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社会の変化
アンドリュー・ローゼン著「現代イギリス社会史、1950-2000」(2005年6月邦訳、岩波書店)を読みました。鋭い分析の本だと思います。「伝統と秩序の国」といわれたイギリスで、20世紀後半に、生活が社会変容といえるほど大きく変わったことを論じた本です。次のような構成から、この本のおもしろさが読み取れるでしょう。
第1部 生活の水準と生活の質(劇的な経済水準の上昇とその配分)
第2部 傾く権威(王室と貴族、宗教、結婚、労働組合が民衆の支持を失ったこと)
第3部 新しい機会、新しい役割(教育の広範な変化による、エスニック・マイノリティ、女性と仕事、青年と高齢者の役割の拡大)
第4部 イギリスを定義しなおす(アメリカ文化の影響とヨーロッパ大陸との関係)
私は「新地方自治入門」で、この半世紀の日本社会の変化を、行政の役割から分析しました。経済水準の上昇は、イギリスより日本の方が劇的でした。社会資本や行政サービスの拡充も、日本の方が大きかったでしょう。このあたりは、拙著では数字で示しました。しかし、国民の意識、社会での役割など社会の変化については、言及しましたが、拙著の性格もあり十分ではありません。
どなたか、日本社会の変貌を、この本のように多面的にかつコンパクトに分析してもらえませんかね。学者の方は、一部分を詳しく論じたり、諸外国の分析はしてくださいますが、現在日本の見取り図を書いてくださいません。
この国を変える
NO TITLE
1月に近畿自治体学会フォーラムで行ったパネルディスカッション速記録を事務局が起こしてくれたので、手を入れました。お盆休みも、こうして消えていきます。何か変だなと思ったら、市長・村長・僕の3人とも関西弁でしゃべったはずなのに、原稿は「東京弁」になっています。事務局曰く、「関西弁は聞いてたらようわかるけど、活字にしたらわからへんのですわ」とのこと。
そういえば、先日、職場で「岡本課長は大学院で講義するとき、標準語ですか」と聞かれたました。「私は、あんたの言うている意味がわからへん。いつも標準語をしゃべってるんで、講義の時だけ変えるようなことはしてへんで。東京弁はようしゃべらんけど」と答えました。
幸せ
16日の朝日新聞「キーワードで考える戦後60年」のテーマは、幸福でした。見田宗介東大名誉教授は「幸福の無限空間は可能、経済合理性のかなたに」を書いておられました。
これまでの日本は、消費資本主義、幸福資本主義であった。現在の消費資本主義は、環境や資源制約から、あと半世紀も持続できない。一方、美しい絵画や曲は、資源の大量消費なしに、幸福の無限空間を開くこともできる。
「物質的豊かさは、確かに40年前の幸福の一因だった。今日まだ政府も企業も『市場原理主義』と『リストラ』で経済合理性を追究し続けているが、その追究は『自由』や『安定』『愛』や『崇高さ』といった大切な価値を犠牲にすることがある。これが現に今、不幸をもたらしてもいる」
また、日本のGDP8分の1でしかなメキシコや、100分の1以下であるナイジェリアの人々が「日本人よりずっと強い幸福感を広く共有している事実は、物質的な豊かさとは異なる『人間関係的』な幸福や『幸福感受性』とも言うべき次元の大切さを示唆する」
モノによる幸せの限界や、地域の財産のモノから関係への変化については、拙著「新地方自治入門」(p18、p202など)の主たるテーマでした。