カテゴリーアーカイブ:社会と政治

低温経済と低温社会

2025年9月7日   岡本全勝

私は、2001年に実施された中央省庁改革に参事官として従事し、その後、地方分権改革や三位一体の改革にも関与しました。小泉内閣での経済財政諮問会を舞台にした改革も、目撃しました。最近の政界や官界、言論界を見て思うことは、当時ほどの「改革に対する熱」がないことです。

「低温経済」という言葉がありましたが、「低温政治」「低温議論」という言葉も必要なのでしょうか。
低温経済でも革命も起きず、それを理由にした政権交代も起きず、社会に大きな混乱も生じませんでした。非正規雇用が増え、こどもの貧困、格差社会という大きな問題が静かに進んではいるのですが。大恐慌のような経済破綻ではなく、経済は成長しない代わりに、大きな低下もしなかったのです。
「ぬるま湯」という表現がありますが、よく当てはまります。適温ではないのですが、飛び出すほどの冷たさではありません。ところが、世界では各国がどんどん成長し、日本は置いて行かれたのです。国内でぬるま湯に浸かっているかぎりは、気がつかないのですが。家電産業や自動車産業が国際競争に敗れ、工場が閉鎖されることで、その実態がわかります。

政治や言論界での改革議論の停滞も、同じでしょう。国際的には「ガラパゴス政治」を続け、増税せずに大きな支出を続けることで、とんでもない借金王国になっています。国債が暴落するまで、ぬるま湯に浸かっているのでしょうか。
社会に元気がなくなるということは、このようなことでしょう。しかし、若い国民は、30年前の時代、日本社会に活力があった時代を知らないのです。このような状態が普通なのだと思ってしまうのでしょう。
海外に出たり留学したりすると、日本の特殊性が見えるのですが。留学者数も減っているとのことです。

努力が報われない日本社会?」も、これと関係しているのでしょう。
急激な変化には、政治家も世論も盛り上がりますが、緩慢な変化には対応は鈍いようです。また、適確な処方箋がないことも、対応を遅らせているのでしょう。研究者や報道機関の奮起を期待します。

新型コロナが生んだ不信

2025年9月1日   岡本全勝

8月20日の朝日新聞「変容と回帰 コロナ禍と文化 5」「互いに、政治に、社会に「不信」」から。

・・・国内で市中感染が広がりはじめた2020年3月。新型コロナウイルス対策の特別措置法が成立し、緊急事態宣言の可能性が高まっていた。
個人の自由を尊重する民主主義のもとで、移動や集会の制限はどこまで許されるのか。当時、政治社会学者の堀内進之介さん(現・立教大特任准教授)に聞いた。「緊急時には人権を総体として擁護するために、一部の私権を制限する必要がある」。そんな見解の一方で、堀内さんは古代の共和政ローマの例を挙げながら、つけ加えた。「あいまいな理由で緊急時の権力を振るっていいわけではない」

あれから5年。コロナ下の状況について、再び聞いた。
「政治の責任をうやむやにしてはならないという懸念が現実になった。よくも悪くもロックダウン(都市封鎖)などの強い権力を行使せず、『自粛』という形で実質的な強制力が働きました」
法的強制力のかわりに、同調圧力にものを言わせた「自粛警察」が人々を追いこんだ。「『空気』による強制は、市民社会への『丸投げ』でした。極限状態に置かれた医療従事者も、営業自粛を余儀なくされた飲食店の関係者も、互いの善意に期待するしかなかった」・・・

・・・加えて、コロナ禍からの回復期には「V字回復」ではなく「K字回復」、二極化が起こったという。
「医療や介護など対面で働くエッセンシャルワーカー。地方から上京したばかりの学生。不自由の直撃を受けた人も、受けなかった人もいた。大きな不均衡が生じました」
自分の意見や行動が政治や政策に少しでも影響を与えていると感じる「政治的有効性感覚」が下がり、既存の政党への期待度も下がった。
「政治だけでなく専門家への不信が高まり、科学技術やメディアを含めた既存のシステム全体に不信が及ぶ『三重の不信』が生じました」・・・

人生100年時代構想会議

2025年8月31日   岡本全勝

日経新聞夕刊連載、エッセイスト・酒井順子さんの「老い本の戦後史」は、時代時代に売れた「老いの本」を取り上げ、その変化を分析するものです。
「孤独に死ぬのが怖い。老いて子に迷惑をかけるのが恐ろしい。そんな老いの不安と向き合うエッセイやハウツー本が書店で売れている。戦後のベストセラーを時代ごとに読み解いていくと、高齢者と家族が抱える悩みの移ろいが見て取れる。エッセイストの酒井順子さんが解説する」
時代の変化や国民の意識の変化が、よくわかります。

8月20日は、2000年代のベストセラーで「「何がめでたい」 老後の生活不安が生んだ」でした。
そこに、2017年に、安倍晋三首相が「人生100年時代構想会議」を発足させたことが指摘され、内閣府に「人生100年時代構想推進室」の看板を掛ける写真が載っています。
そういえば、そのような政策取組もありましたね。皆さんは覚えていますか。そしてどのような具体政策が実行され、どのような成果があったかを。
ウィキペディア

努力が報われない日本社会?

2025年7月27日   岡本全勝

7月8日の日経新聞「やさしい経済学」、米田幸弘・和光大学准教授の「「働く」意識の変化」第5回は、「努力が報われない日本社会」でした。
このような社会の変化や国民の意識の変化に、政府はどのように対応すれば良いのでしょうか。政府内に、このような問題を専門的に扱う部署は見当たりません。それも、問題です。社会の問題を政治・政府の問題と捉え、それを行政の課題とする。その意識と仕組みが必要です。

・・・経済が成長しない、賃金が上がらないといった理由から、努力が報われにくい時代になったといわれます。人々の意識はどう捉えているのでしょうか。

統計数理研究所の「日本人の国民性調査」で、1988年調査と2013年調査を比べると、「まじめに努力していれば、いつかは必ず報われる」と考える人が減り、「努力しても報われない」と考える人が17%から26%に増えています。とりわけ、「この10年で生活水準が悪くなった」と感じる人ほど、「努力しても報われない」と回答する傾向が見られました。
世界価値観調査によると、00年代に入った日本では「(成功するには)勤勉に働くことよりも、運やコネによる部分が大きい」と考える人が増えました。調査年で多少の変動はありますが、運やコネのほうが重要だと思う人の割合は、1990年代と比較して2000年代と10年代では10ポイントほど高くなっています。
努力が等しく報われなくなったというより、人によって報われなさの度合いが異なる、つまり、競争社会のフェアネス(公平性)に対する疑念が高まったといえそうです。

日本生産性本部が1969年に開始した「新入社員の意識調査」からは、若者の「野心の低下」ともいえそうな意識変化がうかがえます。
働く目的として「自分の能力を試す生き方がしたい」を挙げる人の割合は、1990年代は25〜30%で推移していましたが、2000年ごろから低下し始め、10年代後半には10%程度に下がりました。代わって上昇したのが「楽しい生活をしたい」という回答です。1990年代の回答率は20%台後半でしたが、2010年代後半には40%前後になっています。回答率は高くないものの「社会のために役立ちたい」も上昇傾向です。一方で「人並み以上に働きたいか」という質問では、10年あたりから「人並みで十分」という回答率が上昇しています。

努力が報われにくくなったと感じる若者の間で、未来を見すえたチャレンジより、「今」のやりがいや楽しさを求める現在志向が広がっているといえます・・・

トランプ氏はエリートへの不満を積んだ「乗り物」

2025年7月19日   岡本全勝

6月29日の日経新聞、 アメリカノの政治思想学者パトリック・デニーン氏「トランプ氏はただの「乗り物」」から。

・・・トランプ米大統領が掲げる「MAGA(米国を再び偉大に)」運動は戦後の国際秩序を支えてきた「リベラリズム」を壊そうとしている。その理論的支柱とされるのが米政治思想学者のパトリック・デニーン氏だ。トランプ氏は世界で広がるエリートへの不満を積んだ「乗り物」に過ぎないと主張する・・・

――戦後の民主主義国家の繁栄を支えてきたのがリベラリズムだった。あなたはそこには欠陥があると著書で論じた。どういうことか。
「個人の選択を重視し、政治的にも社会的にも人間関係でも人々をあらゆる束縛から解放しようとする哲学がリベラリズムだ。ところが私たちは自らを統治する自由を失い、経済面でも政治の影響が及ばぬ市場原理に支配されるようになった」
「皮肉なことにリベラリズムは『成功』するほど失敗していった。例えばかつての共同生活には助け合いがあったが、人々は隣人に助けを求めなくなった。米国には長い間、自己犠牲を尊ぶ古い伝統があったがそれらは失われていった」
「経済的なリベラリズム、米国流で言えばグローバル化した市場を重んじる新自由主義が批判を浴び、個人の自由や権利を極端な形で追求する左派リベラルも批判にさられている。リベラリズムの危機が分断を生んでいる」

――個人の自由な選択を追求するリベラリズムこそが人間の幸福や繁栄につながったのではないのか。
「選択の自由は幸福の本質ではない。正しい選択をすることが幸福の本質だ」
「確かに私たちはかつてないほど自由だ。消費者としても一人の人間としても多くの選択肢を持っている。にもかかわらず欧米社会ではメンタルヘルスの危機が著しく高まり、自殺する人が増え、平均寿命も低下している」
「極めて少数の人々に資本主義の恩恵がもたらされ、政治的な不安定を生んでいる。古今東西の政治思想家が一致するように、社会の繁栄を人々が分かち合えているという感覚が行き渡らなければ政治的な安定は得られない」

――この変化はいつごろ始まったと考えるか。
「フランシス・フクヤマ氏が(自由民主主義が政治制度の最終形態と記した)『歴史の終わり』を発表し、ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。90年代にリベラリズムは『最高潮』を迎えたが、その頃からリベラリズムが伝統的な慣習や制度の良い部分を壊し始めた」
「米国は政治再編のまっただ中にある。ポストリベラリズム派というべき低学歴の人々や労働者階級、あるいは過度な自由市場や社会的な解放主義に疑念を抱く人々と、エリート層や高学歴といったリベラリズム派の人々の対立だ」

――トランプ氏は2016年の大統領選で当選し、返り咲きも果たした。リベラリズムに対する疑念が彼を誕生させたのだろうか。
「彼は不満の受け皿になっただけだ。無視されてきた数多くの人々が存在していることを本能的に見抜く才覚に優れていた。ビジネスマンとして、ワシントンのエリートが気づかぬ政治的な市場がそこにあることに気づいた」
「右派であれ左派であれ、ワシントンのエリートたちは彼の『成功』にショックを受けたことだろう。ただ、トランプ氏が不満を生んだのではない。前からずっとそこにあったのだ。彼は(その不満の)乗り物になったに過ぎない」