ガバナンスや地域の経営まで視野を広げると、政府(行政組織)は、公共サービス提供の一主体でしかありません。その他にも、公的サービスを提供している、提供できる組織や人はたくさんいます。NPO、ボランティアに限りません。生命を扱う病院や、教育を担う学校なども、私立は多いのです。官が公共サービスを独占しません。
すると、住民が公共目的を達成するために、どのような手法をとることが効果的かまで広げて議論するようになります。ある政策を実行する場合に、企業で担えるか、NPOでできるか、それとも官が担うかを、選択するのです。こうなると、「行政学」という表現は狭く、「公共工学」と言った方が適切かも知れません。
ここには、近代ドイツ国家学からアメリカ社会学への、国家観の転換があります。ドイツ国家学では、社会は弱肉強食なので、中立公正な国家が秩序をつくります。民(社会)と官(国家)は、峻別されます。一方、アメリカ社会学では、人が集まって会社を作り、人が集まって自治体を作ります。そして政府もつくります。行政機構も会社と同じく、住民の目的のためにつくったものです。官と民との間には、垣根はありません(このことは、「不思議な公務員の世界-ガラパゴスゾウガメは生き残れるか」に書きました)。