国会での質疑を聞いていて、新聞記者さんから「ああいう答弁しかできないのですか」と、聞かれる場合があります。
その一つが、犯罪に絡むものです。刑事事件にあっては法務省刑事局長、国税の脱税事案にあっては国税庁次長、選挙・政治資金違反にあっては選挙部長が呼ばれます。よくある答弁の型は、「個別事案についてはお答えできませんが、一般論としては・・」です。何度聞かれても、この答弁が繰り返されます。
既に起訴されたようなものであれば事実を答えられるのですが、捜査中であったり、まだ事件になっていないものについては、このような答弁しかできないのですよね。守秘義務があったり捜査に支障が出るので。特に選挙にあっては、総務省は形式審査(書類がつじつまが合っているかどうか)しかできず、捜査権はないのです。
もう一つは、選挙制度・政治資金制度のありかたについてです。選挙活動にはポスター・ビラなど、いくつもの決まりがあります。インターネットを使って良いかとかも、議論になっています。その際に、国会議員が、総務大臣や選挙部長に、選挙制度のあり方について質問することがあります。
たいがいの場合は、「国会議員の選挙に関することは、各党各会派でご議論いただき、結論を出していただきたい」としか、答えられません。
公職選挙法や政治資金規正法は総務省が所管になっていますが、これは他の法律と違って、総務省や内閣が一方的に改正して良いものではありません。なぜなら、国会議員の選出の方法を内閣が決めることは、三権分立から見て避けるべきと考えられるからです。総務省にあり方を聞くのは、国会議員が「内閣に私たちの選出方法を決めてくれ」と言っているようなものなのです。いくつか例外がありますが、選挙制度の改正は、議員立法で行われます。当然のことです。総務省がこれらの法律を所管しているというのは、その実施についてです。(3月1日)
7日の朝日新聞では松田京平記者が、「道州制なぜ必要」を解説していました。「道州制のもとでは、国と地方の役割分担はどう変わるのか。国の仕事は外交や安全保障などに限定される。補助金の配分や陳情受けは、官僚や国会議員の仕事から消える」。だからこそ、この改革に官僚は反対するでしょう。
「かわって都道府県よりも広い圏域をカバーする道州が、それぞれ税金を集め・・。ところが、今回の答申は、都道府県の再編に出発点を置いた・・。中央省庁の再編には触れてもいない」。その通りです。道州制は地方行政改革ではなく、国の改革なのです(このHPでも、「地方行政」に分類したり、「政と官」に分類したり、悩んでいます)。
日本経済新聞は、「分権のデザイン、知事アンケートから」を書いていました。ここでは、道州の区割りについて各知事の思惑が異なる点を強調していました。知事に区割りを任せれば、なかなかまとまらないでしょう。知事の意見を聞きつつも、国として線引きをするのが良いと思います。衆議院小選挙区の区割りも、有識者が地元の意見も聞きつつ審議会で案を作り、国会で決めています。どのように線引きするかも重要ですが、それに議論の重点を置けば、本質を見失います。反対派の思うつぼですね。
また、ある国会議員の意見です。「道州制になれば、参議院は各州代表にすればいいので、各県の一票の格差は問題なくなるね」
6日から、読売新聞「時代の証言者」は「国と地方」というテーマで、石原信雄元官房副長官のインタビューが始まりました。
「官邸にいた7年間、自分は何を問い続けていたのかと考えることがあります。この国のかたち、分権型国家の実現、内閣機能の強化、縦割り官僚支配構造の克服といってもいいかもしれません・・・」
1994年に村山内閣が、地方分権推進大綱を、各省の反対を抑えて決めたことについて、「多くの人には理解しにくいかもしれませんが、日本の内閣では事務次官会議で合意できない案件は閣議に上げないのが慣例でした。なのに次官会議を通過していないものを閣議で確認してしまったのです。地方分権という国のかたちにかかわる問題を、内閣主導で決めたわけです。私にとって、あのような閣議は初めての経験でした」(3月6日)
読売新聞「時代の証言者」、7日は「国と地方、石原信雄」2でした。「国のかたちを決めるのは、内閣であって、霞ヶ関の官僚ではありません」「『国のかたち』を考える時、中央と地方の関係が非常に重要です。今の分権改革の流れは、89年に発足した海部内閣のころに始まっていたと思います・・・。問われたのは官のあり方です。これが一方では規制改革の政策になり、もう一方では中央と地方の関係になって『地方にもっと権限を渡すべきだ』という改革になったのです。国の役割は何か、地方の役割は何かという問題です。国と地方のあり方とは、国家の統治機構そのものなのです」