2007.03.11

息子の大学進学が決まり、本やノートの整理を手伝いました。どこまで読んだか、問題集を解いたかは別として、大変な量を捨てました。私の大学受験の時は、そんなに受験参考書も買わず(田舎なので知らなかった)、塾も行かなかった(明日香村にはなかった)のです。息子曰く「お父さん、これで家が数センチ浮き上がっただろう」。
一方、娘は4月から会社員。最初は寮に入り研修を受けるとのことです。親ばかを発揮して、娘と一緒に、寮と研修所を視察に行きました。
ついこの間まで、二人ともよちよち歩いていたと思っていたのに。子どもの成長は早いです。さらに、希望に満ちている二人を見ると、それに引き換え、自分は歳を取ったなあと実感します。私にも、未来への希望とそしてそれと抱き合わせだった不安が、いっぱいの時代がありました。いつの間にか、現状と日常に安住するようになりました。毎日を一生懸命生きていると、30年もあっという間ですね。

新聞記事紹介

ある職員との会話
職:最近、HPでは、新聞記事の紹介が多いですね。全勝さんが、それで何を言いたいかは、すぐに分かりますが。
全:うーん、御指摘の通り。なかなか、自分の意見をまとめて書くのは難しい。しかも、私の興味が広がって、気になる記事も多いのよ。
職:しかも、数日前の記事を取り上げることも、多いですね。
全:気になった記事は、その場で切り抜いておく。正確には破っておくんだけど、毎日忙しくて、そのままになっているんや。机の上に積んであったり、鞄の中にたくさん入ったままになっている。それを取り上げて、解説を書こうとすると、まとまった時間がいるのよ。その時間がない。
職:でも、数日前の記事を紹介されても、もう捨てているんですよね。
全:ごめん。

最近の記事目次

表紙に書いた記事は、1~2日経つと、それぞれの分類のページに移し替えています。「昨日の記事が見あたらない」との苦情が多いので、どのページに移したか分かるように、見出しを並べることを試行してみます。最近の記事のページを見てください。

地域再生法改正の審議

今日は、衆議院内閣委員会で、地域再生法改正の審議がありました。再チャレンジ寄付税制は、この法案に乗っているのです。私も、大臣の後ろに控えていました。この法案は、地域再生室の担当です。私は再チャレンジ室であり、法令上はこの法案の担当ではないのですが。
内閣委員会は、与野党対決の混乱の中で始まりました。総務課長でない私は、どうすることもできません。総務委員会なら、何かと潤滑油の役割はできたのですが。その中で、渡辺大臣は誠実に答えられ、今日の審議は終わりました。私も、何度か大臣に対し、メモだしをする機会はありました。野党の質問通告が詳しくなく、その場で答えなければならない事項もあったのです。
それをしながら、かつて、秘書官や交付税課補佐の時は、これが主たる仕事だったなあと、感慨にふけっていました。さらには、自分が県の財政課長や総務部長の時には、答弁を一手に引き受けていたことを思い出しました。あのころは、それがうれしかったです。こう聞かれれば、このように答えようとか、毎晩お風呂で考えていました。その多くは、空振り(質問なし)でしたが。でも、自分で答える方が、楽ですね。
今日の審議は、衆議院第13委員会室でした。ふと見上げると、壁に私が仕えた村田敬次郎自治大臣の肖像画(永年勤続表彰)が掛かっていました。大臣はそのころと同じように、笑いながら私の仕事ぶりを見ておられました。私には、あのころのお声が聞こえていました。「全勝秘書官、まだまだ若いねえ」と。それは平成4年、私は37歳でした。今から15年も前のことです。(3月9日)

今日も、先週に引き続き、衆議院内閣委員会で、地域再生法改正の審議がありました。まだ衆議院は正常化せず、民主党は質問通告なしでの質疑でした。今回も突然、再チャレンジ寄付税制に関して質問があり、私は渡辺大臣の後ろに飛んでいって、メモ出しに励みました。「なぜ直接型では、フリーターは対象にならないのか」「地方自治体が認定したことに対して、国税を優遇するような仕組みは他にあるのか」・・。
自分では、小さな声で大臣にささやいているつもりなのですが、委員長席を挟んだ反対側に座っている衆議院事務局の人からは、「岡本さんの声は、良く聞こえますよ(笑い)」と言われてしまいました。与党の議員からは「緊急事態だから仕方ないよ」と言う声も。ハイ。何せ、簡潔に大臣に、要点をお伝えしなければならないのですから。(3月14日)

2007.3.9

今日は、衆議院内閣委員会で、地域再生法改正の審議がありました。再チャレンジ寄付税制は、この法案に乗っているのです。私も、大臣の後ろに控えていました。この法案は、地域再生室の担当です。私は再チャレンジ室であり、法令上はこの法案の担当ではないのですが。
内閣委員会は、与野党対決の混乱の中で始まりました。総務課長でない私は、どうすることもできません。総務委員会なら、何かと潤滑油の役割はできたのですが。その中で、渡辺大臣は誠実に答えられ、今日の審議は終わりました。私も、何度か大臣に対し、メモだしをする機会はありました。野党の質問通告が詳しくなく、その場で答えなければならない事項もあったのです。
それをしながら、かつて、秘書官や交付税課補佐の時は、これが主たる仕事だったなあと、感慨にふけっていました。さらには、自分が県の財政課長や総務部長の時には、答弁を一手に引き受けていたことを思い出しました。あのころは、それがうれしかったです。こう聞かれれば、このように答えようとか、毎晩お風呂で考えていました。その多くは、空振り(質問なし)でしたが。でも、自分で答える方が、楽ですね。
今日の審議は、衆議院第13委員会室でした。ふと見上げると、壁に私が仕えた村田敬次郎自治大臣の肖像画(永年勤続表彰)が掛かっていました。大臣はそのころと同じように、笑いながら私の仕事ぶりを見ておられました。私には、あのころのお声が聞こえていました。「全勝秘書官、まだまだ若いねえ」と。それは平成4年、私は37歳でした。今から15年も前のことです。