身につけた経済力を生かす

日経新聞夕刊「人間発見」、先週は大和証券グループ本社会長 日比野隆司さんでした。「危機は乗り越えられる」第3回、8月29日から。入社3年目に、ロンドンに赴任されます。

・・・ロンドンに到着したのが早朝5時。迎えにきてくれた先輩と朝食をとると8時にはオフィスへ。着くやいなや仕事でした。
顧客からの電話ががんがん鳴ります。国債や円建て外債(サムライ債)の注文に、こちらから価格を提示しなければなりません。かたことの英語しか話せませんから脂汗でした。昼休みに英語で市場コメントをテレックスで送り、午後また電話対応。夜はニューヨークへファクス。へとへとの初日でした。
そのくらい業務が急拡大していました。円の国際化が進み、ユーロ円債市場も発展する時期です。「ザ・セイホ」と呼ばれ、日本の機関投資家の動きを世界が注目していました。ロンドンの金融街シティで、日本人が肩で風きって歩いた唯一の時代といっていいでしょう・・・
・・・日本は80年代の圧倒的な存在感を持続できず、実力も上げられなかった。正気を失い、バブルに踊った結果、大変な不良資産を抱えてしまった。日本にとって痛恨だったと思います・・・

日本経済が世界第2位の地位にあり、さらに円が圧倒的に強かった時代。それを生かすことはできませんでした。世界の有名ビルや会社などを買収しましたが、成功した例はほとんど無いようです。
経済学では、バブルの分析がたくさんなされています。また、当事者たちの証言も出ています。
私が知りたいのは、そのような経済分析や当事者の行動でなく、日本社会がなぜその実力を生かせなかったか、そしてそこから得た教訓はなにかです。

将来、日本が第2位の経済大国になることはないでしょうし、バブル経済はあっては困ります。しかし、身につけた(経済的)実力を、どのように活かすか。「あの頃は良かった」という懐古趣味ではなく、また「金融政策が間違っていた」という原因論や責任論でもなく。日本社会として、教訓を共有しておくべきです。

日本は、貧乏な国から出発して、戦前は一等国に、戦後は経済大国になりました。しかし、そこで浮かれて、それぞれ「敗戦」してしまいました。貧乏から努力することは得意なのですが、金を持ってからの生き方に慣れていないようです。
これに対し、ヨーロッパやアメリカの富裕層や金融機関、会社なら、どのように対処したか。彼らには、浮き沈みを含めて、長年の経験があります。その経験を踏まえて、「金持ちとしての振るまい」を身につけましょう。
司馬遼太郎さんなら「この国のかたち」として、鋭く分析してくださったでしょう。

なお、文中に次のような文章も出てきます。ここは、私と同じですね(日経夕刊コラム「仕事人間の反省」)。
・・・いつも会社にいるので、「会社の備品だな」と先輩に呼ばれましたね・・・