2003年韓国訪問記2

(3)韓国人と日本人の違い
日本人と韓国人は、約6千年前に分化したという説があります。何年前かはわかりませんが、どうもそう古い昔ではないような気がします。
これまで、私は、「韓国と日本はこんなに近くにいながら、どうしてこうも違うのだろう」と思っていました。しかし今回、「そんなに違ってないぞ」と思うようになりました。
日本人と韓国人の違いを考えるとき、生物の面と文化の面があります。まず生物の面です。顔を見ると、多くの韓国人と日本人の顔は区別がつきません。ソウルの街角と東京の街角で、通行人の写真を撮ると、たぶん多くの人は区別が付かないと思います。
確かに「この顔は韓国の顔だ」と思う顔もあります。でも、その多くは、文化による顔の違いではないでしょうか。私たちは、髪型の違い、化粧の違い、服装の違いで区別しているのではないでしょうか。
(若いころ、「おまえの顔は韓国系だ」と言われたことがありました。まあ、私は飛鳥の出身なので、「1300年前に朝鮮半島から渡ってきた帰化人の子孫かもしれないなあ」と思っていました。その後、韓国に行くたびに、「私は1300年前に・・」なんて言ってたら、韓国の人に、「あなたの顔は、韓国にはありません。大陸系(中国系)です」と、きっぱり言われました。)
(4)文化という化粧
今回、訪問してそれに気付きました。かつて私が感じた韓国人と日本人との違い(また、中国人との違い)ほどには、今回はわからないのです。ということは、私が韓国人と日本人とを識別していたのは、生物的な顔の違いではなく、「付属した文化の違い」をもって識別してのでしょう。
そこで問題は、生物的人間がまとっている文化という衣です。それは、服装や化粧や言葉でしょう。さらに、住まいや食事でしょう。
近年の両国の経済発展の接近と、両国の国際化でこれら文化のうちのいくつかは、かなり近接しました。たとえば、服装と化粧はほとんど区別がつかなくなりました。住まいと食事も、近くなりました(いくつかの違いについては別述べます)。残る一番の問題は、言葉です。
もっとも、韓国人に美人が多いこと、足がきれいなことについては、このほかの説明が必要です。
3 文明と文化
(1)差の強調か共通点の強調か
「文明」を国境や民族の違いを越えて伝わる生活様式と定義し、「文化」を国境や民族の違いを越えない生活様式と定義しておきましょう。すると現代人の生活を規定する生活様式から見て、次のようなことが言えるのではないでしょうか。
日本と韓国の違いを大きな観点から見てみましょう。すると、両国・両国民の違いはそんなに大きなものではありません。6千年の歴史で見ると、高々2~3千年の期間につくられたものです。その差をつくったのは、国家です。そして、特にこの200年ほどの期間に、特にその差を強調したのです。
日本と韓国の違いは、次々と消えつつあります。自由主義・民主主義・資本主義については、同じ理念を共有し、世界の中でともに生きています。行政制度は政治の選択ですから、違いは残りますが、これもそんなに大きな違いではありません。政治・行政の面で両国は違いを強調するのではなく、する必要もなくなりました。
(2)縮まる違い
経済状況も、ほぼ同じようになりました。私は、これが両国の差をなくすると考えています。他方をうらやむこともなく、また他方を蔑視することもなくなります。
また、生活の様式も近接します。服装・食事・住まいも違いがなくなります。もっとも、スーツ・ジーパンや女性の服装が共通化しても、チマ・チョゴリと着物が結婚式に用いられるように、伝統文化はそう簡単にはなくなりませんが。食事も、キムチと伝統的和食はなくならないでしょう。でも、パン、ハンバーグ、ビールといった共通に食べる食品が増えました。日本でも、キムチや焼き肉といった韓国料理がはやっています。お互いに、相手の伝統的な食事を食べることに抵抗がなくなりました。
伝統的服装も伝統的食事も、高々この2千年の間につくられたものでしょう。この20~30年の間に起きた「接近」を空想の世界で延長すると、これから50年たつと、どれだけ日本と韓国の差は残っているのでしょうか。
さて、残るのは「言葉」の違いです。いろんなものが標準化される現代の世の中で、もっとも標準化が遅れているのが言葉でしょう。
しかし、日本語と韓国語はかなり似た言葉のようです。中国語や英語との距離とは違います。言語学者に聞いてみなければなりませんが、何千年前に二つの言葉は分かれたのでしょうか。そして、これから何百年経てば「方言」くらいの違いになるのでしょうか。
(3)楽しみな未来
今回、韓国に行くに当たって、司馬遼太郎さんの「街道を行く」シリーズのうち、「韓のくに紀行」と「耽羅」を持って行き、ホテルのベッドで読み返しました。耽羅とは済州島の古名です。司馬さんは、6千年あるいは2千年という歴史の中で、二つの国の関係を論じておられます。いつもながら、その分析の鋭さに感心します。
しかし、この2著が書かれてから、20ないし30年が経っています。韓国は民主化し、また経済発展しました。ソウルはかつての大阪より「近代化」し、街には日本からの女性観光客があふれています。司馬さんが、貧しさとみかんの島と描いた済州島も、年間15万人の日本人が訪れるリゾートになりました。
今、司馬さんが韓国を訪れたら、どのような本を書かれたでしょうか。私が、以上のような感想を考えたのは、司馬さんの本の影響が大きいです。それは二つの国が歴史的にそんなには離れた国でないということを、再度思い返してくれました。そして、司馬さんの本のいくつかの部分が、今や「時代遅れ」になっていること、そして、急速に両国が接近していることを感じさせてくれたからです。さらに、楽観的すぎるかもしれませんが、このままいったら、もっと両国は近くなると感じたからです。
このような話をしていたら、ある人が、「違いがなくなったら、旅行に行く魅力がなくなるじゃないか」とおっしゃいました。
そうですね、きっと国内旅行並になるのでしょう。すると、EU内で、隣の国に行くような感じになるのでしょう。
参考文献
岡崎久彦著「隣の国で考えたこと」(1983年、中公文庫)
木宮正史著「韓国-民主化と経済発展のダイナミズム」(2003年、ちくま新書)
森山茂徳著「韓国現代政治」(1998年、東京大学出版会)
クレアソウル事務所編「韓国の地方自治」(2003年)