三位一体改革その2

2003年11月~12月
2003年11月18日の諮問会議から、三位一体改革が再び動きはじめました。民間委員の発言を受けて、総理から「16年度予算で1兆円の補助金削減・縮減や税源の移譲を目指す」との強い指示がありました。
私の見方】(「新地方自治入門補足と追加」のページと重複)
私は、2003年11月9日に行われた衆議院選挙は、後世「マニフェスト選挙」と呼ばれるものになると考えています。それは、「今回、有権者がマニフェストによって投票したか」ということではありません。
私が今回の選挙を「マニフェスト選挙」というのは、今回のマニフェスト、特に与党のものが今後の政治を「縛り」、そのことが日本の政治を変えると考えているからです。
躍進はしましたが負けた民主党は、マニフェストを実行する必要はありません(できません)。しかし、勝った与党は、約束を実行しなければなりません。そして、野党は、与党の実績を追求します。
その中でも注目されるのは、「三位一体」です。これは、他のマニフェストと違い、時期と量が明示されています。しかも、「3年間で4兆円」というと、多くの人は初年度にある程度の成果を期待するでしょう。そして、このマニフェストは次回の総選挙はもちろん、来年7月に行われる参議院選挙が「中間試験」になると考えられます。それを考えれば、16年度予算ではなんらかの結論を出さなければならない、と関係者は考えると思います。
交付税改革
11月28日の経済財政諮問会議に、麻生大臣が三位一体改革の中で、「交付税改革」を発表しました。その骨子は、
①総額の削減加速
②算定方法の大幅簡素化
③地方団体の不安解消です。

このうち②は、
ⅰ県分の補正係数を半減
ⅱ県分公共事業の事業費補正(災害等を除く)を原則廃止
ⅲ市町村分の段階補正を引き続き合理化
ⅳアウトソーシングによって単位費用を引き下げ、です。
来年度から、順次実行することになります。

補助率カット
今回の補助金削減で、補助率を引き下げると回答した省があるそうです。私は、順次補助率を引き下げ、3年後に補助率0%(一般財源化)にする第一歩なら、良いと思います。でも、それが生活保護費なら、いかがでしょうか。生保は、中央政府が責任を持つ仕事の代表だと思います。なぜ、厚生省は、真っ先に生活保護を「放棄」するのでしょうか。
また、他の補助金については、「国が責任を持たなければならないので、補助金堅持」という主張もあります。それなら、なぜ補助率2分の1で堅持するのですか。それほど重要なら、10分の10国が持てばいいのです。国の責任といいながら、半分しか金を出さないから、交付税が必要になるのです。

教育の水準論
「教育の水準を確保しなければならない」という意見について。
今、父兄が教育に期待している水準は、何でしょうか?それは、先生の給料の水準でしょうか。私は違うと思います。私が、子供が通っている学校に期待する水準は、教育内容の水準です。それは、いじめがないことや学級崩壊がないこと、必要な知識や生き方を教えてくれることです。
しかも、今回の一般財源化は、教員の数を減らしたり、給与を減らすことを目的とはしていません。先生の給与の財源を、県2分の1から、2分の2にしようとしているのです。
今、教育に求められている喫緊の課題は、「教育の内容の水準の確保」でしょう。それを、「先生の給与の財源を誰が持つか(金額は変えずに)」という問題に「矮小化」しているとしたら、それは「行政と政治の罪」と後世批判されると思います。あなたは、どう思いますか?(11月28日)
朝日新聞一面
12月4日の朝日新聞第1面に、私の発言が載りました。
「破綻の聖域 地方交付税」という表題で、「『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない。官僚だけでは処理できなくなっている』総務省の岡本全勝・交付税課長が地方自治体職員ら約140人を前に、制度の窮状を明らかにした。東京・新宿で11月11日に開かれた地方自治講演会。交付税の責任者が吐露した本音に、参加者は驚いた。」という書き出しです。
その補足と「訂正」です(朝日新聞のHPは有料なので、リンクは張れません)。

「交付税制度は破綻状態に近く・・」 という記述について。
正確には「交付税制度は、制度としては機能的な制度です。しかし、現在は財源が大幅に不足して、持続が難しいのです。そして、その財源は税であり、その総量を官僚は決めることができません」ということです。
新聞記事だと、「交付税制度が破綻」と読めます。担当課長としては、「もし破綻になるような制度だったら、それを改革する」のが務めです。私は、それを放置するような無責任な官僚には、なりたくありません。
記者も私の志を理解して、わざわざ私の名前を出してくださったのだと思います。でも、この文章では誤解されそうなので、この点は朝日新聞に「抗議」します。

「交付税の見直しは手つかずのままだ」という記述について。
この点は、大きな事実誤認です。例えば経済財政諮問会議「骨太の方針2001」で述べられたことを、もっともよく実行したのは交付税です。総額の削減は国の歳出削減率よりはるかに大きく、段階補正・事業費補正の削減も「忠実に」実行しました。その他の提言と、検証してみてください。この点も、抗議します。

これまでのこの種の新聞報道に比べると、今回の記事は「正確かつバランスが良い」と思います。その点では、辻記者と宮崎記者にお礼を述べたいと思います。しかし、正確を期すために、この二点を述べておきます。(12月4日)

朝日新聞一面

この講演会での発言が、12月4日の朝日新聞第1面に載りました。
「破綻の聖域 地方交付税」という表題で、
「『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない。官僚だけでは処理できなくなっている』総務省の岡本全勝・交付税課長が地方自治体職員ら約140人を前に、制度の窮状を明らかにした。東京・新宿で11月11日に開かれた地方自治講演会。交付税の責任者が吐露した本音に、参加者は驚いた。」という書き出しです。
続きは、三位一体改革

朝日新聞一面

今朝の朝日新聞第1面に、私の発言が載りました。
「破綻の聖域 地方交付税」という表題で、「『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない。官僚だけでは処理できなくなっている』総務省の岡本全勝・交付税課長が地方自治体職員ら約140人を前に、制度の窮状を明らかにした。東京・新宿で11月11日に開かれた地方自治講演会。交付税の責任者が吐露した本音に、参加者は驚いた。」という書き出しです。その補足と「訂正」については、
三位一体改革をご覧ください。なお、「新聞の第一面に、官僚が実名で出てくるのはいかがなものか」という批判については、別途書きます。

イラクでの事件

イラクで、日本の外交官お二人が、亡くなられました。カンボジアでのPKOで、警察官とボランティアが亡くなったのが、10年前の出来事でした。急きょ、村田自治大臣と現地に飛んだときのことを、思い出します。ご冥福をお祈りします。

新地方自治入門 補足2

まちをつくっていない市役所p179について
季刊『国際文化研修』2003年秋号(全国市町村国際文化研修所)に劇作家の平田オリザさんが「対話の時代に向けて」の中で、次のようなことを書いておられます。全く同感です。少し長くなりますが、一部を紹介します。(2003年12月3日)
「・・・ここ数年で日本の都市の風景が画一化してきました。バイパス沿いに大きなショッピングセンターができて、中心市街地の商店街はどんどん寂れていくという現象が、どの自治体でも起こっています。・・しかし、私たちは利便性を追求するあまり、失ってきたものがあるのではないでしょうか。
いちばん失ったものは、商店街、旧市街地が持っていたコミュニティスペースとしてのノウハウです。商店街が寂れていくと、まずお風呂屋さんがなくなり、そして散髪屋さんがなくなります。これは、・・かつてはまさにコミュニティスペースだった場所です。ここに集まってくる人たちが、ある種社会の安全弁になり、また若者の教育係にもなって、コミュニティが保たれていたわけですが、今はそういうコミュニティスペースがどんどん減ってしまっています。あるいは、原っぱでは子どもたちの学年を超えた交流が保障されていましたが、そういうスペースも減っています。
たとえば渋谷は30年ほど前には小さな街でしたが、この30年間で東急と西武という二つの資本によって拡大され、今や若者の街になっています。センター街ではチーマーと呼ばれる不良少年たちが地べたに座り込み、怖いので大人たちは近づかなくなりました。要するに、スラム化が始まっているのです。
・・・渋谷という街は資本の論理だけで街を拡張し、ヨーロッパの街なら必ずあるような噴水のある広場や公園などをつくってきませんでした。唯一渋谷にある宮下公園も、ホームレスのたまり場になっていて若者が寄りつくような場所ではありません。
・・・この象徴的な例は、おととし東村山で起きた、中学生がホームレスを殺害したという事件です。彼らは図書館で出会っています、冬の寒い時期で、おそらく居場所のない中学生もホームレスも図書館に行ったのです。そこで中学生が騒ぎ、それをたしなめたホームレスが逆恨みを受けて殺されてしまいました。これは明らかに中学生が悪いのですが、その背景には弱者の居場所をつくってこなかった日本の都市政策の無策があるのだろうと思います。
・・・私たちは人工的な出会いの広場をつくっていくべきだと思います。美術館や音楽ホールなどの公共文化施設は、本来そういう出会いの場になるべき空間なのです。逆に言うと、もしそれが出会いの場になれば、非常に大きな役割を共同体の中で果たせるでしょう。
・・・ただ、かつてのように地域に住んでいるという理由だけで町内会に入り、春はお祭り、夏は盆踊り、秋はおみこし、冬はもちつきと全部の行事に参加することは、特に若者は息苦しくてできません。
そこで、これからの自治体の責務は、文化施設をつくって、そこにさまざまなメニューを用意し、そこにいろいろな人々が参加し、何らかの形で緩やかにつながっていくネットワークを築くことです。これは大変なように見えますが、いったん街がスラム化すれば、その治安を回復するためには大変な税金を使わなくてはいけなくなります。
しかし、このことはまだ日本の市民社会のなかでは必ずしもコンセンサスを得ていることではありません。そして、日本の行政は、今まで基本的にはタックスペイヤーに対するサービスの提供に徹してきて、明日の住民、社会的弱者に対しては福祉行政という形でしか対応してきませんでした。その人たちにどうにかして社会参加をしてもらい、社会を活性化する積極的な役割を果たしてもらおうという考え方は、まだ日本の地方行政では主流にはなっていません。」
以上が平田さんの主張です。