カテゴリーアーカイブ:行政

政治任用

2005年9月19日   岡本全勝
私のもう一つの関心は、日本の行政と官僚制の機能不全です。長く官僚制の行き詰まりが指摘され、公務員制度改革が主張されています。今年は公務員総人件費削減が課題になっています。しかし、この3つの議論がかみ合っていないことはすでに指摘しました(問題は数より仕組み)
①部門間の「配転」がない=問題は数の削減でなく、社会の変化に定数見直しが追いついていないこと。現在のような一律削減ではむり。
②官僚のアウトカムの問題=公務員制度改革も必要だが、問題は官僚制の仕組み。部分部分に特化し、全体像を作れない。
③改革の仕組みがないことです。
私も大学院で講義したり、雑誌で主張したりしているのですが、まだ議論をまとめる=本にするに至ってません(時間がなくて・・。言い訳です)。
人事院の年次報告書が2年続けて、先進国の政治任用職の調査をしています。15年度版はアメリカ・イギリス・フランス・ドイツを紹介し、16年度版では大学教授による論文を載せています。官僚制を機能させる=改革を支える事務方にするためには、「政治家」「政治任用職」「官僚」をどう役割分担させるかが論点の一つです。各国とも、歴史・議会と政府の関係・政治家の役割・民間人との交流といった政治社会背景が異なり、これだといった正解があるわけではありません。簡単には、15年度版の概念図を見てください。
「政治任用職」という言葉は、誤解を招きそうです。政治家が任命される場合、民間人などが任命される場合、官僚が任命される場合を含め議論すべきだからです。日本の課題は、政治家が閣内に入って改革を進めようとしても部下がいないこと、現在の官僚制がセクショナリズムと既得権益にしがみついていることですから、それに対応する仕組みを作るべきなのです。私は、フランス型かドイツ型が、これからの日本に参考になると思っています。(2005年9月19日)
31日の読売新聞「決戦05衆院選」は、「霞が関の官僚」をテーマに、宮脇淳さんと加藤秀樹さんのインタビューを載せていました。加藤さんの主張に次のようなくだりがあります。「日本の公務員はおしなべて優秀な人が多いが、専門家として通用する人材となると、国際的に見ても少ない。本当に経済分析や法律の専門家と言える人は官庁にどれほどいるだろうか」
青山彰久記者は「給与や定員の削減規模の数字を合わせるだけでは、省益が優先して様々な改革が進まない問題が解決するはずもない。・・・総人件費の削減という主張だけで有権者をはぐらかさず、『官僚とは何か』を問い、公務員制度改革の具体的な中身を論争する必要がある」と述べています。 (2005年8月31日)
5日の日経新聞は、「マニフェストを中心にした経済官僚100人アンケート」結果を載せていました。
詳しくは紙面を見ていただくとして、特徴的なのは、世代間で違いがあることです。まあ当然といえば当然ですが。霞ヶ関の人事慣行について、63%の人が見直し不可避と考えています。良いとは思わないがやむを得ないと考えているのが、30%です。また、省庁幹部の政治任用については、進めるべき21%、進めるべきでないが44%でした。
そうか、僕も「経済官僚」なのか。でも、質問項目が、やや雑じゃないですかね。図表が記事本文の記述と対照になっていないことも、読みにくいですよ、O記者。(9月5日)
7日の朝日新聞は1面で「9.11総選挙、争点を追う」で、内田晃記者が「霞が関改革、人数先行。分権の道、各党示さず」を書いていました。「(国家公務員の)純減目標は、公務員の定員を管理する総務省などが難色を示し、議論は先送りになった。・・『量』の改革は、言うほど簡単ではない。さらに『小さな政府』を目指すなら、国の権限をどう減らすかという『質』の改革が避けられない。その試金石となるのが、国から地方へ権限や財源を移す地方分権改革だ・・」。
この指摘の通りです。もはや、シーリング方式での国家公務員削減は無理があります。既存定数を所与として、各省ほぼ一律の削減をする、それを原資に必要なところを増やすといった方式は、現在のような転換期には不十分なのです。
公務員削減は、一律でなく内田記者の言う「質的改革」をしなければ、有意義な結果は出ないでしょう。その一つがもはや国の重点施策でなくなった公共事業の所管組織の削減、もう一つは地方分権による権限と補助金削減に伴う公務員削減、規制緩和による権限削減に伴う公務員削減です。もっとも、このような改革は、現在の日本の官僚制が実行する(官僚同士が協議して決める)ことは無理なのでしょう。政治主導が必要とされるのです。
もちろん、公務員改革には、このような人数の削減だけでなく、私が主張しているような「仕組みの改革」(国家官僚群創設)が必要です。(9月7日)

行政の責任、不作為・先送り

2005年8月30日   岡本全勝
アスベスト被害と行政による対策の遅れが、問題になっています。26日には関係閣僚会議で、過去の各省の対策について、検証結果をまとめました。27日付の朝日新聞「時々刻々」は、その検証結果を検証しています。
「あわせて7省庁から出された検証内容の中で、環境省の報告書には『反省の弁』らしきものが目立った。それは、自分たちは規制しようと思ったのに横やりが入ったー。こんな他省庁への当てつけと裏腹でもある・・・旧通産省の幹部から『・・・産業保護の観点からも問題がある』と反対された。旧労働省からも『工場内は当省で規制しているから外へは出てないはず・・・』と、やんわりと牽制された。・・・こうした霞が関の縦割り行政のひずみは、報告書に明記されていない」
「もっとも環境省も、77年から旧環境庁で大気中の石綿の濃度を調査していながら、89年まで大気汚染防止法による規制を行わなかった対応については、正当化に終始する」
「報告書では、『省庁間の連携の不十分さ』の具体例として、90年に旧環境庁が中心となって開かれた関係省庁連絡会議が、3年後に2回目を開いたきり有名無実化していたことも明らかになったが、この評価をめぐっても省庁間の見解は異なる、厚生労働省は・・・継続しなかった理由は『環境省が主催なのでわからない』。これに対し環境省は『昔の話を持ち出して、こちらの動きが鈍いという話にしている』と反発。責任の押し付け合いを露呈した格好だ」
まだ十分な検証がなされていないので、はっきりしたことは言えませんが、ここからかいま見られるのは、「官僚の不作為」と「縦割り行政による無責任体制」です。私は官僚制の欠点の一つが、不作為だと思います。「××をやった」「こんな実績を上げた」ということは書かれますが、必要なことを怠った、先送りしたという検証はあまりされません。
この記事は、省庁からの発表をそのまま記事にするのでなく、書かれていないことを検証した良い記事だと思います。

輸入商社としての東大と官僚

2005年8月23日   岡本全勝
22日の朝日新聞「戦後60年」は、東大でした。「小宮山宏学長は『世界一の総合大学を目指す』と宣言した」「日本はすでに30年前には先進国になっていたのだから、東大も世界の先頭を目指すべきだった。しかし明治以降、あらゆるものを外国から輸入してきたから、その発想がなかった」
「南原先生の時代は、欧米のものを持ってきて大衆に配るのがエリートの役割でした。今の日本は、高齢化、少子化、環境問題など、世界でも未知の問題が集中する『課題先進国』。モデルを追いかける時代から、自分でモデルを作らなければいけない時代になった。そして私たちが作るモデルが世界標準になる。知識の輸入ではなく、先頭に立つ勇気が必要だ」
かつて天下国家を考えていた東大生が、今は自分のことしか考えなくなっているという指摘があることに対しては、 「日本は国家や企業のために頑張ることを通じて個人を作ってきた社会だった。これからは個人が自分のために頑張る中からリーダーが生まれ、結果的に社会に貢献する」
その東大とセットになっていたのが、霞が関の官僚でした。欧米から先進行政を輸入し、日本中に行き渡らせました。各省は「総輸入代理店」であり、官僚は地域で生じる問題を拾い上げ解決する訓練を受けず・そのような思考はありませんでした(拙著「新地方自治入門」p57,p287)。

日本の政治

2005年8月23日   岡本全勝
日経新聞が25日まで、国際面で「ブッシュ政権2期目、権力のツボ」を、各省ごと4回に分けて連載していました。それぞれの長官やスタッフが、どのような主張を持ち、どのような政策を展開しそうかを解説していました。
日本では、このような記事が書かれませんよね。せいぜい、経済財政諮問会議と日銀政策委員くらいでしょうか。これは、次のようなことを示しているのでしょう。
①大臣ほか政治家が、政策を明確にしないこと。
②各省の高級官僚も、政策を主張しないこと。
これまでの日本は、これでも済んだということでしょう。
日本に帰ってきたら、日本の各省についてもこのような記事を書いてくださいね、小竹洋之記者。(6月25日)
(利益団体・政党・改革)
23日の日本経済新聞「衆院選、政策責任者に聞く」で、与謝野馨自民党政調会長は次のように述べています。
「民営化の意義はどこにありますか」と問われて。「改革への意志、思想、哲学が問われる。改革で党が自己犠牲を払う覚悟も問われている。自己犠牲とは今までの支持母体を失い、支持母体に支えられてきた国会議員も失う、ということだ」

官僚と政治

2005年8月21日   岡本全勝
21日の日本経済新聞が、「経済政策、政官に緊張関係。自民でも民主でも内閣主導一段と」を書いていました。
「両党とも『小さな政府』を掲げて官のリストラに取り組み、首相官邸を核にした内閣主導の経済政策運営を進めようとしているからだ。両党がマニフェストをまとめた際も、意識的に与野党と距離を置いたり、逆に根回しに走るなど官僚の対応も分かれた。霞ヶ関は、政治との新たな関係を模索している」
政治主導が進めば、当然、官僚と政治との関係も変わってきます。いえ、変わらなければなりません(拙著「新地方自治入門」p291~、一橋大学3)。