10日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生が「高等教育こそ取り上げを」として、教育改革について述べておられました。
「確かに、幼い子どもの教育は多くの国民の関心事であるが、これはいわば入り口の問題である。しかし、入り口ばかり問題にして出口がはっきりしないということは、議論の本位が定まらず、バランスを欠くことにならないだろうか。実際、万事につけ閉塞感というものの一因は、まさにこの出口の不透明さに起因するのではなかろうか」
「首相官邸が教育問題に乗り出す以上は、出口論こそは最大の関心事にふさわしいのではないか。なぜならば、それは将来の社会的ニーズの見定めとそれに必要な人材の供給、さらには国際的競争力の維持に直接に関係するからである・・グローバル化の時代にあっては、人材政策なくしてほとんど何も将来展望が開けないことは、今や各国共通の認識である。この点、日本政府は極めてのんきと言われても仕方がない」
「大学時代の話になると、『自分はいかに勉強しなかったか』を誇らしげに語ることが-テレくささに促されてのことであろうが-当たり前のような風土のところで、次の世代がとまどうのも無理はない。出口をはっきりさせずに、がんばれというのは、もはや通用しない昔の贅沢である」