カテゴリーアーカイブ:行政

財政難による公共サービスの削減

2013年7月28日   岡本全勝

7月25日の朝日新聞国際欄が、欧州各国で、国や地方自治体が担ってきたサービスが、緊縮財政で縮小される例を紹介しています。ギリシャでは、医療やホームレス支援が縮小された例、イギリスでは市立図書館が閉鎖された例が載っています。それぞれ、ボランティアなどが代行していますが、十分にはできません。ギリシャでは、年金が削減された例も紹介されています。
アメリカでは、代表的大都市であり、一時は自動車産業の拠点であったデトロイト市が破産したことが、伝えられています。アメリカでは、自治体も住民が作った「法人」(会社)なので、破産(財政再建)も、いわば会社のように行われます。もちろん、住民がいるので、清算して廃止とはいきません。
日本でも財政難は厳しいのですが(国と地方自治体の借金は欧米各国より大きいです)、借金を重ねてサービスを維持しています。歳出削減と行政サービス縮減もしていますが、これらの国に比べれば、厳しくはありません。財政破綻に近い例として、夕張市があります。
これらのニュースを見ると、改めて認識を新たにします。
・行政サービスは、ただでもなく、当たり前のものでもないこと。お金がなくなれば、提供されません。
・行政サービスがなくなっても、ボランティア活動で補える部分があること。

複雑な事象を簡単に解釈する

2013年7月25日   岡本全勝

朝日新聞7月23日オピニオン欄、内田樹先生の「2013参院選、複雑な解釈」。今日は、違ったか所から、別の鋭い指摘を紹介します。
・・とりあえず私たちの前には二つの選択肢がある。「簡単な解釈」(これまで起きたことが今度もまた起きた)と「複雑な解釈」(前代未聞のことが起きた)の二つである。
メディアは「こうなることは想定内だった」「既知のことがまた繰り返された」という解釈を採りたがる。それを聴いて、人々はすこし安心する。「明日も『昨日の続き』なのだ」と思えるからである。「うんざりだ」とか「やれやれ」という言葉は表面上の不機嫌とは裏腹に、内心にひそやかな安心を蔵している。「何も新しいことは起きていない」という認知は、生物にとっては十分に喜ばしいことだからだ。
だが、システマティックに「やれやれ」的対応を採り続けた場合、私たちは「安心」の代価として、「想定外の事態」に対応できないというリスクを抱え込むことになる・・
他方で、これまでと少し違ったことが起きると、「想定外だ」「前代未聞のことだ」というラベルを貼ることも多いです。そして、しばしばそこで思考が止まってしまいます。すなわち、「想定内だ」も「想定外だ」も、複雑な事象を簡単に解釈し、納得してしまう魔法の言葉なのです。
実際は、「想定内のこと」であっても、じわじわと地殻変動が起きている場合もあります。「想定外のこと」であっても、冷静に振り返れば、その予兆があったのに見過ごしていたことも多いです。
しかし、人間は、一つひとつの事象を詳しく検証している暇も体力もありません。ひとまず、「これは前にもあったことだ」か「これまで予想もつかなかったことだ」と言い聞かせて、次に進むのです。

決めることができる政党と民主主義

2013年7月24日   岡本全勝

朝日新聞7月23日オピニオン欄、内田樹先生の「2013参院選、複雑な解釈」から。
・・今回の参院選の結果の際立った特徴は、「自民党の大勝」と「共産党の躍進」である(それに「公明党の堅調」を加えてもいい)。この3党には共通点がある。いずれも「綱領的・組織的に統一性の高い政党」だということである。「あるべき国のかたち、とるべき政策」についての揺るがぬ信念(のようなもの)によって政治組織が統御されていて、党内での異論や分裂が抑制されている政党を今回有権者たちは選んだ。私はそう見る・・
・・議会制民主主義というのは、さまざまな政党政治勢力がそれぞれ異なる主義主張を訴え合い、それをすり合わせて、「落としどころ」に収めるという調整システムのことである。「落としどころ」というのは、言い換えると、全員が同じように不満であるソリューション(結論)のことである。誰も満足しない解を得るためにながながと議論する政体、それが民主制である。
そのような非効率的な政体が歴史の風雪を経て、さしあたり「よりましなもの」とされるにはそれなりの理由がある。近代の歴史は「単一政党の政策を100%実現した政権」よりも「さまざまな政党がいずれも不満顔であるような妥協案を採択してきた政権」の方が大きな災厄をもたらさなかったと教えているからである。知られる限りの粛清や強制収容所はすべて「ある政党の綱領が100%実現された」場合に現実化した・・
では、なぜ日本人はそのような統一性の高い組織体に魅力を感じるようになったのか。それは人々が「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を政治に過剰に求めるようになったからだ、というのが私の仮説である・・
・・私はこの時間意識の変化を、経済のグローバル化が政治過程に浸入してきたことの必然的帰結だと考えている。政治過程に、企業経営と同じ感覚が持ち込まれたのである・・
先生の論旨の一部を切り取ったので、原文をお読みください。

女性の有業率M字カーブの改善

2013年7月15日   岡本全勝

7月12日に総務省が、2012年の就業構造基本調査結果を公表しました。「要約」(11ページ)が、わかりやすいです(ちなみに、昔の調査結果には付いておらず、付いていても工夫が足りないです。例えば平成4年。かなり進化しています)。
男性の場合は、年齢別有業率をグラフにすると、20歳前後で就職し、60歳以降で退職するので、台形になります。しかし女性の場合は、結婚や子育てで仕事を離れることが多く、25~39歳のところでくぼむM字カーブです。その落ち込みが減ってきて、台形に近づいてきました。日経新聞が、1997年以降の変化をわかりやすいグラフにしています。年々、へこみが小さくなっていることがわかります。
5年前に比べると、製造業、卸小売業、宿泊・飲食業が減って、医療・福祉、そのほかのサービス業が増えています。産業の構造変化が見えます。農林業が増えているのは、退職サラリーマンが農業を継いだということでしょうか。
非正規職員の割合は、女性で58%、男性で22%です。20年前(1992年)では、女性が39%、男性が10%でしたから、大きく増えています。

パラダイム

2013年7月8日   岡本全勝

中山茂著『パラダイムと科学革命の歴史』(2013年、講談社学術文庫)が、とてもおもしろいです。
パラダイムという言葉がよくわかるとともに、科学が「絶対的真理」として存在するのではなく、社会による認知や受け入れによって存在するものであることが、よくわかります。バビロニアと古代中国から説き起こし、平易な言葉で科学の進歩とは何かを説明してくださいます。
同じく講談社学術文庫の、野家啓一著『パラダイムとは何か』(2008年)も読みましたが、野家先生の本はクーンとパラダイムの解説であるのに対し、中山先生の本は、パラダイム転換と通常科学から見た学問の歴史です。いろんなことを考えさせてくれます。例えば、学閥と学派はどう違うか、大学は学問の進化を進めるのか阻害するのか。
私は、この本を読みながら、「ものの見方の枠組み」「組織での発想の転換」などを考え直しています。もっと早く読むべきでした。でも、このような文庫本の形になったのは、先月ですから、仕方ないですね。お勧めです。社内で改革を唱えつつ、実現せず不満を持っている方に、特にお勧めです。
パラダイム」という言葉は、アメリカの科学史学者のトーマス・クーンが1962年に唱えた、科学史での概念です。クーンによれば「一般に認められた科学的業績で、しばらくの間、専門家の間に問い方や解き方のモデルを与えてくれるもの」です。
パラダイム転換や科学革命は、これまでの科学者の間での通説を壊し、新しい見方を提示します。天動説から地動説への転換のようにです。パラダイムの転換に成功すると、続く学者たちは、その枠組みで実験や観察を繰り返し、より精緻なものとします。クーンは、それを「通常科学」と呼びます。
クーンは、後にこの説を捨ててしまいます。しかしクーンの手を離れて、パラダイム転換という言葉は科学史以外でも用いられ、有名になりました。極端な場合は、「通説になったものの見方」としてです。いろんな分野で改革派が「旧来の考え方を、打破しなければならない」として、パラダイム転換を唱えるのです。経営学や評論で、多用されます。私も、よくこの意味で使っています。
この項続く。