行政の責任、不作為・先送り

アスベスト被害と行政による対策の遅れが、問題になっています。26日には関係閣僚会議で、過去の各省の対策について、検証結果をまとめました。27日付の朝日新聞「時々刻々」は、その検証結果を検証しています。
「あわせて7省庁から出された検証内容の中で、環境省の報告書には『反省の弁』らしきものが目立った。それは、自分たちは規制しようと思ったのに横やりが入ったー。こんな他省庁への当てつけと裏腹でもある・・・旧通産省の幹部から『・・・産業保護の観点からも問題がある』と反対された。旧労働省からも『工場内は当省で規制しているから外へは出てないはず・・・』と、やんわりと牽制された。・・・こうした霞が関の縦割り行政のひずみは、報告書に明記されていない」
「もっとも環境省も、77年から旧環境庁で大気中の石綿の濃度を調査していながら、89年まで大気汚染防止法による規制を行わなかった対応については、正当化に終始する」
「報告書では、『省庁間の連携の不十分さ』の具体例として、90年に旧環境庁が中心となって開かれた関係省庁連絡会議が、3年後に2回目を開いたきり有名無実化していたことも明らかになったが、この評価をめぐっても省庁間の見解は異なる、厚生労働省は・・・継続しなかった理由は『環境省が主催なのでわからない』。これに対し環境省は『昔の話を持ち出して、こちらの動きが鈍いという話にしている』と反発。責任の押し付け合いを露呈した格好だ」
まだ十分な検証がなされていないので、はっきりしたことは言えませんが、ここからかいま見られるのは、「官僚の不作為」と「縦割り行政による無責任体制」です。私は官僚制の欠点の一つが、不作為だと思います。「××をやった」「こんな実績を上げた」ということは書かれますが、必要なことを怠った、先送りしたという検証はあまりされません。
この記事は、省庁からの発表をそのまま記事にするのでなく、書かれていないことを検証した良い記事だと思います。

三位一体改革56

月刊「文藝春秋」9月号「インタビュー、ポスト小泉の資格を問う」に、宮崎哲也氏による、麻生太郎総務大臣へのインタビューが載っています。
宮崎:それでは、いつまで経っても自民党をぶっ壊さない小泉政権に点数をつけるとすれば、何点でしょうか。
麻生:もともと、変人、奇人と思っていましたからね。その点を除けば、僕は結構高い及第点をとっていると思いますよ。・・・後世に間違いなく残る実績を挙げれば、有事法制、国民保護法制・・。総務省に関係あるところを挙げれば、三位一体という名の改革を強烈に進めて、「地方分権、地域主権へ」という流れを作った。・・・
宮崎:中でも、三位一体改革は麻生さんが、所管大臣として先頭に立って主導されました。党内的にも、抵抗がかなり大きかったんじゃないですか。
麻生:廃止しようとしている国庫補助金には既得権益が横たわっているんですから、そりゃ大変ですよ。それに、これだけ税収が減っている最中に、3兆円を国の財政から引き剥がして地方に税源移譲するというんだか
ら、もちろん激しい抵抗に遭いました。「うまくいく」と考えていた国会議員や役人は、おそらく一人もいなかったんじゃないかなあ。
宮崎:逆風の中、初年度で8割、2兆4千億円の税源移譲を達成できた。
麻生:3兆円の税源移譲を先に決めるという決断と、減らす補助金の内容を地方に考えさせるという、2つのアイデアを持ち込んだのが私であることは認めるけれど、事実、このアイデアを実現できたというのは、大きかったんじゃないでしょうかね。
「私は、三位一体改革を実現するために、総務大臣を引き受けたんです。ですから、最後の最後はちゃんとこちらの言う通りにやっていただきます」と言って、その通りにやっていただきました。(8月22日)
22日の朝日新聞「9.11総選挙、小泉改革の行方」は、三位一体改革で、神野直彦東大経済学部長へのインタビューでした。
「内閣発足時、既に国から地方への機関委任事務は廃止され、地方分権の残された課題は、自己決定権を財政面で確保する税源の移譲だった。国の税収が減るため昔から財務省が反対しており、首相のかけ声で税源移譲が論じられるようになったのは高く評価できる。『霞が関』をねじ伏せた点は大きい」「・・基幹税で行うはずの税源移譲は暫定的なままで、政府は早く恒久化を実現して欲しい」
文科省が、義務教育費国庫負担金の廃止・税源移譲に反対していることについては、「米国では、よい先生を集めようと教育税を高くする地方もある。国は教育政策で何度も失敗してきた。結果責任を負うのは国民で、国民の手が届くところで教育のあり方を決めるべきだ」 (8月23日)
24日の朝日新聞「9.11総選挙、郵政対決を越えて」では、内田晃記者が「三位一体、具体策足踏み。首相が自ら道筋描け」を書いていました。
8日夜解散直後の小泉首相の記者「会見は、郵政一色だった。小泉政権は『官から民へ』と並び、地方分権を象徴する『国から地方へ』を二枚看板としてきたが、この日の会見で首相が『地方』に触れることはなかった。このままでは、三位一体改革は郵政民営化に埋没してしまうー。知事たちは危機感を強めた。」
「前回03年総選挙では、三位一体改革に弾みがついた。初のマニフェスト選挙となり、民主党が『5つの約束』の冒頭で『4年以内のひも付き補助金全廃』をうたった。自民党も『06年度までに補助金4兆円廃止』を盛り込んだ。・・・数値目標は、自民党族議員や既得権益を守りたい省庁の抵抗を押し切る武器になった。『突破口』を開けた小泉首相の手法は斬新だった。」
「ところが、具体策作りの段階になると状況は一変した。・・・首相は事務方への『丸投げ』が目立つようになった。・・・首相自らが開けた突破口の先にどのような社会をつくるのか、そこまでの道筋を含め、示す責任がある。」
24日の日本経済新聞社説「05衆院選、改革を問う」は、「補助負担金廃止の規模で違い際だつ」でした。
「自民党の政権公約は6月に小泉内閣が決めた『骨太の方針2005』の域を出ていない・・。地方側が求めている2007年度以降の第2期の改革についても、『地方の意見を尊重』にとどめ、実施の約束はしていない。これに対し、民主党は18兆円の補助負担金の廃止を打ち出した。そのうち5.5兆円を地方に税源移譲し、12.5兆円を一括交付金に改める。」
「補助金を通じた地方統制という集権型体制の部分修正で済まそうとする自民党と、補助金廃止で分権型社会への転換を図ろうとする民主党の違いは際だっている。政権選択の争点として、議論を深める価値はある」
この社説の主張の通りなんですが、問題は金額の次に、というか金額の多寡以上に「どの補助金を」と、「どの税金で」なのです。民主党の主張はありがたいのですが、どの補助金を廃止するのか不分明なのと、どの税金を移譲するのか不明なのです。そこが一番苦労しているところなんですがね。金額が大きいだけでは、喜べないのです。(8月24日)
(教育に関する国の責任と地方の責任)
26日の朝日新聞「私の視点」では、山出保全国市長会長が「分権改革、もっと地方に任せよ」を書いておられました。「この選挙では、郵政改革に注目が集まりがちだ。しかし、それでも仮にも『国から地方へ』の分権改革が後退するようなことがあってはならない。むしろ、選挙を機にいっそう推進されることを強く期待する」
「国は地方の教育力を信頼すべきだ。学力の到達目標を明示し、到達度を把握するのは国の責任としても、その目標に至るカリキュラムや授業時数などは柔軟に地方に任せてほしい。国と地方の役割分担を明確に法律に書き込めばいい」
「義務教育は国の責任と言いながら、国の負担は既に3割を切っている。これを維持することが、なぜ、国が責任を果たすことになるのか。重要なのは、教育水準と費用に地域間格差を生じさせないための担保を法令上どうするかなのだ」
その通りですよね。これまで行政・官僚は、入力(インプット)ばかりに力を入れて、結果や成果(アウトプットやアウトカム)を測ってきませんでした。教育の場合は、予算額と教職員の数を増やすことに力を入れて、教育の成果である学力や生徒が身につけるべき生活力、本人や父兄の満足を測ってきませんでした。今の文部行政・学校に、国民や父兄が満足できない理由はこれです。(8月26日)
(マニフェストと分権)
26日の新聞各紙に、民主党の全面広告(赤い枠取り)が載っていました。「民主党、8つの政策です」という表題で、1は行革、2は年金、3が教育で、4が分権でした。
「4 分権革命~地域のことは地域で~地域の工夫を引き出すために、ヒモつき補助金18兆円を、地方の財源に切り替えます。」
5がイラク支援、6が農業、7が道路公団、8が郵政改革です。
分権は、高い優先順位にあります。少なくともこれで、分権改革は後退はしません。ここまで来たことを、まずは評価しましょう。問題は、どうして進めるかです。(8月26日)
(政府の方針に反する省の行動?)
朝日新聞26日夕刊に、内田晃記者が「義務教育国庫負担金、文科省と総務省が再び火花」を書いていました。「国と地方の税財政改革(三位一体改革)の焦点である『義務教育費国庫負担金』をめぐり、対立してきた文部科学省と総務省が、06年度予算の概算要求でも火花を散らしている。昨年秋に決まった05~06年度での暫定的削減に反発する文科省が2兆5千億円の満額を要求。地方への税源移譲を進めたいとする総務省は、予定通りの削減を前提に要求する」
ご承知の通り、「政府・与党は昨年11月、激しい議論の末、同負担金2兆5千億円のうち8,500億円を2年間で暫定的に削減することで合意。これを受けた05年度予算では削減額の半分に当たる4,250億円がすでにカットされた」ものです。
まだ正式に決められたことではないようですが、もしそうだとすると、文科省が政府が決めた方針に反する行動をとるとは、「すごいこと」ですね。先だって、総理の郵政民営化方針に反するとして、総務省幹部が更迭されたことは、記憶に新しいところです。同じく「造反した」国会議員も、党公認を受けられませんでした。
このような例を出すまでもなく、政府が決めた方針に反する行動を大臣と官僚がとって良いものなのか、許されるものなのか、注視しましょう。日々、これまでにない日本政治の教材を見せてくれますね。(8月26日)

輸入商社としての東大と官僚

22日の朝日新聞「戦後60年」は、東大でした。「小宮山宏学長は『世界一の総合大学を目指す』と宣言した」「日本はすでに30年前には先進国になっていたのだから、東大も世界の先頭を目指すべきだった。しかし明治以降、あらゆるものを外国から輸入してきたから、その発想がなかった」
「南原先生の時代は、欧米のものを持ってきて大衆に配るのがエリートの役割でした。今の日本は、高齢化、少子化、環境問題など、世界でも未知の問題が集中する『課題先進国』。モデルを追いかける時代から、自分でモデルを作らなければいけない時代になった。そして私たちが作るモデルが世界標準になる。知識の輸入ではなく、先頭に立つ勇気が必要だ」
かつて天下国家を考えていた東大生が、今は自分のことしか考えなくなっているという指摘があることに対しては、 「日本は国家や企業のために頑張ることを通じて個人を作ってきた社会だった。これからは個人が自分のために頑張る中からリーダーが生まれ、結果的に社会に貢献する」
その東大とセットになっていたのが、霞が関の官僚でした。欧米から先進行政を輸入し、日本中に行き渡らせました。各省は「総輸入代理店」であり、官僚は地域で生じる問題を拾い上げ解決する訓練を受けず・そのような思考はありませんでした(拙著「新地方自治入門」p57,p287)。

日本の政治

日経新聞が25日まで、国際面で「ブッシュ政権2期目、権力のツボ」を、各省ごと4回に分けて連載していました。それぞれの長官やスタッフが、どのような主張を持ち、どのような政策を展開しそうかを解説していました。
日本では、このような記事が書かれませんよね。せいぜい、経済財政諮問会議と日銀政策委員くらいでしょうか。これは、次のようなことを示しているのでしょう。
①大臣ほか政治家が、政策を明確にしないこと。
②各省の高級官僚も、政策を主張しないこと。
これまでの日本は、これでも済んだということでしょう。
日本に帰ってきたら、日本の各省についてもこのような記事を書いてくださいね、小竹洋之記者。(6月25日)
(利益団体・政党・改革)
23日の日本経済新聞「衆院選、政策責任者に聞く」で、与謝野馨自民党政調会長は次のように述べています。
「民営化の意義はどこにありますか」と問われて。「改革への意志、思想、哲学が問われる。改革で党が自己犠牲を払う覚悟も問われている。自己犠牲とは今までの支持母体を失い、支持母体に支えられてきた国会議員も失う、ということだ」

官僚と政治

21日の日本経済新聞が、「経済政策、政官に緊張関係。自民でも民主でも内閣主導一段と」を書いていました。
「両党とも『小さな政府』を掲げて官のリストラに取り組み、首相官邸を核にした内閣主導の経済政策運営を進めようとしているからだ。両党がマニフェストをまとめた際も、意識的に与野党と距離を置いたり、逆に根回しに走るなど官僚の対応も分かれた。霞ヶ関は、政治との新たな関係を模索している」
政治主導が進めば、当然、官僚と政治との関係も変わってきます。いえ、変わらなければなりません(拙著「新地方自治入門」p291~、一橋大学3)。