吉川尚宏著「ガラパゴス化する日本」(2010年、講談社現代新書)を読みました。
吉川さんも、日本の失われた20年の原因はガラパゴス化にあると、述べておられます。そして、日本製品のガラパゴス化、日本という国のガラパゴス化、日本人のガラパゴス化の3つを、分析しておられます。
ガラパゴス化という言葉は、携帯電話から始まりました。それは、工業製品にとどまらず、医療、大学といったサービスもガラパゴス化しています。
本では、脱ガラパゴス化した例を、いくつか紹介しておられます。ヤクルトレディや公文式(算数塾)といったサービス業が、国外で大きく成功していることは、初めて知りました。
なぜ、日本でガラパゴス化が起こったか。私は、次のように考えています。モノが国際化しているだけでは、ガラパゴス化は起こりませんでした。昔から日本は、石油を輸入し、製品を輸出していたのです。先進国に追いつこうとしていた時代は、欧米の製品を目標に、欧米で売れる製品を作りました。
ところが、日本が世界に追いつき追い抜いた時、世界最先端の技術と、1億人のマーケットという条件が、国内での満足を生み、皮肉なことに日本をガラパゴス化させました。
しかし、それだけでは、日本は取り残されません。1990年代以降、アジアや東欧の国々が国際経済に参入して、日本のもの作りの優位性は失われました。合わせて、モノの国際化にとどまらず、サービス、カネ、ヒト、規準などの国際化が進みました。
日本の特殊に優れたモノとサービスは、置いてきぼりを食らいます。新しく広がる新興国のマーケットに、食い込めません。一方で、日本の市場は飽和し、人口は減少しつつあるのです。
世界で競争せず、国内で満足する。これが、日本のガラパゴス化が生む、経済社会の停滞です。