2006.08.28

今日は、アメリカ・コロンビア大学政治学部のヒラノ助教授の来訪を受けました。今、東大に客員研究員として来ておられ、日本の政治と予算について研究中です。国庫補助金をめぐる政治と行政の関係を知りたいとのことでした。事前に質問事項を絞り込むために、先週末から、メールでやりとりしました。ヒラノ先生からは英語でメールが来て、こちらからは日本語で答えるのですが、返信を利用すると文字化けが起こったりしました。「エンコード」のせいらしいです。私のさび付いた英語ではまどろっこしく、日本語で説明し、何とか理解してもらいました。

2006.08.26

今日から、高円寺阿波踊りが始まりました。拙宅近くの商店街も演舞場になっていて、それはそれはにぎやかです。2日間で100万人の人出だそうです。踊りが通る商店街や道路は人でごった返していて、見るのも通るのも大変です。今日は、駅前商店街の知人にお招きをいただき、お店の2階から踊りを見せてもらいました。
私の初任地は徳島だったので、本場の踊りも経験しました。「腰落とし腕を上げれば阿波踊り」と言いますが、それが結構重労働なんです。すぐに肘が下がって、幽霊になってしまいます。人前で踊るのは恥ずかしいので、ビールを飲んで出かけたら、さらに疲れて・・。
東京の阿波踊りは、連によって違いますが、本場に近いものから、東京風と言うべきものまで様々でした。いくつかは、太鼓とドラムと鉦の激しいビートが主体の、若者のノリという感じですね。皆さん楽しそうでした。

2006欧州随行記5

(地球の表と裏)
実は地球科学から見ると、アイスランドと日本はとても関係がある。地球の反対側にあってと思うでしょうが、そこが重要なのです。来る前に、島村英紀著「地震と火山の島国-極北アイスランドで考えたこと」( 2001年、岩波ジュニア新書 )で、勉強してきました。これは良い本です。ぜひご一読を。
簡単に言うと、地球内部からマグマが浮き上がってきて、地球の表面の薄皮であるプレートをつくる。その割れ目から吹き出す溶岩が作ったのがアイスランド。そこから、西に行くのが北米プレートで、東に行くのがユーラシアプレート。そしてその薄皮が裏側で出会って、ぶつかりながら沈むのが日本。日本の地震を作っている原因は、遠くたどればアイスランドにある。
アイスランドに聖徳太子がいて、小野妹子に手紙を持たせて日本に派遣すると、「地出ずるところの大統領、書を地没するところの天皇にいたす。つつがなきや・・」となるだろう。
よって、両国とも火山があり、温泉があり、地震がある。もっともこちらの地震は、回数は多いが規模は大きくない。日本は薄皮がぶつかって沈む際に、片一方が引きずり込まれ、それが元に戻る際に大きく揺れる。こっちは、噴水のように吹き上げ両側に分かれていくので、そんなことはない。
地球の割れ目-向こうまで5kmほどある。手前は溶岩の割れ目。
地球の割れ目を見たが、雄大なもの。もちろん、一か所が割れ目ということでなく、長くつながっているはずで、見学地点は地表でよく見えるところ。別に見学した地熱発電所の建物は、割れ目の上に建っていた。毎年2センチずつ股割きにあっていると、聞いた。
見学地点では、割れ目は5キロほどの幅がある。両側は崖が切り立っていて、その間は土と水で覆われ、割れ目そのものは見えない。しかし、崖のあたりでは、溶岩に無数のひび割れが並行して入っている。カステラを手で割る時のように、きれいに一カ所で切れず、いくつものひび割れが並行して走るのと同じだということらしい。それらの割れ目は、幅は数10㎝のものから数メートルのものまで、深さはよくわからない。詳しくは、「地震と火山の島国」を見てください。
(その他の特徴)
火山、温泉などの他にも、アイスランドと日本との共通点はある。まず、漁業。暖流と寒流が出会う島で、良い漁場になる。そして、長寿。これは、肉でなく魚を多く食べていることによるのかもしれない。
短期間の滞在だったが、私たちは多くの見るべきものを見せてもらった。白夜を体験し、といっても途中は寝てしまったが。タラ料理を食べ、地球の割れ目も間欠泉も見た。レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が会見した家も見た。冷戦の終了を切り開いた、レイキャビック会談の場所である。アイスランド名物で見ていないのは、オーロラ、氷河、大きな温泉か。
レイキャビック会談の家。手を置いているパネルに解説がある。
(したたかに生きる)
EUには加盟していない。通貨もアイスランドクローネを使っている。しかし、多くの部分はEUと共通にしている。入国管理もEU並み。EUからは加盟を催促されているとのこと。加盟しない一番の理由は、排他的水域=漁業権の問題のようである。EUに入るとその範囲が狭められ、損をするらしい。どうも、良いとこ取りをしているように見える。
街に近い飛行場は近距離用で、これはイギリス軍が作ったのを使っている。遠い方は遠距離用で、これはアメリが軍が作ったものを共用している。現在はNATO軍が管理していて、近く全面的にアイスランドに引き渡される。
第2次大戦時は中立を宣言したが、イギリス軍に、次いでアメリカ軍に占領された。といっても、ドイツに取られないために、保護下に置いたということ。確かに、この中間地点は、戦略上重要だ。もう少し南に位置していたら、昔から争奪戦のまっただ中にあっただろう。レイキャビック会談が行われたのも、中間地点ということから選ばれた。
大国の保護の下に、もらうものはもらっている。冷戦を上手に生きた、と言っていいのだろう。漁業をめぐるイギリスとの戦いについても、「地震と火山の島国」を参照してください。

経済財政3

日経新聞は、22日から連載「財政、経済が問う」を始めました。第1回は「特定財源は続く。既得権益つぶしはまだ途上」でした。(2006年8月22日)
23日の日経新聞「財政、経済が問う」は、「交付税ゆえ苦しく。国と地方、対立超え変革を」でした。(8月23日)
7日の朝日新聞「検証構造改革」は、経済財政諮問会議に関して、牛尾治朗さんの「予算編成を表舞台に」「規制緩和まだ2割」でした。(9月7日)
13日の朝日新聞「検証・構造改革」は、宮内義彦さんの「規制緩和、遅々とだが」でした。成果として、「テーマを横断する仕組みができた」こととして、市場化テスト、指定管理者制度、特区制度を挙げておられれます。個別テーマとしては、一部医薬品のコンビニ販売、診療報酬決定システムの改革、幼稚園と保育園の一元化、公立小中学校の選択制を挙げておられます。残念ながら、これが進んだというのが、国民には認識されていないようです。どなたか、わかりやすい解説を書いてください。(9月13日、16日)
14日の朝日新聞「検証・構造改革」は、本間正明経済財政諮問会議委員の「骨太、当初は大胆に」でした。
「歳出・歳入の議論になるまでは、経済立て直しのために不良債権処理などの『切開手術』が必要だった。こういう時に与党の意向を聞き、利害調整していると、改革のスピードが失われる。小泉首相は竹中金融・経済財政相を押し立てて『一点突破型』で乗り切った。ただ、歳出・歳入一体改革になると、公共事業や社会保障費、国と地方の関係など国民生活の全般にかかわる問題なので、政治的なもつれが生じる恐れがあった」
「突破型は短期的な決着には向いているが、郵政解散のように政治的なリスクは高まる。一方、歳出・歳入一体改革のように、具体的な調整を与党に任せてしまうと、国民への説明責任や情報公開が足りなくなる恐れがあった」(9月14日)
骨太の方針2006」には、最後のところで、経済財政諮問会議を含めた政策決定の評価がされています。
すなわち「経済財政に関する政策決定システムの改革」として、「総理が議長を務める経済財政諮問会議を中心に、縦割りではなく、経済財政政策及びそれに関連する政策を、全体として整合性、一貫性のある形で決定するシステムが強化されてきた・・・経済財政諮問会議の討議内容については、短期間の内に詳細な議事内容が公表されるなど、政策決定の透明性が高められた」と評価しています。
また、「政策決定プロセスの定着」として、「経済財政政策の運営については、改革に向けた政策決定プロセスが定着してきた。まず、重要課題を網羅した「基本方針」(骨太の方針)において、改革の方向性を明確にし、その後、経済財政諮問会議として「予算の全体像」をまとめ、「予算編成の基本方針」を策定することを通じて、優先順位を明確にした翌年度予算の方向付けが行われている。
同時に、中期の経済財政運営の基本方針として「改革と展望」を策定し、ローリングすることにより、基礎的財政収支の黒字化やデフレからの脱却といった中期目標を明確にし、これと整合的な形で短期の経済財政政策が運営されてきた」とも評価しています。政府の機関が、自らの政治的機能を評価するのは珍しいと思います。小泉総理時代の諮問会議は、それだけのことをしたということでしょう。(9月19日)
(小泉改革)
20日の毎日新聞「経済観測」では、小泉改革のうち経済政策に関する功罪を、次の2点に絞っています。
プラス面
1 国債発行30兆円の公約を掲げ(結果的には守れなかったが)借金財政の悪化を防いだ。
2 公共事業の拡大による景気対策を放棄した。
マイナス面
1 所得格差の拡大。
2 地方交付税、各種補助金などの削減による地方財政の弱体化。
(9月20日)
各紙が、小泉政権の評価の中で、経済財政諮問会議の評価と今後の予想を書いています。
与謝野大臣は、記者会見で「諮問会議の特徴は、大胆かつ迅速ということ」と述べておられます。その通りですね。これまでの官僚制や内閣運用ではできなかったのが、政策の大胆な変更と迅速な決定です。透明性も、大きな特徴です。4日後には議事要旨を公開、4年後には詳しい議事録も公開されます。誰がどんな意見を言ったかが、わかるのです。「各省庁が水面下で族議員の利害を調整する従来の政策手法は通用しにくくなった」という効果もあります(23日付け朝日新聞「時々刻々」、同日読売新聞「スキャナー」など)。
ただし、政治主導の場ということは、諮問会議が活躍するかどうかは、運用次第なのです(拙著「省庁改革の現場から」p193~)。諮問会議は2001年1月に設置され、森内閣から開かれました。そのころの活動は、あまり注目されませんでした。また、小泉内閣で注目を浴びたのは、金融危機と財政危機という大きな課題があり、総理がそれに力を入れて取り組んだからです。現時点では、金融危機は去り、財政再建は道筋が決まりました。次に、何をテーマとするのか、そしてどれだけ総理が力を入れるかによって、活躍度は違ってくるのです。(9月25日)
28日の日経新聞経済教室「新政権への視点」は、本間正明教授の「責務は改革総仕上げ」「強い経済に不可欠。簡素・効率的政府、具体像を」でした。(9月28日)
1日の読売新聞「地球を読む」は、伊藤元重教授の「医療は有望な産業。成長のカギ、非製造部門」でした。
「日本経済が持続的な成長を遂げることができるかどうかの鍵を握っているのは、日本のGDPの8割を占めている非製造業である。製造業が重要でないといういのではない。日本の製造業は、グローバル化の流れの中で国際競争力に揉まれ・・・製造業の活動に対して政府が何らかの政策的な関与をすることは考えにくい」
「これに対して、医療・教育・農業(食料)などの分野では、これまで政府は様々な関与をしてきたが、その結果、産業としてみたときには惨憺たる状況である・・・医療や農業に象徴されるように、多くの非製造業の分野では公的関与が強すぎるため、その生産性は全般的に低い・・・」
「非製造業の活性化には、様々な追加的狙いがある。その一つは、疲弊している地域経済へのてこ入れである。国からの財政移転による公共事業と、製造業の工場誘致を中心とした地方経済の活性化モデルはもはや通用しない。地方経済は新しい経済活性化のモデルを探す必要がある。上で述べた非製造業を活性化させることは、地域経済に活力を呼び込む手段ともなる・・・」(10月2日)
今日13日は、安倍内閣になって初めての経済財政諮問会議が開かれました。創造と成長が、キーワードになっています。当日の有識者提出資料が、間違ったものが掲載されていました。14日夕刻に、正しいものに差し替えられました。その前にご覧になった方は、ご注意ください。(10月13日、14日)
12日に月例経済報告が発表され、景気拡大が4年9か月に及んだようです。これは、戦後最長だったいざなぎ景気と並ぶとのことです(13日朝刊各紙)。しかし、実感が薄いというのが、みんなの見方です。朝日新聞は戦後3大景気の特徴を表にしていました。1965年11月から70年7月までのいざなぎ景気、86年12月から91年2月までのバブル景気、そして2002年2月から今までの平成景気です。いざなぎの時は実質国内総生産は年11.5%増、バブル期は5.4%増に比べ、今回は2.4%です。これは実質なので、名目値だともっと差が出るでしょう。定期給与にいたっては、いざなぎが79.2%増、バブル期が12.1%増なのに、今回は0.85%の減です。これでは景気拡大は実感できません。また、地域によって差があります。(10月13日)
15日の朝日新聞「補助線」は、西井泰之編集委員の「税の歴史認識問題。増税論議先送りを読み解く」でした。「政治や政府と国民の相互不信の元をたどれば、税の歴史認識問題がある・・面従腹背が、形を変えて、負担を回避する一方で、財政を他人の財布のように考える感覚を生んだ」「福沢諭吉は・・税は約束と説いた・・だが、明治憲法、さらに新憲法でも税は義務とされた。国民の側も、自然増収下の財政の大盤振る舞いが長く続いた中で、何のために税を払うのかという意識をあいまいにしてきた」(10月15日)
財務省が審議会に、地方より国の方が財政が悪化していると述べているようです。15日の朝日新聞によると、負債が収入に対する割合を比べると、国は夕張市の2倍だというのです。先日、地方財政を破綻だというのなら、国の方がもっと悪いと書きましたが、財務省自ら認めたようです(すると、国の方が先に、破綻法制を作らなくて良いのかなあ)。
比較の際に、国は税収から交付税を差し引き、地方は税収+交付税だそうです。本来、税収同士で比較するべきでしょう。交付税を含めることは、交付税を地方の財源と認めているので、それは良いことです。が、それなら、交付税を国の一般会計に計上することなく、特別会計に直入するとわかりやすいです。それに対しては、財務省は反対だと聞きます。
それはさておき、この比較の問題は、国は歳入歳出を自ら決めることができるのに対し、地方は自由にならないことを忘れています。国は税制を決めることができます。歳出も自ら決めることができます。しかし、地方団体には、そこまでの自由はありません。地方税の骨格は、国が決めます。交付税総額も、国が決めます。歳出の多くも、国が決めます。義務教育・警察・生活保護・介護など。国は自ら招いた赤字、地方は国による・あるいは国におつきあいした赤字です(ただし、夕張市の借金の多くは、自ら無茶をしたもので、この議論の外です)。
また、バブル期の増収で、地方はそれまでの特例借金を返済しました。国はしませんでした。働きに比べ浪費が大きい父親(国)が、仕送りを受けつつ働いている大学生の息子(地方)に対し、「俺の方が借金が多いんだ」といっているように見えます。その次には、「だから仕送りを減らすぞ」というのでしょう。でも、支出は国と地方は4:6なのに、税収配分は、6:4です。もっと、地方に税収を移譲しなければならないことも、忘れないでください。
世界第2位の経済大国、戦後最長の景気拡大が続く日本です。その財務省の発言としては、首をかしげます。もっと貧困な国や後世の日本人から見たら、どう思うでしょうか。いずれにしろ、貧乏人自慢(競争)は、格好の良いものではありませんね。(10月15日)

2006.08.21

今日は、先輩のHPを紹介します。椎川忍総務省官房審議官(地方財政担当)がつくっておられるサイトです。私の席の前任者でもあり、私が駆け出しのころから、交付税や地方財政を教えてもらいました。HPには、地方財政改革や骨太の方針についての解説や、ご本人の主張なども載っています。ブログもつくっておられて、読むと、私以上に講演会に行っておられます。ご覧ください。