神保町古本祭

今日の東京は、おだやかな秋の日でした。神田神保町の古本祭を覗きに行ってきました。いやー、すごい人出です。通勤電車並みです。人の背中を見に行ったようなものでした。
それより、私にとっての課題は、次々と本を買ってため込むのでなく、買った本を読むことでしょう。さらには、読むこと以上に、書くことにいそしむべきなのですが。なかなか、エンジンがかかりません。待っていてくださる方も多いのですが、すみません。

良質な空間と良質な時間

時間ができたので、週末の美術館巡りを再開しました。また、買ってあった日本の伝統美関係の本や、デザインの本などを、つまみ食い的に読んでいます。
展覧会は、「さすがによいなあ」と思う作品に、出会えます。それを目当てに行っているのですから、当たり前ですかね。興味のない展覧会には行かないのですから。しかし残念ながら、休日の美術館は人出が多くて、ゆっくりとよい時間を楽しむことは無理です。人の頭を見に行っている場合も多いですね。学生時代、平日に行った上野の博物館は、怖いくらいに静かな時がありました。
その点、本は一人で没頭できるので、好きな時間と空間を作ることができます。よい美術、正確には好きな美術やデザインですが、言葉では説明しにくいです。なぜ惹かれるのか、数式で表せない良さですね。

教育の転換

28日の日経新聞連載「日本の教育」「学びの針路を示せ」から。
・・ゆとり教育を含む1970年代以降の教育改革は、明治初期、太平洋戦争直後に次ぐ「第三の教育改革」と呼ばれる。明治と戦後の改革は、それぞれ「富国強兵」「民主国家建設」といった大目標とつながり、教育が発するメッセージは明快で、人を律する動機づけにもなった。教育を受けた人材が社会革新や経済発展に携わる姿が、親世代の教育熱、子世代の学ぶ意欲を支え、教室に緊張感を生んだ。そんなダイナミズムが、今の教育にない・・
・・方向を失った日本の教育が、目標を打ち立てるのは容易ではない。作家の堺屋太一氏は「教育のあり方がわからなくなった」と言う。物材の豊かさが幸せを意味した規格大量生産の時代は、共通の知識・技能を持ち辛抱強い人材を育てればよかった。主観的な「満足」が幸せの尺度になった現代では、この手法は通用しない。どういう教育を施せば子供が幸せになるか、一義的に定まらなくなった。堺屋氏は「望ましい教育の姿がわからないなら、教育の消費者である保護者や子供に選ばせるべきだ」と主張・・

私が主張する「日本社会と行政の転換」と合致した主張です。ただし、戦後の教育の目標が「民主国家建設」とありますが、それよりは、豊かになるための労働者の創出の方が、主だったと思います。多くの家庭では、民主主義よりは、豊かになることが重要だったのですから。
そして、明治と戦後の転換には、欧米という目標・お手本があったのに対し、今模索している転換の目標は、「目標と幸せを探すこと」なのです。教育は、目標を次なるものに取り替えるのではなく、各人の目標探しを目標とするという、パラダイムの転換が必要なのです。日本の教育行政は、それに失敗しているようです。

近代日本の成功・本人の努力と環境の幸運と

近代日本が驚異的に成功した理由には、日本自身の努力(国民の努力と政府の舵取りが良かったこと)があります。しかし、日本の努力だけでは、こうも成功しなかったのではないかというのが、わたしの考えです。その際の、日本を取り巻く条件(国際的な条件)も、大きかったということです。
戦後の高度成長は、日本の努力だけでなく、競争相手がいなかった、追いかけてくる相手がいなかったことが、大きかったのです。アジア各国はそれぞれの事情で、日本を追いかけることができませんでした。それ故に、日本だけが先進国を追いかける利益を独占しました。1990年代になってアジア各国が追いかけてくるようになると、日本経済の優位性は、弱くなりました。このことは、何度かこのHPで書きました。
もっとすごかったのは、明治維新から日露戦争までです。東洋の島国が30年間で列強と伍するまでになるという、世界の歴史でもまれに見る大成功でした。維新の英雄たちの活躍がなければ、この成功はなかったでしょう。しかし、このときも、国際条件が幸いしました。
アメリカは南北戦争で忙しく、イギリスとフランス、ロシアは、クリミヤ戦争で忙しく、日本にかまっていられなかったのです。あの列強諸国が、侵略の手を控えた時期、19世紀後半に日本は、世界にデビューしたのです。アジア各国は、列強の支配や影響に悩みましたが、日本だけが、違う道を歩むことができました。日本が中国などと比べ、富国強兵・殖産興業につとめたことは、評価されるべきでしょう。しかし、ペリー来航が1800年だったら、どうだったでしょうか。もちろん、アメリカの事情で、そんなことはありえませんでしたが。
近代日本の歴史で、この二つの時期、19世紀後半と20世紀後半の日本の驚異的成功は、日本だけでなく、世界の歴史として記録されるでしょう。しかし、もしその時期が半世紀だけ、前か後にずれていたら、これほどの成功はなかったでしょう。
勝者は成功を自分の功績としたがり、敗者は責任を他者に負いかぶせたがります。真実は、しばしばその中庸にあります。あるいは、視野の外にあります。

近年の日本の経済発展

中井浩之著「グローバル化経済の転換点」(2009年、中公新書)を読みました。今回の国際金融危機と、その背景の国際経済を、わかりやすく簡潔に説明しておられます。一生懸命輸出してお金を貯める「アリの国」と、借金をして輸入をする「キリギリスの国」というわかりやすい表現で、世界貿易と金融の不均衡を解説しておられます。問題は、キリギリスの紙幣で、アリは貯金をしている・金を貸しているということです。詳しくは、本をお読みください。
もっと本格的な類書もあるのでしょうが、新書という大きさが、私たちには読みやすく、ありがたいです。
特に、この20年間の日本、アジア各国、世界の経済成長が、わかりやすく図示されています。その間に、世界の経済は大きく拡大し、特にアジアの発展が著しいです。欧米も、そこそこ伸びています。そして、日本が、伸び悩んでいます。
拙著「新地方自治入門」(2003年)では、驚異的な経済成長で欧米に追いついた日本を背景に、日本の行政を解説しました。その後、アジアの国々が急速に追いついてきて、一方、日本は新たな発展に進むことができませんでした。2010年には、GDP総額で中国に抜かれることは、確実だそうです。もちろん、人口に10倍の差があるので、国民一人当たりの額では、10倍の差があるということですが。「世界第二位」とか「非白人国で唯一成功した国」といった表現は、過去のものになります。
では、日本はどうすればよいか。それは日を改めて、書きましょう。