今日は、朝から上野の博物館へ。東京博物館で、「京都五山、禅の文化展」、引き続き、東京芸大美術館では「金刀比羅宮書院の美― 応挙・若冲・岸岱 」と「歌川広重《名所江戸百景》のすべて」、東京都美術館では「トプカプ宮殿の至宝展」、最後に西洋美術館で「パルマ-イタリア美術、もう一つの都展」と「祈りの中世-ロマネスク美術写真展」を。
1日にこれだけ見ると、芸術鑑賞というより、体力勝負、行みたいなものです。一つ見るだけでも、くたびれるのに。しかも、禅の文化は墨の文化で黒と白、わびとさびなのに対し、トプカプ宮殿は金銀、ダイアモンド、ルビーにエメラルド。パルマも色彩で勝負ですから、余韻に浸るどころか、頭を切り換えなければなりません。欲張ったので、邪道でしたね。ただし、美術館の中は涼しいです。しかし、まだいくつも見たい展覧会があるので、夏休み中にもう一度、行を決行する予定です。
博物館で見ると、京都の禅寺の美術品が、一か所でまとめて見ることができて便利です。ところが、あの境内の中、お堂の中で見ないと、もう一つありがたみがありません。禅の文化という感じがしないのです。南禅寺にしろ相国寺にしろ、やはり、伽藍を見て、庭を見て、その雰囲気にならないと実感できないのでしょうね。贅沢を言っています。
今日は、終戦の日。多分観客は少ないだろう、と思って出かけたのですが、結構な人出でした。で、一番良かったのは、ロマネスク美術でした。写真展だし、点数も多くなく、経費は最もかかっていないでしょう。でも、ほっとしますし、なんといっても観客が少なくて、ゆっくり見ることができたからです。これも、邪道な感想ですね。
65歳以上は、無料だったり割引です。私はもうじきだなと思って(といっても、10年以上あります)考えていたら、周りの人は半分以上、そうとおぼしき人たちでした。これだと、そのうちに高齢者割引は、廃止されるかもしれません。
月別アーカイブ: 2007年8月
司法と民主主義
日経新聞1面連載は、「試される司法、先輩国の教え」を始めました。第1回目は、根付く市民参加です。
裁判への市民参加は、民主主義の補完だと思います。王や貴族、天皇や武士、官僚に政治を任せるのではなく、国民・住民が政治を担うことが民主主義でしょう。その責任を、国民が引き受けたのです。投票に行く、税金を納めるだけでは、「あなた任せ民主主義」でしかありません。「専門家に任せておいてはよくないこともある」ということが、いろんな場面で表れています。もちろん、国民が毎日、政治に参加することは不可能ですから、専門家に任せる部分も必要ですが。
お盆休み
私も、今週は夏休みを取っています。昨日と今日は、奈良の実家に里帰り。両親は、いろいろ故障を抱えつつも元気なので、ありがたいです。広い畳の部屋でごろんとなっていると、同じ暑さでも、東京の狭い部屋で横になっているのと、体感気温が違います。田舎の家と町の中の家では、そよぐ風も違うから、気温も違うのでしょうね。それにしても、東京の6畳と奈良の6畳とでは、えらく広さが違います。向こうの座敷はもっと広いし、障子を開け放せばさらに広くなります。
大目次
「岡本のホームページは、どこに何があるかわかりにくい」とのご批判に応えるため、「大目次」を作りました。これで、全体像が見えるでしょう。
デフレの慣性
12日の朝日新聞「補助線」は、西井泰之編集委員の「低温経済を読み解く、大胆な変革が呪縛を解く」でした。
・・1990年代後半、物価を成長に必要な通貨供給量との関係でとらえるマネタリストを中心に、大胆な金融緩和を求める声が強まり、日銀は量的緩和策に踏み込んだ。金融はじゃぶじゃぶに緩和され、最近では需給バランスも指標上は回復したのに、デフレだけが残った・・
吉川洋東大教授が指摘するのは「デフレの慣性」だ。「企業は価格を上げられないと考え、消費者や労組も価格や賃金は上がらないと考える『デフレ期待』が定着してしまった』と。結果、需要の勢いが弱い。
バブル崩壊後の長い停滞。企業は激しい競争にさらされ、個人もリストラの渦に。雇用や老後の不安に応える「改革」も進まない。通貨供給量を増やしても、前ほど投資や消費に回らなくなった。「将来に自信が持てない成長期待の低下」が、経済を縮こまらせているというわけだ。
日銀幹部は「日本経済が低温体質になった。金融政策だけで『期待』を変えて物価を上げるのは無理だ』という。長い停滞の「呪縛」から抜け出し、時代の気分をどう変えるか。例えば大胆な地方分権、社会保障費を中心にした歳出構造への大幅な組み替えなどはどうだろう・・・