最低賃金

最低賃金の引き上げが、ニュースになっています。中央最低賃金審議会が目安額を示し、各県の審議会がそれに沿って県ごとの金額を決めます。毎年のことが、今年特に話題になったのは、ワーキング・プア問題からです。一部の地域では、最低賃金が生活保護費を下回っているのです。これでは、何のための最低賃金か、わかりません。
平均額は687円です。これは先進諸国では、突出して低いのです。イギリスフランスは1,200円程度だそうです。ちなみに、私の近所のアルバイト募集は、時給800円とか、850円です。
5日の産経新聞「明解要解」が、わかりやすく解説していました。昭和34年に、日本の最低賃金法が制定された際に、18歳の単身者の賃金を基準にしたそうです。親と同居していることが多く、一人で自活する金額ではなかったとのこと。さらに、企業の支払い能力を、考慮しているからです。
ここが議論になります。企業からすれば、最低賃金を引き上げると、会社がつぶれて、ひいては雇用を守れないことになります。一方、ヨーロッパ流では、最低賃金を支払えない企業は、市場から退出してもらうという考え方です。
短期的には、最低賃金を払えない企業が困りますが、長期的には高い賃金を払える企業だけが残ります。そして、給与水準が上がります。良く似たものに、円高があります。円高になると、その水準でかろうじてやっている輸出企業は困ります。しかし、長期的には、国際競争力のある企業が残ります。日本の国力も、上がります。いずれも、短期的困難と長期的好結果があるのです。
ところで、生活保護が国民としての最低限度の基準とすれば、それを下回る賃金は、憲法違反といえないでしょうか。生活保護費との差を公費で補填すべし、という議論が出てこないのでしょうか。
しかし、一番の課題は、退出した企業の代わりに、労働者を受け入れる職場をどう作るかです。地方では、それがなくて困っています。長期的には、市場経済が解決してくれるのでしょうが、今働いている人たちが、困るのです。

守られない決意

9月になって、本業も忙しくなりました。副業の方も、大学での授業の準備に、本腰を入れなければなりません。10月1日には、関西経済同友会から講演のお招きをいただきました。テーマは、道州制についてです。大論文「行政構造改革」も、第3章に取りかからなければなりません。土日にしかまとまった時間が取れないので、今週末はこれらに専念しましょう。(9月7日)
と書きましたが、なかなか思ったようには、いきませんでした。雑用に追われ、さらにキョーコさんのお供で美術館に行ったり、ほかの本を読んだり。これが、人生でしょう。でも、ダイエットには少し成功しました(笑い、というか笑ってごまかす)。

小西先生の本

9日の日経新聞読書欄で、金井利之東大教授が、小西砂千夫関西学院大学教授の「地方税制改革の政治経済学(2007年、有斐閣)の書評を書いておられます。
・・地方財政制度およびその改革に関する書籍は数多いが、久々に、学問的に読み応えのある労作が刊行された・・
・・著者のメッセージは明確である。地方財政制度は市場主義では構築できず、一国の内政安定という統治や、地域間・自治体間での相互扶助という視点が不可欠である。慎重に検討すれば、分権改革と格差是正、あるいは、自治と統治の両立しうる「狭き門」は存在する。必要な仕事に必要な財源を担保することが財政の基本であり、地方財政計画の収支ギャップの解消が必要である。そのために、地方税の標準税率の引き上げをして「小さな地方政府」という呪縛から脱却することを著者は提言する・・
この本については、7月にここでも紹介しました。金井先生が読まれると、どのような書評になるか、詳しくは新聞の原文をお読みください。もちろん本も。

中国製品なしの暮らし

8日の朝日新聞「ひと」の欄で、アメリカの作家である主婦が紹介されています。クリスマスのプレゼントで気づき、家の中のものを見たら、ほとんどが中国製。そこで、中国製品なしで1年間を過ごし、その体験を本にしました。家族も、大変だったようです。そして、中国製品なしでずっと暮らすのは、非現実的だそうです。
日本製品なしで1年間は、頭にないとのこと。「生涯、日本車以外には乗れないから」だそうです。ありがたいですね。

大店法緩和

8日の朝日新聞変転経済は、大規模小売店舗法緩和でした。中心市街地への、大型スーパー出店を抑える目的の法律でした。日米構造協議を受けて、徐々に緩和され、最終的には廃止されました。そして、郊外・ロードサイドに大型店ができ、中心市街地は寂れました。もちろんその背景には、地方の車社会があります。
市街地でのスーパー対商店街という対立が、市街地対郊外店の対立に変化していたのです。経済合理性と言えばそれまでなのでしょうが、車のない子供やお年寄りには冷たい社会です。また、町のにぎわいがなくなることは、町の再生産に失敗したと言うことでしょう。町のパンフレットを作るときに、「我が町の繁華街です」といって、ロードサイドの大型店の写真を載せるのでしょうか。
ヨーロッパでは、少々不便でも郊外型大型店を規制しているところもあると聞きました。まちづくりをどう考えるかということです。