カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

仮設住宅の入居費

仮設住宅の入居費について、今後の議論の参考にしていただくために、書いておきます。一部の方から問題を提起されて、いまだに整理できていないのですが。

災害で自宅が壊れた人に、応急仮設住宅を無償で提供します。光熱水費は有料です。以前は、プレハブの仮設住宅だったのですが、東日本大震災ではそれだけでは足らないので、空いている既存の公営住宅やアパートも提供しました。「プレハブ仮設」に対して、「借り上げ仮設」と呼んでいます。建設することなく提供できるので、早く提供でき、かつ住環境も良いのです。

これまでの災害では、2年程度で退去してもらえました。よって、プレハブの仮設住宅も極めて簡素なものです。基礎もしっかりせず、鉄板1枚の壁、間取りも4畳半二間です。ところが、北国ではそれでは寒いと言うことで、断熱材を張り、風呂の追い炊き機能も追加しました。そして多くの人は2年では退去できず、長い人は8年近くも住むことになりました。

さて、地元の人から提起された問題は、次のようなものです。
1 自宅を流された人に、無料で住宅を提供するのは理解できますが、家賃を払ってアパートに入っていた人に、無料で住宅を提供するのはなぜでしょうか。知人にそのような人がいて、借り上げ仮設入居中に家賃分を貯金した人がいました。
2 発災後は混乱し生活も大変なので、無料で提供するのはわかります。しかし、長期にわたって無料で適用するのは良いのでしょうか。例えば2年間は無料で、その後は有料にしてはどうですか。プレハブ仮設は住みにくいので無料でも良いと思いますが、借り上げ仮設住宅は普通の住宅なので、無料なら出ていく気にならず、長居する人が出ます。
3 仮設住宅も家賃を取って、退去時に「移転支援」として家賃を返す(補助する)仕組みとしてはどうでしょうか。そうすると、仮設住宅から次の住宅に移ることが円滑になると思いました。

復旧事業費地方負担なし、関係者の声

先日の私のインタビュー記事「朝日新聞インタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」」に、地元関係者からお便りをいただきました。一部改変してあります。

・・・「地方負担ゼロも、それが当たり前という空気の中で(11年秋に)決まった。私も最初そう思ったが、しばらくしてよくなかったかなと」について、支援を受けた立場で言うのもなんですが、私もそう思います。
今回の被害は大きすぎて1%の負担でも被災自治体の負担は相当に上がり立っていられなかったかもしれませんが、地方負担ゼロにより事業の精査、見直しがおろそかになった面があるともいます。

それはハードだけでなく、ソフト面、例えば、人的応援において、早期の復旧復興にあたり他自治体からの応援は必要不可欠でしたが、応援を受ける自治体が「応援されることに慣れ、また、人件費負担もない」ということで応援要請が継続し、その一方でプロパー職員の育成が遅れたのではないかとも考えております・・・

後段の指摘も重要です。
被災市町村は被災者支援に追われ、新しい街づくり工事には十分な人手を割くことができませんでした。そもそも、市町村にはそれができる職員はいません。それで、他の大きな自治体から技術職員を派遣してもらいました。
ところが、その後に聞こえてきたのは、「街づくり工事を応援職員だけでやっていて、役場内で孤立している」との声でした。「用地買収など苦しい仕事を、応援職員に押しつけている」といった批判もありました。
応援職員に頼らざるを得ない実情もわかるのですが、このあたりは応援を受けている市町村幹部に配慮してほしいことでした。私も首長には注意喚起し、要請したのですが。

岩手・宮城の仮設住宅、来年3月末までに解消

12月12日の読売新聞が「岩手・宮城の仮設住宅、来年3月末までに解消 最大時6万5483戸」を伝えていました。
・・・東日本大震災で被災した岩手、宮城県で最大6万5483戸(16万7368人)あった仮設住宅が、震災から10年となる来年3月末までに解消されることがわかった。津波の被災地に最後まで残る98戸218人(11月末時点)の大半は、災害公営住宅などへ転居の意向を示している。一方、東京電力福島第一原発事故で被災した福島県の避難者は、県内外の仮設約900戸に約1600人が暮らし、解消のめどが立っていない・・・
参考「災害公営住宅完成

復興庁で活躍した民間人

12月10日の読売新聞夕刊に、「我ら東北サポーター130人、被災企業と汗 民間から復興庁出向」が載っていました。
・・・東日本大震災で被災した東北の企業を支援するため、民間企業から復興庁へ出向した人が130人を超えた。被災で失われた販路の回復や情報発信などに尽力し、任期を終えた後も「サポーター」として応援を続ける人も多い。震災10年を前に「被災地は第二の故郷」との思いを強くしている。
復興庁は2012年2月の発足以降、民間の力を活用しようと、1~3年の期限付きで出向者を募っている。これまでに通信や金融など43社・団体の計135人が採用された。・・・
記事には、ヤフーの高田正行さん、KDDIの花岡克彦さん、三越伊勢丹の川西恵理子さん(いわき沖で大きなヒラメを釣った人です毎日新聞)と、懐かしい人が紹介されています。

復興庁は、職員が足らないことから、企業にも派遣協力を求めました。「助っ人」として公務員と同じ仕事をしてもらうだけでなく、産業再開分野などで特にその能力を発揮してもらいました。公務員では出てこない発想で、政策を考えてくれたのです。
復興庁内に、そのための組織もつくりました。「民間企業との連携」。悩んでいる被災地企業と、知恵を出してくれる大手企業を「お見合い」させる「結の場」も、彼らが考えてくれた仕組みです。

お金の支援でなく、情報や人の支援の重要性を明らかにしてくれました。また、民間企業の人と知恵が、行政組織や政策に有用だということも、示してくれました。
慣れない仕事、職場でご苦労もあったと思います。ありがとうございました。

女川町の復興

12月11日の読売新聞に、宮城県女川町の航空写真が、大きく載っていました。被災直後の写真も載っていて、比較することができます。

・・・宮城県女川町の沿岸部には、防潮堤が建設されなかった。東日本大震災の直後こそ、高さ14メートルでの建設プランがあった。要望したのは商店主たち。これに町が反対した。津波の危険は完全にゼロにはできない。山に囲まれた女川の狭い宅地を削ることになる、とも。近くの山に、宅地を造成する工事が始まった。しかし、ぶち当たったのは、本物の壁だった。山の下は固い岩盤だったのだ。
「周辺は人が住み、病院もあるような場所。重機だけでも気をつかうのに、何度も発破しなければならない。貴重な経験でした」。現場責任者だった鹿島建設の星野亨さん(43)は振り返る。騒音や振動が抑えられる特殊重機を投入したり、火薬の量を通常より減らして発破したりして、10トンダンプ120万台分の土砂を削り取った。安全な宅地を造る工事は結局、4年半も続いた・・・・

航空写真ではよくわからないのですが、海側は5mほどかさ上げされています。海から駅に伸びる赤い舗装道路の左下に、道路に囲まれた丸い施設があります。その中に、ひっくり返った交番が保存されています。周囲がかさ上げされたので、そこだけ底地になっています。