「仕事の仕方」カテゴリーアーカイブ

生き様-仕事の仕方

「やめてやる~」

私がまだ駆け出しの頃の話です。
仕事の後、先輩に誘われて、しばしば飲みに行きました。その席で、一人が仕事がうまくいかないことを話題にして、笑いながら「やめてやる~」と叫んでおられました。私たちも、一緒に笑っていました。
もちろん笑いながらで、その方は仕事もとびきりできて、出世されました。

知人と、最近の若い人たちが早くやめて転職するという話をしていて、思い出しました。
当時は、若くしてやめることは負けと見なされ、やめた官僚を雇ってくれるところも簡単には見つかりませんでした。転職が難しい環境で、その先輩はやめることはないので、そのような「叫び」をしておられたのです。
ところが最近では、「やめてやる」は実行されます。転職が自由な時代になって、この叫びは笑い話ではなくなりました。

真面目だけでは評価されない

6月10日の日経新聞夕刊「人間発見」、田村咲耶・MonotaRO社長の「優等生気質を超えてゆけ」第2回から。
2007年、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に入社したときの話です。

・・・1年目は企業をヒアリングして中期経営計画をまとめたり市場調査をしたりしました。文章の書き方や報告書のまとめ方など、上の人が最後までついて赤入れしてくれました。真面目でガッツも情報収集能力もある私は新入社員のエース的存在で、就職情報誌などにも取り上げられました。言われたことをきれいにまとめるのは得意だったのですね。

ところが2年目から評価が急落し、3年目は翻訳しか任されなくなりました。フットワークが軽くて情報は取ってきましたが、それ以上の判断や対応策などを示していなかったのです。電車で帰ることがほとんどないほど頑張ったのに評価されず、どんどん消耗していきました。
優秀な同期はプロジェクトリーダーの意図を理解した上で自分の頭で考えて仕事を進めていたのに、私は学生時代同様、量や暗記に頼っていました。ほとんどの同期がコンサルタントに昇格する中で私は昇格できません。コンサルタントとしては戦力外ということです。

いま思うと、3年目で「おまえの仕事のやり方はだめだ」と突きつけてくれたことに本当に感謝しています。真面目に良い点を取れるように頑張るだけでは、戦力になれないことを痛感したのです・・・

事なかれ主義の社内を改革する

5月29日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」は、長谷川隆代・SWCC会長の「暗黙の了解」に挑み続ける」でした。

・・・非鉄業界で初の女性社長を2018年から7年間務め、4月に会長となったSWCC(旧昭和電線ホールディングス)の長谷川隆代さん(65)。社長就任前、同社は90億円の最終赤字を出すなど苦境が続いていたが、経営の効率化を図ると業績が向上し24年度は過去最高益に。事なかれ主義だった社内で改革を断行できた背景には「正しいと思うことを言い続ける」という信念がある。

――社外取締役からの推薦で社長になりました。常務など他の上席役員を飛び越しての抜てきでしたが、なぜ白羽の矢が立ったのですか。
「13年に役員になってから、末席で取締役会に出席して経営に携わっていました。誰も反論しない決議事項に自分なりの論を述べ続けたことが、社外取締役から評価されたのだと思います」
「取締役会の出席者は私以外全員男性。『根回しが済んでいるので会議では発言しない』という暗黙の了解がありました。私は違和感があれば質問や異論を述べました」
「他の出席者からは白い目で見られていたと思います。そもそも可決が前提の審議なので、意見を伝えても『参考にします』と言われるだけ。それでも5年間、めげずに声を上げ続けました。部門の代表としてその場にいるのだから、発言こそが価値だと考えていました」

―どこに問題意識を持っていましたか。
「会社全体に広がっていた、事なかれ主義の意識です。電線を手掛けるインフラ企業なので、よほどのことがない限り会社は潰れず、危機感を持たずに働けます。ただ、変化のスピードが速い社会での現状維持は退化になります」
「役員の頃、営業利益目標が90億円の年がありました。理由を尋ねると『90周年だから』といいます。非効率な経営体制と低い利益率を変えたいと思いました」

―変化を起こすために何から始めましたか。
「不採算事業を整理するという課題を解決するため、各役員に事業再編案を考えてもらうことから始めました。数日後、ある役員からできない理由が3〜4ページのリポートになって出てきました。抜本的には事業を見直さず、利益を増やすための提案がつづられていました。赤字でないのになぜ問題視するのかと、不満がにじんでいました」
「当たり前ですよね。どんな役員でも、担当する事業をどうにかして生かしたいと思うはずです。私が感覚的に問題だと話してもわかってもらえない。どう説明すべきかを悩みながら経営の本を読みあさりました」
「投資に対して効率的に利益が出ているかを示すROIC(投下資本利益率)という指標に出会いました。この指標を使うと、なんとなく続けていた不採算事業が浮き彫りになりました。国内生産拠点の再編と不採算事業からの撤退をして、担当社員の異動や再就職の支援をしました」

―リーダーは立場ではなく役割と説いていますね。
「役割は自ら見極めるものです。私の場合は、会社を変えることでした。社長という役割に徹して、最後には責任を取ります」
「リーダーシップの形はリスク時と平時で変えています。災害や危機対応といったリスク時にはある程度トップダウンで決めます。普段は全員の意見を聞いて進めます」・・・

複数作業は能率2割低下

5月24日の日経新聞別刷り「くらしの数字考」に「マルチタスクは能率2割低下 メモして脳に余白を」が載っていました。会社員も公務員も、同時に複数の仕事を処理しなければなりません。一つのことに集中できれば良いのですが。この記事は参考になります。全文をお読みください。

・・・職場などで、複数の作業に追われる「マルチタスク」に悩む人は多い。ひとりで複数のタスクを負う能力は現代の必須スキルと目されている。ただ、能率が2割ほど下がってしまうようだ。
そもそもマルチタスクとは何か。大阪大学大学院生命機能研究科准教授の渡辺慶さんは「ワーキングメモリー(作業記憶)という短時間情報を保持して、操作する認知能力と関連が深い」と話す。

古い記憶など様々な情報の中で、いま必要なものだけに注意のスポットライトを当ててアクセス可能にしておくのがワーキングメモリーだ。一度にアクセスできる状態にしておける情報の量がワーキングメモリーの容量。この範囲内で人は複数のタスクをこなしている。
脳科学が専門の明治大学理工学部専任教授、小野弓絵さんは「若い人もマルチタスクをすると平均2割程度、正答率が下がることがわかった」という。実験は渦巻きを描きながら足し算するというもので、2つの作業を同時に行う日常の場面に置き換えて考えられる。マルチタスクでは能率が2割ほど落ちるようだ。

このときの脳内の活動を観察すると、タスクを順調にこなせているときは左脳が中心的な役割を担い、右脳も連携して働いているが、タスクの負荷が高まると右脳の活動が活発になり、左右の連携がうまくいかなくなる様子が現れる。
「左脳は言語や論理を、右脳はイメージや感情などをつかさどるが、左脳だけで処理しきれず右脳に助けを求めるようになる」(小野さん)。だが、右脳はもともとの担当と異なる仕事のためできる量に限界がある。
徐々に能率が下がり、普段使わない右脳も駆使して処理しようとするフル回転状態になる。これがマルチタスクを完全に処理しきれずに頭がパンクしそうになっている時の様子だそうだ・・・

・・・避けがたいマルチタスクで頭がパンクしそうになったらどうしたらいいのか。
明治大の小野さんはメモを勧める。一度書き出せば、安心して忘れることができるからだ。「ワーキングメモリーの容量は限られていることを意識して、いっぱいになりそうだったら少し脇に置く」。意識的に脳に余白をつくることが肝心だ・・・

成功には千人の父親がいる。だが、失敗は孤児である。

うろ覚えだったのですが、「成功するとたくさんの親が出てくるが、失敗するといなくなる」という表現を思い出しました。正確には何かと思って、インターネットで探したら、ありました。
アメリカのケネディ大統領の言葉だったのですね。
”Victory has a thousand fathers but defeat is an orphan.”
「成功には千人の父親がいる。だが、失敗は孤児である。」

だとすると、A・M・シュレジンガー著『ケネディ ― 栄光と苦悩の一千日』(1966年、河出書房新社。中屋健一訳)に出てくるのではないかと、探してみました。この本は、大学に入ってすぐの頃(1973年)、わくわくしながら読みました。ケネディ大統領暗殺は1963年で、まだつい最近のことでした。これは本棚の分かりやすいところに置いてあるので、すぐに取り出せました。
たぶん、ピッグス湾事件の失敗のあとだろうと当たりをつけて斜め読みすると、出てきました。上巻の304ページ下段でした。ただし、次のように訳されています。
・・・一方大統領は国務省の講堂で行われる記者会見へ出かけていった。ここで彼は、内幕の暴露ものを排斥した。「勝利には500人もの父が名乗りを上げるが、敗北は孤児である、という古い諺があります」(後になって私は、この適切な評言をどこから引用したのか、彼にたずねてみた。彼は驚いた様子で、あいまいにこういった。「さあ、知らんね。ただの古い諺だよ※」)・・・

英語版も、当たってみました。私が持っているのはペーパーバックで、Arthur M. Schlesinger Jr. 「A Thousand Days: John F. Kennedy in the White House」(2002年、Mariner Books)です。289ページに出てきました。
・・・”There’s an old saying that victory has a hundred fathers and defeat is an orphan.”(I later asked him where he had come upon this felicious observation. He looked surprised and said vaguely, “Oh,I don’t know;it’s just an old saying.”) ・・・

不思議なのは、※の出典についての注記です。日本語版では次の通り。
※ イタリアの外相でムッソリーニの女婿だったチアノ伯は、日記の1942年9月9日の項に、次のように書いている。「歴史の常で、勝利には百人の父親が名乗り出るが、敗北は孤児のまま取り残される」

英語版では、次のようになっています。
※ Emily Morison Beck,the editor of the new edition of Bartlett’s Familiar Quotatios,informs me that she knows of no previous use of this “old saying.”

と書きましたが、連載「公共を創る」第182回の注に書いていました。