政府機能の見直し・国の出先機関の地方移譲など

昨日の諮問会議、出先機関地方移譲については、29日の日経新聞朝日新聞が大きく取り上げていました。そこでは、「省庁の抵抗、必至」「官反発、予算・ポスト直結」という見出しがついています。
また、読売新聞は、地方分権改革推進委員会の解説として、出先機関見直しを取り上げていました。
記者さんとの会話
記:いよいよ進みますかね。総理の指示も出ましたし。
全:それは甘いで。新聞に書いてあるように、霞ヶ関は大反対らしい。
記:なぜ、反対するのでしょうか。だって、職員の身分が、国家公務員から地方公務員になるだけでしょ。
全:そうなんよ。地方機関の職員の大半は地元採用で、勤務地も変わらないんだけどね。
記:首を切るとか、事業予算が減るとかと違いますよね。行革といっても、国民生活にな~んにも影響ないですよね。リストラを進めてきた民間企業からすると、理解できませんよ。
全:そうだろうね。伊藤忠で大リストラをしてこられた丹羽会長からすると、理解不能だろうね。
記:受ける知事会は、引き受けても良いと言っているし。クビを切るわけでもないでしょう。反対する官僚は、エゴとしか見えないんですけど。
全:そう言われても仕方ない。
記:決めるのは誰ですか。
全:それは、総理だ。官僚は内閣の従業員で、各省の組織は内閣の下部組織だから、社長である総理が決めること。官僚が反対しているけど、それは従業員の抵抗であって、この場合は被告人でしかない。被告人が決定権を持っているわけではないのよ。
記:官僚が国家の将来を考え、彼らが決めているというのじゃないのですね。
全:日本国憲法には、そんなことは書いていない。行政=内閣の責任者は総理であって、官僚は従業員。
記:でも昔は、官僚が日本を引っ張っていったのでしょ。なぜ、官僚は、国家を考えなくなったのでしょう。
全:近年の官僚は、そういう訓練を受けていないんだろう。「大連載」の3月号と4月号に、そのあたりを解説しておいたので、読んでね。

経済財政諮問会議「政府機能の見直し」国の出先機関の地方移譲など

今日28日に経済財政諮問会議が開かれ、「政府機能の見直し」が議題になりました。
「国と地方の仕分け」にあっては、国の出先機関の地方移譲が議論されました。昨年5月25日に諮問会議民間議員が、21万人いる出先機関職員を、国に残すもの10万人、地方へ移譲するもの10万人とに切り分けました。それを基に、地方分権改革推進委員会で検討していますが、委員会から全国知事会に、検討を再依頼しました。その結果が、このHPでも紹介した、2月8日の知事会案です。今日は、麻生知事会長と山田京都府知事が諮問会議に出席し、その案を説明されました。
民間議員は、知事会案を高く評価し、次の工程を提案しました
分権改革推進委員会で議論を加速し、仕分けの基本的考え方などを「骨太の方針2008」に盛り込む。さらに、分権改革推進委員会から、権限、組織・定員等を含めた出先機関改革の具体案を提示してもらい、これを実現するための計画を政府は平成20年度内に策定する、というものです。
またそこには、「各省は地方移譲について反対とのことであるが、現行の組織と職員をあわせて移譲することにより、事業執行についての不安は払拭されるはずであり、どのような弊害が具体的に生じるかを明確に示す義務がある」とも指摘されています。
総理からは、「国の出先機関の改革は、丹羽委員長が大変苦労をしておられる。これは、ぜひ精力的に審議を進めていただいて、地方出先機関改革の全体像を示してほしい」との発言が、あったそうです。
こうして国と地方を仕分けした後、国に残ったものについては、官と民の仕分けをします。それが市場化テストで、これについては対象を拡大することを提言しています。そして次に、現在の事務をスリム化するだけでなく、新しい事務の無用な拡大を防止するため、規制を新設する際のチェック強化を提言しています。

日本の停滞、イギリスの見立て

2月27日の日経新聞に、イギリス・エコノミスト誌の特集記事が、紹介されていました。「なぜ日本は失敗し続けるのか」です。
「・・日本経済が回復できないのは、改革の歩みを止めた自民党、党内の意思統一ができない民主党など「政治家」が元凶だと指摘した・・日本停滞の責任の一端は増益を記録しながら賃金を引き上げない企業にもあると指摘。改正建築基準法による住宅着工大幅減など官僚の失敗にも言及した・・」
20年以上前だったら、イギリスに、このような見立てをしてもらうことは、あり得なかったですね。「老大国」と言われたイギリスの復活が、うらやましいです。

中先生のコンサート

今日は、中博昭先生のコントラバス・コンサートへ行ってきました。先生は、元N響の首席コントラバス奏者です。私が富山県勤務の時、魚津短大の学長をしておられました。なんと、下手なフルートで一緒に演奏させてもらったこともあります。その時は大勢でした。先生から楽譜を渡され、「これを練習して、一緒に合奏しましょう」と言ってもらいました。残念ながら、私が一定水準に達せず、そのご指示は守れませんでした。
楽壇生活50年!77歳のお祝いをかねての会でした。演奏会の後は、場所を変えてパーティーへ。魚津から応援団が大挙して押しかけていて、それは賑やかでした。「今日は、フルートを吹かないの?」とか聞かれ、最近の練習不足を反省しました。

世界経済の変化

2月19日の日経新聞経済教室「最高・基軸通貨ドルの行方」で、ウォーラーステイン氏(世界システム論で有名)が、「世界システム、多元的に。覇権の維持難しく。崩れる世界経済の優位性」を書いておられます。歴史と地政学と経済学から、大きな流れて分析してあり、勉強になりました。
そこで学んだことの一つに、世界経済の歴史区分があります。私は、日本の経済を、戦後から石油ショック(1978年)までの高度成長期、石油ショックからバブル崩壊(1991年)までの低成長期、その後現在までのデフレ期の、3つに区分して説明しています。1945年から1955年までの戦後復興期を入れると、4期です。
ウォーラーステイン氏は、1945年から1973年までを第1期として、コンドラチェフの波の上昇期とします。これに続く1970-73から現在までの第2期が、コンドラチェフの波の後退期に当たります。第1期は日本も驚異的な経済発展を遂げましたが、西欧もまた同様で、世界経済の生産と利益が驚異的に拡大しました。第2期は、工業生産の収益性の低下と低賃金地域への工場移転、世界的な失業率上昇と資本大国(日米欧)による雇用喪失の負担の押し付け合いになったこと。工業生産から金融市場での投資・投機へと向かう資金フローの変化とそれに伴う長期的バブルの生成、国家間や各国内での所得配分の顕著な二極化などを指摘しています。
私は、1978年以降の日本経済を、バブル前後で二分しています。しかし、このように世界経済から捉えると、世界経済全体の変化があり、前半は押し付け合いゲームで勝っていた日本、後半はそれに負けた日本、という構図が見えてきます。日本経済の変化も、日本独自による部分と、世界経済の変化によるものと、二つに分けて説明しなければなりません。そして、不可避の部分と、対応可能なものとを分析しなければなりません。
そのほか、地政学的的な分析もあり、なるほどと思うことが多かったです。