カテゴリー別アーカイブ: 社会

行政-社会

「ひとり空間の都市論」

南後由和著「ひとり空間の都市論」(2018年、ちくま新書)を読みました。連載「公共を創る」で、平成の社会の問題の一つとして、「孤独」を取り上げています。その関心の延長です。

「おひとり様」と呼ばれる現象を、いくつかの角度から分析しています。冒頭に漫画「孤独のグルメ」が出た後、住まい、飲食店、モバイルメディア(ウオークマンからスマートフォンまで)などが取り上げられます。統計による分析ではなく、現象を捉えた、社会論、都市論です。

都市が人を自由にし、また一人で生きることを可能にします。江戸時代から、都市には独り者が多かったようですが。さらにその独り者が増え、そして生活しやすくなりました。
単身者が増える。そのような人を対象として店やサービスが増える。そして、さらに便利になって、単身者が増える・・・。という積み重ねなのでしょう。

単身者が重宝するのは、飲食店です。一人で入りやすい店が増えました。かつては、学生街の食堂と町の食堂でしたが、それらが少なくなり、ファストフード店が増えました。便利ですが、そのような店は、食事を楽しむというものではありません。
単身赴任したときに、雨の日曜の晩に一人で食べることは、わびしかったです。

日本語が読めない、書けない子供たち

3月22日の読売新聞言論欄、新井紀子・国立情報学研究所教授の「国語教育の改革 AI時代 読解力で生きる」から。

・・・日本の子供たちの読解力に危機感を持っています。
今回のPISAで衝撃を受けたのは、読解力が米国と同レベルだったことです。日本は、両親の母語も、生活言語も日本語という子供が圧倒的に多い。それに比べて、米国は移民が多く、家庭では別の言語を使うこともある。言語は自然に身につくという前提がないんです。
日本が、そういう国並みなのは、言語政策の長期的な無策が影響しているのだろうと思います。
米国やドイツ、フランスも、学校に多様な背景を持った子供が入ることを前提に、それぞれの子が本当に読めているか、書けているかを科学的にチェックし、体系的・段階的に必要な言語支援をしています。
しかし、日本では、子供の語彙ごいの量や、言葉の係り受けがどこまでわかっているか、といったことを十分に調査してこなかった。

1990年代初頭のバブル崩壊や、2008年のリーマン・ショックを経て、「一億総中流」といわれた同質性が崩れ、家庭も多様になってきました。テレビ、新聞、ラジオといった共通のメディアを視聴することが減り、語彙の共通部分もすごく小さくなった。家庭の経済格差や地域格差が広がり、普通に過ごしていれば誰もが自然に日本語が読めたり書けたりする状況ではなくなったことを認識すべきです。

東京都内のある小学校では、4年生のクラスで自分の名前を漢字で書けない子が半数を占めていました。授業では、穴埋め式のプリントにキーワードを書き込んだり、タブレット端末でキーを選択したりすることが多く、文字を書く機会が激減しています。ノートの取り方もわからない。筆圧が弱く、きちんとマス目の中に書けない状態です・・・

お客様は誰ですか。店頭の英語表記

「R、L、LL」って、何か分かりますか。先日紹介した、東京駅のコーヒー屋の店頭に掲げられています。
Regular、 Large、 LargeLargeの略なのでしょうか。それなら、大、中、小と表記すれば分かりやすいのに。私は、いつも「小さいので」と頼みます。

お店のホームページでは、S、M、Lと表記されています。
R L LLって、中学や高校で習うのかなあ。S、M、Lはいつの間にか覚えましたが。お客さんに分かりやすい表記をして欲しいです。

インターネットで、お店に意見を言うことができるので、次のように伝えました。
「いつもおいしいコーヒーをありがとうございます。店頭に「R、L、LL」との表示があります。Regular、 Large、 LargeLargeの略なのでしょうが。多くの日本人、特に高齢者や、アジアの人には、わかりにくいです。「大、中、小」という表記では、ダメなのでしょうか。様々な人が利用するお店です。まずは日本語で表記してください。」

すると、次のような返事が来ました。
「このたびは、弊社ホームページに貴重なご意見をいただきありがとうございます。
いただきましたご意見につきましては、関係部署に申し伝えまして今後の店舗運営の参考とさせていただきたく存じます。」

さて、どう改善されますかね。
参考「日本語の中のアルファベット

カタカナ日本語、イベント

厚生労働省が、新型インフルエンザ対策として「イベントの開催に関する国民の皆様へのメッセージ」(2月20日)を出しています。
このことに、異論はありません。未知の病気に対して、十分な対応をしなければなりません。私が指摘したいのは、その際の日本語です。

なぜ、ここで「イベント」というカタカナ語を、使うのでしょうか。この場合に適合する日本語に、催し、催し物、行事があります。
「イベント」というカタカナ語は、英語のeventを想定しているのでしょう。しかし、eventには、行事という意味もありますが、出来事、事件といった意味もあります。

また、イベントというカタカナ語には、楽しみや軽い集まりという感覚があります。多数の人が集まる会合に、慰霊祭や公的な祝賀式典、起工式などがあります。このような式に、イベントという言葉を使うでしょうか。3月11日の東日本大震災の祈念式に、イベントいう表現は使いたくないです。
本文中に、「イベント等の主催者」という表現があります。ならば、催し物とか行事と書けばよいのです。

中学生はどの程度、この言葉を理解するでしょうか。国民へのお知らせには、義務教育あるいは高校程度の日本語を使うべきです。定住外国人もいます。
国の機関、官僚がこのような言葉を安易に使うことに、悲しくなります。「老人の繰り言」と、笑われるのでしょうか。

と書いていると、NHKニュースが「クラスター」という言葉を使っていました。さて、小学校や中学校の先生は、生徒にどのように説明するのでしょうか。あなたなら、どのように話しますか。

新たな階級区分、イギリス。その2

新たな階級区分、イギリス」の続きです。

階級とは、客観的に存在するものではありません。人が、他人とは違うと意識することによって生まれます。そして、1人が意識するのではなく、その社会の多くの人が同様に意識することによって定着します。その「違い」が何か。見る人によって、階級の定義は異なります。
盛山和夫先生の『社会学とは何か』(2011年、ミネルヴァ書房)の、あとがきを思い出しました。先生は卒論で「階級とは何か」に取り組み、挫折します。「階級概念をどう定義すべきか」という問が解けなかったのです。その理由は、階級は客観的に実存しているのではなく、理念としてつくられたものだったからです。

日本では、明治維新で士農工商の身分が廃止されました。戦後改革で華族制度廃止、財閥解体、農地解放が行われ、身分区別がなくなり、また大金持ちがいなくなりました。さらに、経済成長を通じて平等化がすすみ、「一億総中流」と言われる、世界でも希な平等社会が実現しました。
かつてのような、生まれによる階級は薄くなりました。努力すれば、収入や社会的地位を得ることができます。

それでは、階級はなくなったのか。いえ、依然として存在します。上流、中流、下流という区分を、私たちも使います。さらに、近年では、格差拡大が大きな問題になっています。階級の元祖である経済的格差が、復活しているのです。
その元になるのは、
・高学歴を目指すことができるか(各人の努力の前に、家庭の事情で塾や有名進学校に行けるかどうか、出発点において差が出ています)
・職が正規化非正規か(労働者と経営者の対立より、こちらの差の方が実質的になりました)
などでしょう。