2007.03.19

今日は、省庁改革本部減量班の同窓会。メンバーの一人が、インド転勤となり、その送別会という名目です。福岡と愛媛の勤務者も、ちょうど東京出張中だったので参加。にぎやかな会になりました。
みんな、それぞれ出世し、そして、それなりに苦労しています。上に行くほど、仕事が難しくなるのは当然ですが。それぞれに、子育てにも苦労中です。省庁改革から、すでに6年。何かと名目をつけては、良く集まる会です。でも、みんな元気に集まることができることは、幸せですね。

2007.03.17

16日の衆議院内閣委員会で、地域再生法改正の審議と採決が行われました。民主党の質問は、引き続き一部、通告なしでした。例によって、大臣の後ろに控えて、メモだしをしました。よく働かせてもらいます。国会テレビでは、その様子が正面から映っていたとのことです。後で知人から、「審議官になっても、あんなことをしているのですか」と、笑いの電話がかかってきました。その後、本会議で可決されました。民主党は反対でした。今度は、参議院で審議です。

市民の責任

5日の朝日新聞「時流自論」は、河合幹雄教授の「裁判員制が問う市民と情報」でした。
犯罪白書などによれば、2005年に送検されたのは212万人。そこから交通違反関係を除いても、48万人が検挙されている。しかし、裁判にかけられたのは14.6万人、刑務所に入ったのは3.3万人にすぎない。日本の司法現場の運用は、犯罪者をなるべく刑務所に入れない、入れても短期で出す。
誰か世話をする身元引受人を見つけて、起訴を見送ることが通例となっている。釈放してしまうのだ。それでも日本の治安は、先進諸国と比較してケタ違いに良い。この方針で、世界に類を見ないほどに、犯罪者の更正に成功してきた。警察官、刑務官、保護観察官、家裁調査官などのがんばりに加えて、保護司をはじめとした民間の特定の人々が、犯罪者の社会復帰を密かに支えてきたからである。
しかしこの仕組みは、犯罪者の社会復帰を一般市民の生活領域から遠いところで実現したために、市民は何もしなくても「犯罪と無縁の安全な社会」に居られるという感覚を持ってしまった。彼らの視点では、前科者は世間(市民の生活領域)に戻れていないのであるから、刑務所から短期間で出ていることなど、知るよしもない。
裁判員制度は、こうした「隠蔽する官」と「知ろうとしない民」に支えられた成功システムを終焉させるものである。なぜなら市民にとって、犯罪にかかわる情報を知ることなしに自分たちで量刑をすることは、不可能だからである。裁判員制度の導入と安全神話の崩壊は、一部の者だけが更正にかかわり、他の市民は何も知らずに任せきって安心できた伝統との訣別を促す意味で、同じ方向の変化である。それは、社会の透明性が高まり、市民が大きな責任を負う社会の到来である。(3月6日)
15日の日経新聞夕刊に、OECDの「女と男」報告書が、載っていました。それによると、日本人男性の交遊活動が突出して不活発で、世界で最も孤独だそうです。友人や同僚と業務外で外出したり、サークル活動に参加した経験は、17%の日本人男性がないと答え、2位のチェコの10%を大きく上回っています。
人生の満足度でも、ほとんどの国では男性の方が満足度が難いのに、日本では女性の54%に対し男性は52%です。もっと詳しく知りたいですね。