で計るようになりましたが、喜びや満足は、なかなかお金では測ることはできません。「金に換えられない」という言葉があります。「人の値打ちは金で計れない」とか、「かけがえのない命」も。
奥さんの優しさなども、数字で表せないですよね。「1キョーコ」「2キョーコ」といった単位があれば便利ですが。「私がこんなに愛しているのに・・」と言われてもね。夫の愛情を、指輪のダイヤモンドの大きさで測る女性もいるようですが。
音の高低や長さは数量化されましたが、メロディの心地よさは数量化されていません。人によって好みが違います。絵画もそうです。フィギュアスケートは、採点します。しかし、美しさを直接測ることはできないので、いくつかの採点基準を決めて測ります。
肌の痛みは、ある程度、各人に共通です。注射針の痛みは、たぶん共通でしょう。でも、「1注射」あるいは「3痛み」なんていう単位は、まだないのでしょうね。
客観的で、みんなが「触ることができる」ものでも、数量化できていないものもあります。匂いが代表でしょう。ワインも、フルーティだとか干し草のようなとか、比喩でしか表現されません。日本酒の「辛さ」は数量化されましたが、おいしさそのものは数量化されていません。ビールののどごしも。肌触りも、伝えにくい、数量化できないものでしょう。暖かい毛布の肌触り、冷たい金属の表面、ぱりっと乾いたタオル・・。