敗戦の認識、『日本の長い戦後』

橋本明子著『日本の長い戦後』(2017年、みすず書房)が勉強になりました。副題に「敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか」とあるように、日本の敗戦についての認識を分析したものです。

勝った話や成功した物語は、記録し思い出すには楽しいですが、負けた話と失敗した物語は、思い出したくない、触れて欲しくないものです。
しかし、戦争は国家が行ったことであり、その責任を忘れることはできません。被害者に対し罪を償う必要があります。また、再び起こさないためにです。その際に、空気のような国家があるのではなく、それを指導した責任者と実行した兵士、さらにそれを支えた国民がいます。
戦争指導者や軍人の回顧録、戦災に遭った国民の記録、それを基にした出版物がたくさん出ています。毎年8月15日には慰霊式典が開かれ、新聞なども特集を組みます。

この本が違うのは、それらの語りを3つの道徳観から分類し、それぞれの立場からの記憶と語りが「限界を持つ」ことを鋭く指摘するのです。
第一類型は、戦争と敗戦を、勇敢に戦って戦死した英雄の話としてとらえます。戦死者という犠牲の上に、現在の平和と繁栄があると、犠牲者に感謝します。終戦記念日の追悼行事や新聞の社説によくある言説です。しかし、これは開戦責任や敗戦責任から目をそらすことになります。「美しい国」の語りと、著者は呼びます。
第二類型は、戦争を、敗戦の犠牲になった被害者の話としてとらえます。空襲、原爆、さらには戦後の混乱での被害者です。人々の苦難を強調し、軍国主義に反対します。しかし、この語りも、日本が傷つけたアジアの人々の苦難からは、目をそらしています。「悲劇の国」の語りです。
第三類型は、戦争を、アジア各国での加害者の話としてとらえ、日本が行った侵略、支配、搾取を強調します。「やましい国」の語りと、著者は呼びます。この加害者としての語りは、日本人にとって悩ましいものです。
この項続く