人類が、農業社会から工業・産業社会になり、さらに現代では、情報・サービス社会になっているといわれます。その一つとして、文化・コンテンツ(これも良い日本語が欲しいですね)・特許・ノウハウが、重要になりました。政府には、知的財産戦略本部・推進事務局があります。
私も、詳しいことは勉強中ですが、興味深いことを教えてもらいました。2006年6月の法改正で、特許や意匠の保護が強化されました。盗むと懲役10年です。これまでは、ものを盗むと窃盗でしたが、これからは知的財産を盗んでも=まねをしても、それと同じ犯罪です。
社会が変化すると、法制度・行政なども大きく変化するという例ですね。(10月29日)
25日の朝日新聞「保守とは何か」で、山崎正和さんは、次のように述べておられました。
「近代社会には、政治的な保守というものは存在しないし、存在しえない。私はそう考えている。もし保守というものが成立するとしたら、それは広い意味での文化の領域に限られるだろう・・・政治も、近代以前は文化と結びついていた。だが、近代化により、政治は文化と区別された。信仰や人格、気分など統治者の身に付いた文化が規範になる政治から、指導者が国民との契約や法に従って合理的に行動することを前提にした政治への移行だ。政教分離の原則は、こうした政治と文化の区別を象徴している。以降、政治は身体ではなく頭の仕事、つまり理性の仕事になった。そこには保守はあり得ない」
「戦後になると、保守・革新という言葉が広く使われた。しかしそれは、実態を表した言葉ではなかった。実際に存在したのは、自由市場主義の立場に立つか、計画経済つまり社会主義の立場に立つかという対立だった・・・戦後の自民党に保守よりも適切な呼び名を与えるとしたら、現実対応政党だろう」
「グローバライゼーションの進行は止められないから、せめてその変化が一部の人々に不幸をもたらさぬよう、影響を和らげる対策を立てる。それが今、良識ある政治家のやっていることだ」(10月29日)
1日の日経新聞は、2005年の国勢調査結果を解説していました。人口ピラミッドが、1960年、2005年、2050年推計と並べてあります。1960年はピラミッドですが、2005年はくびれたひょうたん、2050年はソフトクリームのコーン(逆三角形)です。もはや、ピラミッドではありません。