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行政-行政機構

国民生活省構想

私の願いに、「国民生活省」があります。各府省に散らばっている、国民の生活に関する部局を集めて、一つの省にするのです。
「国民生活」といっても広いですが、軸は、生活者、消費者、社会的弱者を守る施策です。そのような施策を任務としている課や局を、統合して一つの省を作りたいのです。想定している部局は、次のようなものです。
内閣官房=社会的包摂室
内閣府=共生社会政策政策統括官、男女共同参画局、経済社会システム政策統括官の一部(新しい公共、市民活動促進)
消費者庁、公正取引委員会、食品安全委員会
法務省=保護局、人権擁護局
文部科学省=スポーツ・青少年局の一部(青少年育成)
厚生労働省=職業安定局、職業能力開発局、雇用均等・児童家庭局、社会・援護局、(労働基準局)
農林水産省=消費・安全局
これら対象となる部局は、まだ、たたき台です。議論を深めて、成案を得れば良いと思います。医療や年金なども、国民生活に密接に関係していますが、これは制度ができています。また、これらも統合すると大きくなりすぎるので、厚生労働省に残しましょう。

2001年に省庁再編を行いました。しかし、あの際に行ったのは、「省庁の大括り」でした。今回提案しているのは、これまで生産者育成、サービス提供の視点で作られてきた府省構成に、生活者や消費者の視点を持ち込むことです。
総理官邸のウエッブ・サイトでも、「国民生活」という分野があります。
消費者保護は、庁ができました。家庭や子育て、少子化対策、自殺対策、ホームレスや非正規雇用の問題なども、大きな課題になりました。再チャレンジ政策や社会的包摂という社会的弱者政策も、認知されました。国民生活という視点で見ると、かなりの部局があり、かつ分散しています。
これはまた、大きくなりすぎたと言われる厚生労働省の一部を切り出す案です。

新しい部局や政策を作ろうとしているのではありません。すでにある組織(部局)を、再編するだけです。省の数が一つ増えますが、そこは認めてもらいましょう。
大臣は、現在の数の範囲内で指名します。消費者問題担当大臣か誰かに、横滑りしてもらいます。局や課は、各府省から集めるので、増えも減りもしません(官房組織を作る必要はあります)。
しかし、「国民生活省」という目に見える役所ができることで、政府の仕事がより見やすくなります。そして、組織ができれば、政策も充実していくでしょう。
皆さんの、ご意見をお待ちします。

閉ざされた組織が、知の創造を断つ・その3

引き続き、野中郁次郎先生のインタビューです。
・・1972年にアメリカから帰り、日本企業の技術革新を研究しました。アメリカで学んだのは、物事を分析的に計量し、情報処理した結果が経営判断につながるという考え方でしたが、現場に入ってみると、そうでもない。
ホンダの小型車やキャノンのプリンター、富士ゼロックスのコピー機など、画期的な製品の開発者に聞くと、「私はこれがやりたいんだ」とまず語るのです。最初に個人の直観や主観があって、その信念や価値を組織にぶつけ、説得しながら形にしていく・・

そうですね。目標を与えられて、それを達成する効率的な方法を考える場合なら、分析的手法が役に立つでしょう。そして、その思想で設計された工場では、マニュアル通りに作業をすることが効率的です。
しかし、新しい製品やこれまでにないサービスは、分析的手法からは生まれません。これまでの傾向線を延長しても、新しいものは出てきません。
それはまた、先進国に追いつく際の手法=お手本を効率的にまねることと、先進国に追いついた後の前進=自分で考える際に必要な思考との違いでもあります。

「アメリカ流がダメなら、アメリカ企業もダメになるのではありませんか」という問に対しては。
・・アメリカ流がダメと言うより、日本の完璧主義、過剰適応が問題なのです。アメリカは基本的に実用主義(プラグマティズム)です。とにかくやってみようということです。ルールは状況に応じて柔軟であるべきだと考え、実はおおざっぱ。そうでないと、リスクもとれないしベンチャー精神も発揮できない・・

うーん、これが正しいとすると、アメリカ流の経営学を日本に広めているアメリカ帰りの学者さんと、アメリカに留学してそれを持ち帰っている企業の幹部候補生の罪は大きいですね。失礼。

閉ざされた組織が、知の創造を断つ・その2

引き続き、野中郁次郎先生のインタビューです。
「経営の近代化とは、暗黙知をマニュアルのような形式知にして科学的に経営することだ、と多くの人は考えていませんか」という問に対しては。
・・それは間違いだと思います。全部チェック、チェックと過剰にやったらチェックリストになってしまう。これでは、「マニュアルに書かれていないものがあるのではないか」「このようなマニュアルになった背景は何か」などと、現場で状況や文脈に応じて適時適切に判断する「実践知」が働かなくなる・・
すべてを科学的に分析し、経営することは不可能でしょう。
私もかつては「経営は科学だ」という旗を振っていた一人でした・・いまでもこの考え方は主流で、ビジネススクールでも客観的に分析的にルールやモデルを作らなければいけないと教えています。しかしそこから何が起きるのか。
人としての倫理、会社な何のために存在するのか、といった主観の部分が抜け落ちてしまいます・・

ご指摘の通りです。マニュアル化できる部分は、できる限りマニュアル化すべきです。「私も先輩のやり方を見て、見よう見まねで覚えたから、あなたもがんばってね」という「体育会系後輩育成論」は、私の最も嫌いな流儀です。
しかし、マニュアルの限界は、明らかです。マニュアルに沿って仕事をしている人は、それを外れた事態に対処できません。そして、新しいマニュアルは、書けないのです。さらに、その仕事は何のためにやっているのかという、目的意識がなくなります。
決められた仕事をする従業員は、マニュアルに沿った仕事で良いのです。しかし、管理職やリーダーは、マニュアルにない事態が生じたときそれを処理すること、マニュアルを書き換えること、マニュアルにないことを考えることが仕事です。法律に基づいた仕事をすることと、問題が生じたので法律を書き換える仕事の違いです。「前例がありません」と言うのか、「前例がないので、こうします」というのかの違いでもあります。

閉ざされた組織が、知の創造を断つ

9月1日の朝日新聞オピニオン欄は、野中郁次郎さんの「よみがえれ日本の経営」でした。
「優秀な人材を集めていたはずの東京電力が、原発事故に十分に対応できませんでした。東電の失敗の本質は、どこにあるのでしょう」という問に対して。
・・オープンな知の総動員体制を、つくれなかったことだと思います。政治や役所を忖度し、現場の判断をあまり尊重しなかった。原子力村にこもり、自分たちにない知を活用する開かれた姿勢もなかった・・
東電は木川田一隆さんが社長だった1960年代から70年代初め、他社に先駆けて「社会貢献」をめざし、現場での教育も含めて、総合的な研修体制を整えた。現場を回る人たちは電信柱に登り、地域に密着し経験を重ねた。そうした現場感のある人が、経営陣になっていったのです。
ところが、霞ヶ関との交渉がうまいとか、論理的に正しい経営計画をつくるとか、総務、企画の能力にたけた人が出世する構造に変わっていった。
こうした能力は、言語化できる知識、すなわち「形式知」が基本です。一方、言葉にうまく表せない現場経験から得られる「暗黙知」がある。私は、形式知と暗黙知を相互に変換させながら、新たな知を生み出すことが重要だと考えます・・

私の周囲でも、思い当たることが、いくつかあります。私が指摘するのは、企業とともに行政組織です。
内に閉じこもった時から、組織の発展や創造は止まります。なぜ、内に閉じこもるか。それは、業績を達成し、日本一や世界一といった評価を得た時からです。「俺たちのやり方が正しい」「俺たちの仕事の仕方と組織が、日本一なのだ」と考えるからです。慢心とも、いえるでしょう。
先輩たちは、試行錯誤して、組織と仕事の流儀を作り上げました。その組織を取り巻く環境や社会が変わらず、競争相手がいなければ、その「一番」は保てるのですが。そうは、いきません。日本一になったところで、目標は変わっているのです。社会も変わっていきます。
なぜ、転換できないか。それは、次のような構図です。しばらくは、日本一が続きます。そして、やっかいなことに、マスコミや世間が、しばらくの間、高く評価してくれます。後輩たちは、その評価に安住してはいけません。後輩たちがしなければならないことは、先輩の流儀を守り続けるのではなく、新しい目標とそれに適合した流儀を探し、挑戦することです。
これは難しいことです。先輩たちは「なぜ、変えるのか」と非難します。先輩にかわいがられた主流派は、総務や企画部門で先輩の教えを守り、保守本流=守旧派になります。改革派は、傍流になります。これが、成功した組織が陥る「失敗の構図」です。そして、成功が大きいほど、転換は難しくなります。
この項続く。

科学者の知見の活用

イギリスやEUには、政府に首席科学顧問(Government Chief Scientific Adviser)が置かれているとのことです。イギリスのThe Government Office for Scienceのホームページ。どのような仕事をしているかは、リンク先をご覧ください。
8月2日の朝日新聞オピニオン欄は、EUの首席科学顧問のアン・グローバーさんのインタビューを載せていました。

原発事故について。
・・私は英国の首席科学顧問のジョン・ベディントン氏と一緒に対応にあたりました。情報収集はきわめて困難だった。理由の一つは、日本に首席科学顧問がいないから。もしいたら、即座に科学者のネットワークができ、情報交換や情報の批判的検討もできた。日本にとっても、助けになったと思います。世界中から最良の知識を持った科学者を探し出し、力を貸してもらえたでしょう・・

ベディントン氏が、事故直後に東京の英国学校長に学校閉鎖の必要はないと明言したことについて。
・・私たちは誰もが意見を言える場を作り、影響について議論しました。ベディントン氏がその情報を政府に持って行き、首相が証拠に基づいて決断したわけです・・

英国で狂牛病が広がったとき、政府は当初、人には感染しないと言ったが、後になって間違いだとわかった。このときは、英国の科学者も信頼を失った。どうやって、信頼を取り戻したのかについて。
・・私は、間違いを認めることによってだと思います。正直さがとても大事です。そして透明性です。当初は人に感染する証拠がなかった。それは事実です。その後の研究で、感染しうるとわかった。それで、我々は間違っていたと正直に伝えたわけです・・