20日の朝日新聞変転経済は、「金融危機10年」第1回でした。1か月の間に、三洋証券がコール市場で初のデフォルトを起こし会社更生法申請、北海道拓殖銀行が都銀では初の経営破綻、山一証券が大手では初の自主廃業、そして仙台の徳陽シティ銀行が経営破綻し、全国の多くの銀行で取り付け騒ぎが起きました。心配になった預金者が、ほかの銀行にも預金を下ろしに集まったのです。
取り付け騒ぎを静めるために、政府は、預金と銀行間取引の安全を保証する声明を出しました。その後、金融システムを守るために、巨額の公金が投入されました。破綻した銀行を、一時国有化することをも行われました。今も続いています。
いくつもの課題と教訓が残りました。1990年代初めから、いくつかの銀行が経営危機に陥り、また予備軍もいるといわれ、銀行(金融システム)を守るために公金を投入すべきだという議論はありました。しかし、なかなか実現しませんでした。大議論をして、住専処理のために入れたのが1995年、6850億円でした。最終的には、70兆円を用意しました。もっと早くに大きな額で投入しておれば、被害は少なかったのではないかといわれています。
もっとも、なぜ銀行だけを特別扱いするのか(普通の企業が倒れても公費では救いません)という意見も強く、また銀行の方も「自分のところが危ないと思われる」という意識で最後になるまで自らは救いを求めませんでした。大手銀行や証券会社が倒産し、取り付け騒ぎが起きたからこそ、巨額の公費投入が、国民の理解を得たのです。
また、それまでは破綻させることなく護送船団で守る、どこかの銀行に救済合併させるというのが行政の方針でした。そして、行政当局が、どの程度それら金融機関の経営悪化を把握していたのか、という問題も指摘されています。
バブル崩壊から立ち直りつつあった日本経済に、追い打ちをかけたのが1997年の金融危機でした。護送船団方式という行政のあり方を変え、危機の場合は巨額の公金を投入しなければならないという経験を残しました。その後、破綻した企業を、国策会社(産業再生機構)が再生するという手法も導入しました。大学生にとっては、小学生の時の話で、知らないでしょうね。行政学にとっても、大きな教材です。連載に期待しましょう。