「ものの見方」カテゴリーアーカイブ

自由と平等が進むと社会が分裂した

4月27日の読売新聞「あすへの考」は、佐伯啓思先生の「「米主導」没落 文明並立へ」でした。いつもながら鋭い分析です。ここでは一部しか紹介できないので、原文をお読みください。

・・・トランプ氏が高関税など独善的政策を強行しています。特異な米大統領の突拍子もない好き放題が耳目を引きますが、私は「トランプ現象」の由来に着目します。
第一は民主党のリベラル的政策の破綻。多様性確保や性的少数者擁護を「ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)」を盾にして一つの正義にし、反感を買った。
第二は米国東部・中西部の「ラストベルト(さびついた工業地帯)」が物語る、製造業の衰退と白人労働者らの困窮。
第三は司法・行政などの専門家に対する大衆の信頼の喪失。専門家は利己的で、公正な判断を怠っていると多くの国民が受けとめた。

私は次のように考えます。
個人の自由や権利の平等を尊ぶ自由主義は米国の中心的価値です。ただ多様性や少数者をめぐり自由と平等の徹底を図ったことで、かえって社会が分裂した。中心的価値が齟齬をきたしたのです。
ラストベルトは世界規模の経済競争の結果です。米国は鉄鋼など国際競争力を失った製造業を見捨て、情報技術(IT)と金融を最重視する政策転換を敢行した。米国型ITと金融は国際市場を制したが、一握りの人間が利益の大半を手にする事態となり、貧富格差が甚だしく拡大した。ITは虚偽情報の洪水を起こし、社会の秩序と道徳の混乱を招いた。
トランプ現象はグローバル化が破綻していることの反映です。トランプ氏が高関税で自由貿易を破壊していると見るのではなく、グローバル化で自由貿易がうまく機能しなくなる一方で、市場競争に代わる制度を見いだせない状況下で、トランプ氏は強引に事を運んでいると理解すべきでしょう。

グローバル化は東西冷戦でソ連に勝利した米国の自由主義・市場競争・IT・金融が一気に世界に拡大した現象です。米国には独特の歴史観があります。「アメリカニズム(米国型)」は普遍的であり、世界が米国型を採用し、同じ一つの方向に進めば国際秩序は安定し、人類は幸福になるという信念です。
実際には米国型は米国の風土の産物です。その担い手は「ワスプ(アングロサクソン系プロテスタント白人層)」でした。古代ギリシャ・ローマを範とするエリート主義です。この支配層が道徳観と責任感を共有し、国を動かした時代は自由・民主主義はうまく作用した。綻びが生じたのは1960年代。人種的少数派の黒人が公民権運動を通じて政治に参画するようになったことです。ワスプは米国型の人権の普遍性という建前に縛られて、自らの支配を手放す行為に至ったともいえます。以後、多文化主義が台頭し、国論の分裂・対立が常態化してゆきます。
一方、自由主義経済学の根本理念、「私益は公益なり」はグローバル化の経済には通用しなかった。企業が利益を求めて生産拠点を国外に移転すれば、国内の製造業は空洞化する。私益の追求は公益に直結しないのです・・・

・・・私見では「冷戦後のグローバル化」「100年に及ぶ米国型の普遍化」「250年に及ぶ欧州近代社会」という三つの試みが今、全て機能不全に陥っているのです・・・

灯りを描くには周りの暗さを描く

東京大学出版会の宣伝誌『UP』に、画家の山口晃さんが「すずしろ日記」を連載しておられます。
5月号(第241回)は、新緑の鮮やかさが目に入り、さらに感覚器官の興奮を引き起こすことと、セザンヌがそれを絵の中に作り上げたことを書いておられます。そこに、次のような文章があります。
・・・ローソクの灯りを描こうと思ったら、逆算して灯り以外の暗さを描くしかないのだが、セザンヌのした事はそれに似ている・・・

あるものごとを分析する際に、そのものごとの内部を深く分析するだけでは理解できず、それが社会でどのような位置を占め、どのような影響を与えたかを分析する必要があることを思い出しました。「内包と外延、ものの分析

渡邉雅子著『論理的思考とは何か』

渡邉雅子著『論理的思考とは何か』(2024年、岩波新書)を読みました。勉強になります。アメリカ、フランス、イラン、日本の4か国の「作文」「作文教育」を比較して、文化が違うと「正しい論理」が異なることを示しています。
私は「論理的思考とは何か」という表題にひかれて、「どのようにしたら論理的思考ができるのか」を知りたくて買ったのですが、全く違いました。わかりやすい表現にすると「文化の違いに見る論理の違い」です。論理的思考は、世界で一つではないのです。
著者はアメリカの大学に留学し、小論文を書くのですが、「評点不可能」と突き返されます。どんなに丁寧に書き直しても、同じ評価です。ところが、アメリカ式小論文の構造を知って書き直すと、評価が三段跳びでよくなりました。ここで、求められていること、日本とアメリカの論理の違いを発見します。

第二章は、「「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範──四つの領域と四つの論理」と題して、次のように、4つの国の規範と論理を比べます。
経済の論理──アメリカのエッセイと効率性・確実な目的の達成
政治の論理──フランスのディセルタシオンと矛盾の解決・公共の福祉
法技術の論理──イランのエンシャーと真理の保持
社会の論理──日本の感想文と共感

アメリカを経済、フランスを政治、イランを法、日本を社会と表現することには、厳密性や論証に欠けるとの指摘があるかもしれません。しかし、4つの国の論理を表現するには、わかりやすい言葉です。
なお、取り上げるのは作文で、アメリカのエッセイは、日本語の随筆ではなく、英語本義の小論文・試論です。ディセルタシオンは、フランスの小論文。エンシャーもイランで作文の意味ですが、これは求められるものが全く異なっています。
国際社会で活躍する人には、とても参考になると思います。日本の職場で文章を書く際に、「結論から書け」と指導されます。私もそのように心がけました。学校で習った作文と何が違うのか。その参考にもなります。お勧めです。

なお、日本文化論についても考えさせられました。かつて、西欧と日本の生活文化の違いを比較する、日本人論が流行りました。それらは極端に言えば、西欧を「進んだ文化・世界の標準」と見なして、「遅れた・特異な」日本を比較するものでした。この本のように、複数国を比較したものがなかったことに気づきます。また、アジアやアフリカ社会と比較したものも、ほとんどありませんでした。
もちろんこの本も、ほかの欧州、アフリカ、アジア、南アメリカを扱っていません。それは一人の研究者では、無理でしょう。

知図その2

先日書いた「知図」を読んだ読者から、指摘を受けました。
「KJ法も、これではないですか」

そうですね。
KJ法は、川喜田二郎さんが考案した、思考の整理方法です。たくさん集めた情報をカードに記述し、カードをグループごとにまとめて並べます。そこから、一定の法則を見いだしたり、問題の解決を見つけます。(ウィキペディア

学生時代に『発想法』(中公新書、1966年)を読んで、考えを整理する際や、原稿の骨子を作る際に利用しています。『明るい公務員講座 仕事の達人編』でも紹介しました。
知図とよく似た方法です。違いは、KJ法が思考の整理方法(過程)なのに対し、知図はできあがった配置図(結果)であるということです。

知図

「知図」とは、私のつくった言葉です。いくつもの事柄を、頭の中や紙の上で地図のように並べて、それらの位置づけを理解するのです。
生物の系統樹を思い浮かべてもらうと、わかりやすいでしょう。バラバラなものを、何らかの基準で結びつけ、並べるのです。トランプの札も神経衰弱ゲームの際にはバラバラに(裏返して)置きますが、7並べゲームだと数字の順に並べます。すると、どの札がどこにあるかがわかります。

地図の利点は、道路や建物や山や川の位置を示す際に、言葉で示すよりわかりやすいです。それと同様に、ある基準で並べてつなぐのです。それを、頭の中や、紙の上に表示すると思ってください。知識の地図なので、知図です。分野ごとに分類し、それらの関係を理解することもあります。西欧哲学・思想家の歴史、音楽の歴史と分野、絵画の歴史と分野などです。

頭の中には、いろんな記憶がバラバラに入っています。それらを、連想によって次々と引っ張り出します。その連想の要素は、その時々によって異なります。ある花を見たときに、同じ色の花を思い出すこと、同じ種類の花を思い出すこと、季節を思い出すこと、その花にまつわる思い出を思い出すこと、その花が載っていた本を思い出すこと・・・
これが上手な人が、記憶力がよい、引き出しをたくさん持っている人なのでしょう。「位置づける」「頭という限りあるキャンバス

念のために、インターネットで「知図」を検索したら、次のような項目が出てきました。市川力著『知図を描こう!』(2023年、岩波書店)。「全国の小中高校の探究授業や住民参加の地域活動で注目を浴びる「知図」。知図とは自分が歩いて見聞きしたコトやモノ、感じたことを一枚の紙に自由に描く自分なりの「発見の記録」です」。これは、各自がつくる地図ですね。
知図その2