17日の日経新聞「やさしい経済学ー21世紀と文明」、田中直毅さんの連載「多元化する世界と日本」から。
・・第二次大戦後の経済史は、主権国家とこの枠を超えようとするものとの対抗として描くことができる。通貨をめぐる経済政策の変遷は、明らかにその中心に位置する・・
ドル紙幣の半ば以上が米国以外で使われるという歴史的展開に伴い、米国の金融政策が米国経済の内部のみに焦点を当てて行われてよいわけではないとの認識が広まる・・この非居住者が保有するドルの発生に始まる、主権国家と自由を求めるカネの流れとの間の相克の中で、ついに主権国家の方が自由なカネの流れを前提として受け入れたうえで、自らの守備範囲を制限する方向に転じたのである・・
ユーロの創設の過程で、主権国家の内側の問題とされた金融と財政の枠組みが、主権国家を離れることになった。価値保蔵という機能を持たされる共通通貨の受容とは、金融と財政に関する主権の放棄につながらざるをえなかった・・欧州連合諸国では、景気刺激のための金融と財政の組み合わせという概念が消えた。
バブル崩壊後の日本では、不況ならば歳出増と金融面からの刺激という提言が、経済学者から相次いだ。前提は、主権国家の内部におけるマクロ経済の整合的な運営という「神学」であった。結果として、文明史の読み誤りであった・・