232日の朝日新聞に、片山善博前鳥取県知事の、道路財源についてのインタビューが載っています。
・・道路が要るか、要らないかという議論はほとんど無意味。要る道路は要るし、要らない道路は要らない。1本ごとに審査し、教育など他の施策とどちらが優先度が高いか議論すればいい・・
(多くの首長が暫定税率維持を訴えていることについて)
そう言うのは、自治体の財政しか頭にないからだ。「民のかまどを考えたら減税を」という主張が少しでも出るのがバランスというものだが、知事会にそんな人はいないし、市長会も(暫定税率維持を求める署名をしなかった)6人以外は国土交通省の言う通り。残念だ・・地方6団体は総務省の外郭団体。情けない。この間まで、三位一体改革で「一般財源化しろ。自由をよこせ」と言っていた人たちが「道路にしか使えないように縛って、縛って」。緊縛趣味のマゾヒストですよ・・
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パソコンに見るビジネスモデルの革新
21日の朝日新聞私の視点、佐々木俊尚さんの「ヤフー買収劇、新たな潮流に沈む帝国」から。
・・80年代まで、コンピュータの世界を支配していたのはパソコンだった。日本ではNECのPC98シリーズがパソコン市場を寡占し、PC98上で動作するソフトでなければ売れなかった。パソコンこそがプラットホーム(コンピューターの動作基盤)であり、パソコンメーカーこそが覇者だったのである。
だが90年にマイクロソフト(MS)が「ウインドウズ3.0」という基本ソフト(OS)を発売すると、状況は変わった。ウインドウズ向けのソフトはどんなパソコン上でも動作し、パソコンの機種の違いを吸収したからだ。この結果、パソコンメーカーの支配力は役に立たなくなり、覇権はMSに渡った。MSはさらに、ワープロや表計算ソフトをウインドウズとなかば統合し、この分野でも市場を支配した。
ところが、2000年代に入って、新興ネット企業のグーグルが登場すると、MS帝国の屋台骨は揺らぎ始める。グーグルの最大の成功は、電子メールや検索エンジン、記事購読など情報やりとり部分に広告を連動させ、巨大な収益を上げるという新たなビジネスモデルを展開したことだった。グーグルは、有料で提供されるべきだと考えられていたインターネットの記事やサービスに広告をつけることで、無料に提供する手法を編み出し、世界最大の広告会社にのし上がった。
グーグルはさらに、インターネットを閲覧するソフト上で軽快に動作するワープロや表計算、電子メールなどのソフトを提供するようになった。これらは必要なときにネット経由で供給され、閲覧ソフトさえ動いていれば、OSの種類は問わない。しかも無料だ。この仕組みは、インターネットという雲(クラウド)につながるだけで様々なソフトが利用できるから、「クラウド・コンピューティング」と呼ばれる。いまや、ウインドウズによる市場支配にも破壊的な影響を与えつつある・・
なるほど、そういうことだったのですか。よくわかりました。まず、IBMなどの大型コンピュータの時代があり、次にパソコンの時代になりました。ここまでは、ものが小型化する時代です。次に、その上に載るOSという「ソフトウエア」が支配する時代になり、さらにはインターネットをどう利用するかという知識の時代に進んだのですね。これが、10年ごとに革新するのですから・・。
詳しくは原文をお読みください。
作り上げる過程
ドイツでは、連邦と州との間の権限改正の議論がまとまり、関係法が改正される見通しになったとのことです。ポイントは、連邦参議院(州代表で構成)で審議する法律が、これまでの全法律の70%から40%程度まで減少すること、連邦と州との競合的立法であった項目のいくつかが州へ移管され、またあるものは連邦の専属になります(デュッセルドルフの石山英顕君の教示によります)。ドイツでは連邦制度の改革ですが、日本でいえば国と地方の権限整理・分権に相当するでしょう。
こう言えば簡単に聞こえますが、結構、紆余曲折があったようです。まずは、2003年に改革委員会が発足し、1年あまり議論を重ねましたが、教育行政の権限を巡って対立し、成果を出せないまま2004年には解散しました。昨年秋の総選挙を受けて、お蔵入りになっていた報告案について合意にこぎ着けたようです。もっとも、連邦と州との財政調整については、訴訟になるなど対立が続いていて、改革その2は困難と予想されています。
これを読んでいて、いずこも同じだなあと思うとともに、次のようなことも考えました。私たちは、明治以来欧米先進国の制度を学びに行き、それを輸入しました。そして、最新の最高と思われる制度や技術を導入することができました。しかし、各国とも、考えた制度を簡単に導入できたわけではありません。いろんな試行錯誤、利害の対立、妥協を重ねて、たどり着いたのでしょう。
ところが、完成品を輸入することに慣れた日本は、制度とは輸入すればいい、完成品はすぐに適用できると、思いこむようになったのではないでしょうか。何か問題が生じると、すぐに「海外視察」を行うのも、この一環かもしれません。
よりよい社会を作ること、そのための制度を作ることが政治なら、政治とは設計から実現までの過程を含んだものです。そこには、利害関係者の協議と妥協がなければ、合意にはたどり着きません。100点満点の答えがあって、全員一致で賛成するということはほとんどないでしょう(発展途上国ならそういうケースが多かったのでしょうが)。またそういう制度の導入なら、それは「政治」とは言わないと思います。
日本は、結論だけを輸入することで、作り上げる過程を重視しない、説得と妥協を軽んじる社会になったのではないでしょうか。これは、時には理想を美化して、妥協を批判することにもつながります。
新しい社会問題に対し、どのような対策を考えるかといった構想力とともに、どのように実現するかという「過程力」も、政治の大きな要素だと思います。
朝日新聞は8日から、「自民総裁選、点描・次への課題」を始めました。第1回目は格差問題として、都会と地方が取り上げられています。「全国2109集落消滅の危機」「地方は置き去りか、東京だけ別世界」というのが見出しです。(3月8日)
3日の読売新聞「地球を読む」は、佐々木毅教授の「中流の解体、安定の基盤どこに?」でした。
「この『中流の解体』現象は『国民』経済の解体、経済のグローバル化の進展とともに先進各国において発生した。雇用の安定と社会保障の確保が経済活動の目標であったかのような『国民』経済の時代から、利益の極大化を求めて熾烈な競争を繰り広げるグローバル化の時代への変化は経済・社会システムを大きく変えることにつながった。『中流の解体』はその一つの帰結であった」
「ここでは2つのポイントに絞って議論を展開したい。第一は政府に可能な施策にはどのようなものがあるかという点である。グローバル化に直面した各国政府はおしなべて人的資源の充実へと政策の舵を切った。政府が所得水準を国民に保証する手段をもはや持たなくなった以上、可能な限り、機会を活用する能力を育成することによって政策を代替しようとしたのである」
「第二は所得格差の政治的帰結である・・20世紀中葉に樹立された中流型社会は民主主義の安定にとって重要な基盤であったが、日本においては着実な経済成長とこうした中流型社会の形成は、民主政治の安定にとって決定的な役割を果たしてきた。経済成長の成果を政府を通して全国津々浦々にまで均霑し、巨大な中流型社会を作り上げたのが伝統的な自民党政治であった・・・小泉政権がこうした伝統的な統治スタイルに明確に決別を宣言し続けたことは確かである。この古い利益政治が基盤を失ったとき、政治はどこに政治的統合の基盤を求めるかが次の問題となる」(2006年4月3日)
日経新聞は3日から、「日本を磨く」の連載を始めています。4日は中西寛教授の「アジア統合『扇の要』に、重層的強力束ねよ。国内、21世紀型制度確立を」でした。
「・・・しかし、いわゆる小泉改革は、必要な制度改革の端緒をつけたに過ぎない。福祉、医療、財政の基本構造を高度成長型から少子高齢型へ、すなわち20世紀型から21世紀型へと抜本的に転換させることが急務である。そしてこうした大変革を断行するには、これからの政権が小泉政権のトップダウン型の政治スタイルを基本としつつも、それ政策補佐機能の充実や指導者と国民とを結ぶ制度の確立で支えていくことが不可欠となる」
「ここで政策補佐機能の充実とは、官僚機構の位置づけの変更という歴史的な改革を意味する。明治期に形成された日本の国家官僚制は、全国から優秀な人材を中央に吸収するメカニズムとして高度成長期までおおむね有効に機能したが、今や空洞化し・・・一般官庁は地方への権限移譲、さらには道州制などの導入によってその主な役割を縮小させていくはずであり、そうした流れは続くであろう」(4月4日)
予算を審議しない予算委員会
谷垣財務大臣が、予算委員会で予算案の質疑が少ない現状をぼやいて、「もう少し財政や予算にも焦点を」と発言されたと、22日の各紙が伝えています。そうですよね。特に集中審議が行われているテーマは、BSE、耐震偽装、ライブドア問題など「社会問題一般」で、予算とは関係ありません。現に、財務大臣が答弁する機会はほとんどないのです。これについては、このHPで解説したことがあります。→「国会というところ7」
私は、これを、日本の政治がまだ20世紀の思考に捕えられていることの表れだと考えています。予算委員会という名前は、「政治が予算である」という思考を引きずっているのです。例えば名前を「国政一般委員会」とし、予算は「財務金融委員会」で議論すればいいと思います。財務大臣が毎日委員会に張り付いて、BSEやライブドア問題を聞かされるのは、やめた方が良いですよね。
知事が地域の雇用を考えるとき
21日の朝日新聞「私の視点」に、平井伸治鳥取県知事が「ハローワーク、地域に合った住民本位の工夫を」を書いておられます。
・・昨年11月末になって、今度は県内5か所のハローワークのうち2か所を閉鎖するとの国の方針が出され、怨嗟の声が上がった。狙われたのは県内でも求人倍率の低い地域で、昨年12月には0.36倍まで低下したところもある。地域を挙げて産業振興を図り、働く場を何とか確保しようとしている矢先に、仕事を探し求める場が閉ざされてしまう不条理。年末にこれらの問題を国に訴え、求人開拓員を雇う県など他にない、と桝添厚労大臣に閉鎖撤回を直談判したところ、撤回こそならなかったが、求人開拓の職員増をはじめ閉鎖代替支援の特別の温情が国から示されるに至った・・そこで新年度から、閉鎖される区域に鳥取県独自で「ふるさとハローワーク」を創設することにした。ハローワークは国の組織という固定観念にとらわれず、国の支援を活用し、県職員も加え、市町も協力して新組織をつくるのである・・
知事が、地域の雇用を考えることさえ、「国の温情」にすがらなければならないのです。