朝日新聞16日の変転経済は、「改革の源流、日米構造協議」でした。1989に始まった日米構造協議で、90年1月にはアメリカが対日要求リストを提示しました。大規模小売店舗法の撤廃、独占禁止法の強化の他、公共投資の増額まで入っていました。それまで、日米交渉に縁のなかった自治省までが、巻き込まれました。日本は渋々ながら、これらを受け入れました。
アメリカは、財政赤字と経常赤字の双子の赤字に悩み、プラザ合意で為替調整をしても縮小しない日米貿易不均衡にいらだっていました。一方日本は円高不況を乗り越え、バブルに入っていました。
日本でも、前川リポート(1986年)などで、改革の必要が提唱されていました。しかし、自発的には進まず、外圧によって進んだのです。当時、日本で主張しても実現しない政策は、アメリカに「告げ口すると」実現すると、揶揄する人がいました。佐々木毅先生は、この政策過程を「横からの入力」と分析しておられました。「いま政治になにが可能か」(中公新書、1987年)、「政治はどこへ向かうのか」(中公新書、1992年)。