13日の読売新聞に、全面広告が載っていました。「日本の教育改革を進めるためにも、義務教育費国庫負担制度は絶対必要です」という内容で、全国の教育長・小中高学校長と日教組などがスポンサーです。
文部科学省・教育委員会・学校長と、日教組が「同盟軍」であることは、去年も指摘しました。労働組合もまた、税金(補助金)配分に連なる「業界」でした。文科省と日教組って、何を対立していたんですかね。
学校長や教育委員会も、「私たちに任せてくれれば、良い教育をして見せます」と主張してほしいですね。「私たちは文科省の決めたことを実行する方が良いです」ですという主張は、情けないです。でも、ここまで言わせるようにした文科省の管理「教育」は、成功したと言うことですね。
「国庫負担金を一般財源化したら、各県ごとにこれだけも財源に差がつきますよ」という表がついていました。でも、現在だって負担金は、必要額の2分の1しか交付されていません。正確には3分の1以下になっています。でも、各県ごとに差がついていないんですよね。それは、交付税制度があるからです。ずるいですよね。この主張を貫くなら、「現在でも2分の1は一般財源化されていて、その分は各県ごとに差がついています」「2分の1の負担金をなくすと、現在の格差が2倍に広がります」と証明すべきでしょう。こんな主張では、算数の先生としては失格ですね。お金の話もいいですが、教育の荒廃についても広告を出してほしいです。その際には要求だけでなく、「私たちの責任」という視点もお願いします。(11月15日)
16日の読売新聞「論点」では、小西砂千夫関西学院大学教授が「交付税制度の再生、地方税での負担増も必要」を書いておられました。
朝日新聞社説は「三位一体改革、いま生活保護は無理だ」でした。「安倍官房長官から7省で6300億円の補助負担金の削減を求められたのに、合計で約300億円の答えを返したのだ。自分たちの所管分は削れないという相も変わらぬ霞が関流である。全国知事会など地方6団体が『官房長官の指示が守られないことは誠に驚くべきこと』と反発するのも当然である」
「しかし、私たちは、この段階で生活保護の負担金削減を『残り6千億円』の中に押し込むべきではないと考える。 理由の一つは、自治体が『生活保護は国の責任だ』として、そろって負担金削減に反対していることである。削減が強行されれば、政府への信頼が揺らぎ、福祉の現場で混乱が起きかねない。もう一つは、生活保護の場合、税源を自治体に移しても、自治体の裁量の余地が少ないことである。自治体側が厚労省に税源移譲を求めている在宅福祉や子育て支援などの方が裁量は広がる。
厚労省はまず、自治体の裁量が広がるものから、税源や権限を自治体に渡すべきだ。そうすることで、自治体が地域にあわせた工夫を重ね、行政を効率化することができるからだ」
「今回の厚労省の動きには無理がある。ほかの負担金や権限を手放したくないために、生活保護を持ち出したといわれても仕方があるまい」(11月16日)
厚生労働省が生活保護費の国庫負担率引き下げを提案していることに対し、地方団体が反発を強めています。まず、抗議の意味を込めて、基礎データを国に報告しない自治体が増えています(17日付け朝日新聞、毎日新聞、日経新聞他)。(11月17日)
地方6団体は、18日に厚生労働大臣に、生活保護費国庫負担率を引き下げた場合、生活保護の事務を国に返上することを申し入れたとのことです。返上するのは新規の受給者分で、来年4月からとのことです。この事務は、法律上は「法定受託事務」であり、地方が事務を拒否した場合、国が直接執行するになると考えられます。
小泉総理は、18日の記者懇談で、生活保護費について「地方の意見を尊重してやっていく」と述べたそうです(19日各紙)。
その総理の意向や、官房長官の金額割り当て指示が、実行されないのです。繰り返しになりますが、三位一体改革は、補助金改革を通して、日本政治の問題を浮き彫りにしてくれます。
問題の第一は、官僚が抵抗勢力であること。その二は、その官僚と各省大臣が、首相の指示を守らないことです。(11月19日)
18日の日経新聞は、「三位一体改革、補助金交渉が難航」「削減優先、分権骨抜き」を大きく解説していました。
「三位一体改革は・・・地方の効率化と、国の権限縮小を一挙に実現し、官のリストラを加速させるというのが本来の改革の狙いだ」「しかし、各省は補助金を通じた地方の監督権限を手放そうとせず、補助金を配る仕事が減りリストラされることに抵抗する。だがこのまま地方の反発を放置すれば、地方公務員の給与カットや交付税削減にも踏み込めず、小さな政府をめざす国と地方双方のスリム化に黄信号がともる」。
読売新聞の社説は「三位一体改革、地方に規律促す生活保護の移譲」でした。しかし、国庫負担率を4分の3から2分の1に引き下げることは、負担の押しつけであって、税源移譲とは言わないのです。このような主張をする人は、国庫負担率をもっと下げて例えば10分の1にしたら、地方の規律が増すと考えておられるのでしょうか。さらにはゼロにして、すべてを地方に任せるという主張をなさるのでしょうか。(11月18日)
21日の朝日新聞では、松田京平記者が「義務教育費と生活保護費、国負担でも異なる制度設計」を解説していました。同じ国庫負担金でありながら、なぜ地方は違った主張をするのか。二つの事務の違いは、案外知られていません。よく整理された解説です。ご一読ください。もっとも、一部異論があります。地方団体は将来負担が増えても、筋が通るものなら一般財源化を受け入れると思います。
また、石井記者らが「生活保護費、自治体負担増えると、地域で支給額に差?」「基準の引き下げを懸念」を大きく取り上げていました。
日経新聞では「義務教育費国庫負担、私の考え」第3回で、石井岡山県知事が「財源なくして自律なし」「真の分権、なお道遠く」を語っておられます。毎日新聞「経済サプリ」は、「三位一体改革って何?」を解説していました。産経新聞は「生活保護費国庫負担引き下げ、地方が反旗」「データ報告の停止相次ぐ」を解説していました。
20日の毎日新聞「発言席」では、西尾出雲市長が「地方教育自治の実現を」を書いておられました。
「・・依然として県も市も文科省の考え方に拘束され、ご意見伺いに終始している。・・その意味で、今や地方の教育行政当局の意識改革が迫られている。今後、地方の教育現場は文科省に気兼ねすることなく地域のニーズ、特色を生かす創造的な教員配置を断行すべきだ。同省はそれこそ地方の主体性を、お題目ではなく真に尊重すべきである」
「国庫負担金の予算要求は、毎年度財政当局の厳しい査定を受け、目標財源が十分認められない歴史が繰り返されてきた。財源確保は決して安定的ではない。むしろ、三位一体改革の流れからすれば、地方交付税や地方への税源移譲による財源確保の方が安定的と考える」
「・・文科省は知事や市長をもっと信頼し、教育行政への責任・参画を認めるべき歴史的転換期を迎えている。・・勇断をもって名実ともに教育分権確立に大きく舵を切ることにより、国民が真に信頼し期待する政策官庁として飛躍できることとなる」。
読売新聞「一筆経上」では、丸山淳一記者が「理念なきそろばん勘定」と題して、「双方の言い分の真ん中をとって、二つの補助金(義務教育と生活保護)の補助率を変えるなどの帳尻合わせをすれば、補助金削減額は目標には届く。しかし、地方分権の推進という改革の理念にはほど遠い」と書いていました。(11月21日)
政府与党の協議や4大臣協議が、続いています。(11月22日)