カテゴリーアーカイブ:行政

官僚の行動原理?

2018年5月27日   岡本全勝

5月19日の朝日新聞オピニオン欄、豊永郁子さんが、「忖度を生むリーダー」に、ハンナ・アーレントの有名な著作「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」から、ナチスのユダヤ人大量殺戮がどのように実行されたか、官僚はどのように行動するかについて書いておられます。官僚のみならず、組織人に共通することででしょう。しかし、公権力の行使をする官僚には、会社員とは違った倫理が求められます。

・・・アイヒマン裁判でも、アイヒマンにヒトラーからの命令があったかどうかが大きな争点となった。アイヒマンがヒトラーの意志を法とみなし、これを粛々と、ときに喜々として遂行していたことは確かだ。しかし大量虐殺について、ヒトラーの直接または間接の命令を受けていたのか、それが抗(あらが)えない命令だったのかなどは、どうもはっきりしない。
ナチスの高官や指揮官たちは、ニュルンベルク裁判でそうであったが、大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も、各地に展開した殺戮部隊による虐殺も、彼らのヒトラーの意志に対する忖度が起こしたということなのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。
さて、他人の考えを推察してこれを実行する「忖度」による行為は、一見、忠誠心などを背景にした無私の行為と見える。しかしそうでないことは、ヒトラーへの絶対的忠誠の行動に、様々な個人的な思惑や欲望を潜ませたナチスの人々の例を見ればよくわかる。

冒頭で紹介したアーレントの著書は、副題が示唆するように、ユダヤ人虐殺が、関与した諸個人のいかにくだらない、ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄(みえ)、ちょっとした意地の悪さ、復讐心、各種の(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は、そうした人間的な諸動機の隠れ蓑となった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも、昇進への強い執着を持ち、役得を大いに楽しんだという。
つまり、他人の意志を推察してこれを遂行する、そこに働くのは他人の意志だけではないということだ。忖度による行動には、忖度する側の利己的な思惑――小さな悪――がこっそり忍び込む。ナチスの関係者たちは残虐行為への関与について「ヒトラーの意志」を理由にするが、それは彼らの動機の全てではなかった。様々な小さなありふれた悪が「ヒトラーの意志」を隠れ蓑に働き、そうした小さな悪が積み上がり、巨大な悪のシステムが現実化した。それは忖度する側にも忖度される側にも全容の見えないシステムだったろう・・・

予算執行を急ぐと・・・?

2018年5月26日   岡本全勝

5月18日の日経新聞「司令塔不在の科技政策」から。詳しくは原文をお読みください。

・・・内閣府の大型研究開発プロジェクトである戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)で、一部の候補者に事業の詳細を説明して応募を促していたことが判明した。プロジェクトを指揮する「プログラムディレクター」は公募が大前提で、選考の透明性や妥当性から疑問が投げかけられた。5年間に約1500億円規模の予算を投じる大型プロジェクトは、どんな問題を抱えているのか。
SIPは政府の総合科学技術・イノベーション会議(議長・安倍晋三首相)が主導して、2014年度に始まった。従来の省庁の縦割りによるテーマ選定をやめ、横断的な研究を推進することを目標に掲げた。産学官連携で基礎から実用化までつなげて産業競争力を高め、新たな市場や雇用を生むのが狙いだ。リスクは大きいが、成果が出れば社会や経済に大きな影響をもたらすテーマが対象になる。
今回問題になったのは、18年度から始まるSIPの2期事業だ。内閣府は12の研究課題についてディレクターを公募し、4月13日に11課題の内定者11人を発表した。このうち、10人は内閣府の依頼で関係する省庁が候補に挙げた研究者だった・・・

・・・2期は当初、19年度の開始を予定していたが、17年末に補正予算がつき、1年の前倒しが決まった。内閣府は3月にホームページで公募を開始し、短期間で選ばざるを得なかった。ディレクターは非常勤の国家公務員になるため、公募が通常の手続き。結果的に公募なのに、推薦で候補者を募っていることを周知せずに選考を進めてしまった・・・

・・・こうした施策で、科技イノベーション会議の司令塔機能が高まることが期待された。だが事務局の多くは各省庁や企業からの出向者で、必ずしも科学技術政策に詳しいわけではない。有識者議員の多くは非常勤だ。世界の研究動向も十分に把握できていない。
内閣府の大型プロジェクトは他にもあるが、ほとんどが当初の狙い通りの成果を出せていない。問題を抱えた体制を見直さずに推し進めても、成果は期待できない・・・

吉田裕著『日本軍兵士』

2018年5月20日   岡本全勝

吉田裕著『日本軍兵士』(2018年、中公新書)が勉強になります。太平洋戦争において、日本軍の兵士がいかに劣悪・過酷な状況にあったかが、数字と証言とで明らかにされています。

戦争を書いたものには、いくつかの分野があります。戦争の推移。戦闘の記録。軍の指導者による戦記もの。戦艦や戦闘機の闘いの記録。戦略や戦闘の成功と失敗。これらの「戦記」でなく、兵士や国民の状況を明らかにした、社会史的なものが増えています。
前者は指導者層から見たものが多く、軍事作戦が主な対象となります。そしてしばしば、負け戦については詳しくは書かれません。その点、戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(1984年。1991年、中公文庫に再録)は、日本軍の失敗を分析した名著です。
後者にあっては、沖縄戦、本土での大空襲、原爆被害などが、非戦闘員である国民の悲劇を明らかにしています。戦争では、政治指導者や軍人は功績を求め、兵士や国民は過酷な状況に追い込まれます。政治や軍事的観点から見ていると、戦争の本質を見失います。

それらに対し、この本は、勇ましいかけ声の下で、十分な食料も与えられず、医療や衣服なども不十分なままで死んでいく兵士の実態を、明らかにしています。栄養失調や伝染病だけでなく、精神を病む兵士が続出します。また、足手まといになる傷病兵を、自殺に追い込んだり殺害します。

客観的事実に基づかない精神主義、無謀な突撃、長期戦を想定していない戦略、食糧を補給せず「現地徴発」という名の略奪・・・。これらの戦争指導の下で、多くの兵士がそして一般民が、犠牲になるのです。
読んでいて、気分が暗くなります。戦争映画や漫画が、いかに一面的に描いているか。勝者の立場から見ていると、敗者や被害者の立場を忘れてしまうことがよくわかります。もちろん、映画や漫画は娯楽であり、楽しくなるように描くのでしょうが。そのようなものだけを見ていると、戦争の実態を見失います。

新書版という軽い形の書物ですが、内容はとても重いです。戦争を学ぶ際の、入門書の一つだと思います。

西尾勝先生、分権改革の整理

2018年5月19日   岡本全勝

今日は、午前中に都内である勉強会に参加した後(これはこれで実り多い勉強会だったのですが)、筑波大学まで講演会を聞きに行ってきました。日本学士院主催、西尾勝先生の講演「地方分権改革を目指す二つの路線」です。
分権改革から、10年以上が経ちました。その過程に参画された西尾先生が、現時点でどのように分析整理されるか、興味がありました。いつもながら、切れ味良い説明で、勉強になりました。
司会が村松岐夫先生で、東京と京都の行政学の二大巨頭がおそろいです。

会場では、西尾先生と村松岐夫先生のほか、塩野宏先生にも、久しぶりにご挨拶することができました。
私は、東大法学部で、西尾先生に行政学を、塩野先生に行政法を学びました。当時20歳だった私は、先生方を見て、「遠くの山」「とても登ることのできない、絶壁の高山」と思いました。当時、西尾先生は37歳、塩野先生は44歳でした。
自分がその年齢になった時に、自らの未熟さが恥ずかしかったです。私は37歳の時は自治大臣秘書官、44歳の時は富山県総務部長を終えて、内閣直属の省庁改革本部で参事官(課長級)をしていました。
本人は若いと思っていましたが、学生や若手公務員から見たら、「おじさん」だったのでしょうね(苦笑)。さらに、今は事務次官を終えた63歳。学生からは、父親より年寄りの「爺さん」です。

村松先生には、東日本大震災の対応と復興について、社会科学の学界を挙げて、分析をしていただきました。「東日本大震災学術調査」。ありがとうございます。充実した土曜日でした。

原発事故の責任とその後

2018年5月15日   岡本全勝

5月14日の日経新聞、経済教室、橘川武郎・東京理科大学教授の「エネルギー基本計画の論点」から。

・・・日本の原子力開発は「国策民営」方式で進められてきた。福島第1原発事故のあと、事故の当事者である東電が福島の被災住民に深く謝罪し、ゼロベースで出直すのは当然のことである。ただし、それだけですまないはずである。国策として原発を推進してきた以上、関係する政治家や官僚も、同様にゼロベースで出直すべきである。しかし、彼らはそれを避けたかった。そこで思いついたのが、「たたかれる側からたたく側に回る」という作戦である。
この作戦は、東電を「悪役」として存続させ、政治家や官僚は、その悪者をこらしめる「正義の味方」となるという構図で成り立っている。うがった見方かもしれないが、その悪者の役回りは、やがて東電から電力業界全体、さらには都市ガス業界全体にまで広げられたようである。一方で、政治家や官僚は、火の粉を被るおそれがある原子力問題については、深入りせず先送りする姿勢に徹した

このように考えれば、福島第1原発事故後、政府が電力システム改革や都市ガスシステム改革には熱心に取り組みながら、原子力政策については明確な方針を打ち出してこなかった理由が理解できる。熱心に「たたく側」に回ることによって、「たたかれる側」になることを巧妙に回避しようとしたのである。誤解が生じないよう付言すれば、筆者は、電力や都市ガスの小売り全面自由化それ自体については、きわめて有意義な改革だと評価している。
結果として、福島第1原発事故後7年余りが経過したにもかかわらず、原子力政策は漂流したままである・・・