月別アーカイブ: 2007年12月
消費者や生活者の視点に立った行政へ
キャリア官僚の責任
コンパクトシティー
16日の朝日新聞は、「低炭素社会へ。コンパクトな街、注目」を解説していました。車社会の代表として、市街地がドーナツ化した宇都宮市と、コンパクトシティーに踏み出した富山市を紹介しています。地球温暖化という視点以上に、住みやすい街・財政が伸びない時代の街を考えたときに、コンパクトな街と車に頼らない街は重要です。
雪国では、冬の道路の除排雪に膨大な経費がかかります。山の中の一軒家から街の中に降りてきてもらうと、住民も市役所も大助かりです。もちろん、強制することはできず、誘導になるのでしょう。かつて炭焼きと稲作では暮らしていた山村での暮らしは、成り立たたなくなりました(昭和30年代の生活水準なら暮らしていけますが)。
中心市街地を発散させた責任は、行政にもあります。一つは、市役所庁舎や警察署などを、町中から郊外に移転しました。新しい文化ホール、高校、老人ホームも、町はずれにつくってしまいました。用地買収や土地代を考えて、50年というまちづくりを考えませんでした。もう一つは、ゾーニング(用途地域の指定)を、十分に考えなかったことです。どこをにぎわいの場所にし、どこは田園で残すかです。そこで、土地代の安いところやバイパスの沿道に、無秩序にいろんなものが立ち並びました。田んぼの真ん中に住宅も建ちました。右肩上がりの時代が終わり、ようやくこのような議論が真剣にされるようになりました。
社長と課長の違い
15日の朝日新聞別刷りbe、河原春郎ケンウッド会長のお話から。
東芝時代の28歳、アメリカのGE工場に派遣された時の強烈な体験。
・・当時日本で「開発」といえば、海外製品のまねを意味した。だが、米国で体験したのは「世の中にないものをつくり出す」という、まったく次元の違う作業。人種も性格も様々な技術者たちが、議論しながら頭の中にあるアイデアを形にしていく。発言しないと「会議に貢献しない人間はいらない」。自分のイメージを正確に他人に伝えるために、絵や文章に具体的に落とす作業がどれだけ大事かも、この時に学んだ・・
・・社長と課長の視座は違う。リスクの小さい計画をいくら足しても会社の戦略にはなりません。社長の仕事は、全社のリスクを負って方向性を決めること。多くの社長はそこも部下に下請けさせるから、外から大波をかぶったときに判断できない。
面白いたとえがあります。入社して「煙突」の中をはい上がり、社長や役員になって煙突を抜けパッと視界が広がる。自分は金箔をつけて出てきたと思っても、外から見ると煤だった。そんなギャップがある・・
「41年間東芝に勤めた生え抜きなのに、なぜそのギャップが生まれなかったのですか」との問いには、
・・僕は会社では「エイリアン」でしたから(笑い)。28歳でGEに行き、「世界とはこういうもんだ」と思って帰ってきて20年、「あいつは変だ」といわれ続けた・・