カテゴリーアーカイブ:行政

新しい仕事42

2007年3月15日   岡本全勝

15日の日経新聞は、2006年に転職した人が346万人になったと伝えていました。調査を始めた2002年以降で、最多だそうです。うち女性が180万人、男性が166万人です。前の仕事より収入が増えた人は34%、減った人は37%です。もう少し分析しないと、その背景やこの数字の意味は分かりません。

行政委員会

2007年3月13日   岡本全勝

記者さんとの会話
記:教育委員会とか公安委員会も、行政機関ですよね。
全:そうだよ。行政機関には、独任制と合議制があって、委員会は合議制の機関。その二つは意思決定とか執行をする機関だけど、審議会のように意見を述べるだけの機関もある。
記:教育委員会が独任制でなく合議制なのは、政治的中立性を確保するためと習いましたが。
全:僕もそう習ったけど、疑問に思っているのよ。地方団体の場合、教育委員会や公安委員会は、首長から独立して=指揮監督を受けないことで、政治的中立性を確保するといわれている。でも、その機関が合議制であるかどうかは、別の話だわな。監査委員は複数いるけど、一人で行動できる。監査委員「会」ではない。
逆に、首長の指揮監督を受ける合議制の行政機関もあり得る。国家公安委員会は委員長が国務大臣で、内閣の一員。内閣総理大臣の指示に従うことになる。
記:なるほど。しかし、私が問題にしているのは、今議論になっている地方の教育委員会に対する文科大臣の指示です。首長からの独立性を確保するために委員会制度を取っているのに、それに対し指示をするなら、何も委員会制度でなくてもいいんじゃないですか。
全:ぼくも、そこが疑問なのよ。ただし、私の整理では、委員会制度にしたままで、首長の監督を受けるという方法もあるけどね。でも、それなら首長の監督を受ける独任制機関にした方がわかりやすいわ。
記:それは知事部局に入って、「教育部」になるということですか。
全:その通り。いつも言うように、国は教育委員会制度でない。文科省であり文科大臣。問題は、地域の教育について、誰が誰に対して責任を負っているか。今の委員会制度は、責任が不明確。さらに、首長でなく国が指示を出すとなると、教育委員会は住民でなく、国に対し責任を負うことになる。私の言うように、首長の元に置けば、責任ははっきりする。そして、それは国ではなく、住民に対して責任を負うことになる。
記:文科省でなく、首長がまずは指示をすべきではないですかね。いずれにしても、わざわざ行政委員会制度を取っていながら、国が指示をするということの意味について、行政法学者、行政学者の意見を聞きたいですね。
全:そうやね。ぼくの見解だけで記事を書くと、危ないよ。

新しい仕事41

2007年3月12日   岡本全勝
月刊「ESP」3月号が発行されました。再チャレンジ支援が特集されています。再チャレンジ室の職員も、大勢執筆しています。私が参加した座談会も載っています。大沢真知子日本女子大学教授、樋口美雄慶應義塾大学教授、山岸秀雄NPOサポートセンター理事長で、私は司会です。
政府の再チャレンジ支援策が、簡潔に紹介されています。ご関心ある方は、ご覧ください。各自治体には、1冊はあると思います。

教育委員会制度

2007年3月8日   岡本全勝
明治以来の日本の学校教育が大成功したことは、多くの人が認めます。効率的に、これだけの質の高い国民をつくったのですから。世界に例を見ないでしょう。この成果は、評価されるべきす。
しかし、それは発展途上国の時代に、欧米に追いつく、そのために中央集権型・画一的に行うという形で成功したのです。帝国大学が輸入し、文部省が企画し、県庁に示達し、市町村が実行する。これは、明治から戦前まででなく、戦後も同じでした。教える目標が、「富国強兵」から「経済成長」に変わっただけでした。
日本が成熟国になり、複線型=各人が自由に発想し、自己実現をするという社会には、不適合な仕組みでした。発展途上国時代には最適だった教育システムが、成熟国には不適合になったのです。日本の教育が悪くなったのではなく、環境が変わり、使命が変わったのです。これについては、先日書きました(2月24日の項)。
日本が欧米に追いついたのは、経済から見ると1970年代でしょう。しかし、社会の仕組みは、転換に遅れました。行政も、その一つです。それが顕在化したのが、1990年代です。金融行政、薬務行政、公共事業など、順次国民の前に失敗・時代遅れを露呈しました。成功したが故に、転換に遅れたのでしょう。
私が専門にしている地方行財政制度も、いくつかの部分においてそれが当てはまります。効率的な発展途上国システムを支えたのが、国庫補助金と地方交付税です。そして効率的に日本の行政水準を引き上げました。しかし、それは負担と責任を問う自治とは、違ったものです。これが、「新地方自治入門」の主題でした。
いつの時代でも、お金を持っている、そしてお金を配る、人と組織が権威・権力を持ちます。行政でいうと、補助金を配る、予算を配ることです。しかし、社会が変化するとき、その既存権威が転換に遅れるのです。それは既得権益であり、今風にいえば「守旧派」になるからです。
でも、社会で最も力を持つのは、知識であり、新しいことを考える人と組織です。特に、社会が変化するときには、知識と改革する力が求められるのです。その時に、お金を配っている組織は現状に安住し、時代の変化を考えよう、先取りしようと考えません。
私が三位一体改革で主張したのは、文科官僚は日本中の小中学校の先生70万人の給料の2分の1(現在では3分の1)を計算することに労力を使うのではなく、教育の内容を考えて欲しかったのです。それは、その他の補助金を配っている省・官僚も同じです。かつては、日本にないモノ(道路、教育、衛生、産業・・)を日本に広めるために、補助金を配ることは意味がありました。しかし、それがある程度行き渡ったときに、まだ補助金配りに能力を使っているようでは、国民は評価してくれません。それは、最先端の仕事・有能な人がする仕事ではないのです。