カテゴリーアーカイブ:社会と政治

「総合的」とは

2026年2月15日   岡本全勝

1月27日の朝日新聞夕刊「いま聞く」は、イアン・アーシーさんの「「総合的」?何を総合してますか」でした。

・・・「総合的に判断して」「総合的・俯瞰(ふかん)的に検討しまして」。判断の理由がわかったようなわからないような……。政治ニュースでよく聞くこの言葉、著書「ニッポン政界語読本 単語編」で取り上げた翻訳家のイアン・アーシーさん(63)に聞いた。「総合的」って、総合的に考えてどんな言葉ですか?

1984年に初来日。「総合的」の言葉は「かなり早い時期から気になっていました」と言う。「何を総合するのか分からない。訳すのに苦労したことが幾度となくあります」
90年代、大学に「総合○○学部」といった名称の学部が出てきた。広い視野で物事を考え研究する学部と思いつつ、「いったい何をする学部なのか」。
2015年、自衛隊による武力行使が可能な範囲を広げる安保法制の法案をめぐる議論でも「総合的」はよく使われた。例えば、存立危機事態とは何か。当時の安倍晋三首相は「状況を総合的に判断して存立危機事態に当たり得る」(15年7月)。

20年秋に発覚した、日本学術会議の会員候補6人を菅義偉首相(当時)が任命拒否した問題でも「総合的」は頻出した。ただ、菅首相の「総合的」は「進化とも言える変化形」と言う。
例えば、20年10月5日の内閣記者会インタビューなどで、菅首相は「総合的・俯瞰的」を多用した。俯瞰的とは、高いところから全体を見下ろす、という意味。「総合的とセットになると『恐れ入った』と思わせる効果すらありますね」。この言葉はさらに進化を遂げ、以降の官房長官会見では「総合的・俯瞰的観点」と「観点」がつくようになった。
6人をなぜ任命しなかったのか、明確な理由は今に至るも分からない。「『総合的』とは判断の根拠をあやふやにするのに便利なぼかし言葉。政治家はよく言葉を分かっています」

仲間の言葉として、「原則として」「など」もあるという。特に「原則として」は、例外を無限に拡大して範囲が不明瞭になると指摘し、「総合的」に並ぶ「ぼかし言葉の二大巨頭」と位置づける。

こうした政治家の言葉に、特に記者たちはどう立ち向かっていくべきなのか。
「面倒くさいまでに具体的に列挙させること。何と、何と、何を『総合』するんですか、と。具体的にどういう項目を判断材料にしたのかを語れないのであれば、それは言葉を隠れみのに使った逃げ。『総合的』という言葉も、そんな使われ方をされたら不本意でしょう」・・・

そうですね。「総合的に勘案して」という場合にも「甲、乙、丙を総合的に勘案して」と使えば、納得してもらえるでしょうか。それぞれの要素の配分点は明らかではないのですが。「甲、乙、丙などを総合的に勘案して」となると、「など」に何が入っているかわからず、ごまかしになります。

統治への不信

2026年2月2日   岡本全勝

1月10日の朝日新聞オピニオン欄は、「共振する政治と民意」でした。
・・・いま、日本社会を様々な「不安」が覆っています。なぜ不安なのか、不安が何をもたらすのか。多様な角度から考えるシリーズを始めます。初回は「不安と政治」。不安が政治をどう動かし、政治にどう利用されているのかを、心理学や社会学の視点から探ります・・・

池田謙一・同志社大学教授の「統治に不信、いらだちは標的求め」から。
―日本政治を、人々の「統治の不安」という視点から読み解いていますね。
「『統治の不安』は、約60カ国を対象とした世界価値観調査から見えてきたものです。国が背負っている様々なリスク、具体的には戦争に巻き込まれる、テロが起きる、失業する、子どもが十分な教育を受けられない心配などについて聞くと、日本人は、客観的なデータに比べて不安の度合いがずっと高い。内戦の可能性まで心配しているという結果が出ています」
「この不安はどこから来るのか。政治学でいう『感情温度計』で、政党に対する『温かさ』を0度から100度までで答えてもらうと、日本ではどの政党の平均値も50度以下です。ポジティブな気持ちで選べる政党がない。さらに、『拒否政党』が多いのが特徴です。支持したくない政党はあるかと聞くと、与党から野党まで多くの政党が挙げられる。統治を担う政府や政党、公的機関が信頼できないという『統治の不安』が強くあり、政治に影響していると考えています」

―どう影響しているのでしょうか。
「典型的なのが、新型コロナ禍での社会心理です。15カ国のデータを比較すると、日本人のコロナへの恐怖感は目立って高く、政府の感染対策に対する評価がきわめて低かった。日本より桁違いに死亡率が高かったブラジルと同じくらい、政府への強い不満や不信感が見られました」
「政治不信は、『政治とカネ』のようなものが原因とよく言われますが、『統治の不安』はもっと漠然としたものです。ターゲットが定まっていないので、誰かが『敵は○○だ』とスケープゴートを作り出すと、我先に殺到する。最近では財務省解体デモや『外国人問題』が一例です」

―「統治の不安」に、社会としてどう対処すべきでしょうか。
「不安を利用しようとする政党や政治勢力のターゲット設定は、ほとんどの場合、明確な根拠がありません。メディアは、ファクトチェックなどでそこを指摘すべきです。ターゲットを作らせないのが重要です」
「また、政治に選択肢があって、自分の意思を託せる政党があれば、不安は軽減されるのではないかと考えています。今年から3年間にわたって、15カ国ほどで国際比較データをとって、この仮説を検証しようとしています」

―それで、「統治の不安」は解消されますか。
「究極的には、政治や政党、公的なものへの信頼を再建していくしかありません。1990年代の政治改革では二大政党制が目指されましたが、失敗だったと思う人が増えている。どんな制度なら政党政治への信頼が回復できるのかを考える時期かもしれません」
「政府が統治能力を示す必要もあります。日本は、政治の『成功体験』が長いことありません。国民全体がある程度認められるような成功体験があれば、政治や政党への信頼を高められるかもしれない。そうでないと、『統治の不安』が増幅して、政治がさらに不安定になるでしょう」

外国人との秩序ある共生社会の実現

2026年1月18日   岡本全勝

1月14日に外国人との秩序ある共生社会の実現のための有識者会議が、意見書を提出しました。詳しくは本文を読んでいただくとして、冒頭の「在り方」を引用します。

・・・我が国に在留する外国人数は、令和7年6月末時点で 395 万 6,619 人と過去最高を更新し、約 20 年前の平成 16 年と比較すると約2倍となり、出身国・地域も 196 か国・地域となっている。我が国に在留する外国人の増加に伴い、多数の外国人が在留することを前提としていなかった諸制度の在り方について国民の関心が高まり、また、一部の外国人によるものであるものの、我が国の社会規範を逸脱する行為について、国民が不安を感じる状況も生じているとの指摘がなされている。

しかしながら、我が国に在留する多くの外国人は、勤勉で社会規範を理解し、地域・産業を支え、日本社会に貢献してくれている存在である。また、日本社会は 20 世紀の長い期間をかけて、内外人平等を原則としてきた歴史を持つ。このような歴史にも鑑み、今後の我が国の安定と繁栄のため、社会規範を守りながら我が国で生活する外国人が正当に評価され、社会の一員として尊厳をもって生きられる社会を構築するとともに、国民・外国人双方が互いに尊重し、安全・安心に生活し、共に繁栄する社会の実現を目指すべきである。秩序は社会の土台、多様性は社会の力であり、この両者を両立させることが、真の秩序ある共生社会への道であると考えられる・・・

規則を守らない、犯罪を犯す外国人がいることに対し、排外意識が高まっているとの報道もあります。次の文章が、答えになるでしょう。
・・・目指すべき共生社会の実現に当たっては、我が国の社会規範を逸脱する行為に対しては、国籍に関わらず、公正かつ厳正に対処するとともに、在留する外国人の増加に対応できていない諸制度については適正化に向けて改善していくことが必要である・・・

結びには次のようにあります。
・・・我が国に在留する多くの外国人は勤勉で社会規範を理解し、地域・産業を支えてくれている。そうした外国人が正当に評価され、日本社会の一員として尊厳をもって生きられる社会、そして、国民・外国人双方が互いに尊重し、安全・安心に生活し、共に繁栄する社会を実現することが我々の使命である。他方で、我が国の社会規範を逸脱する行為に対しては、国籍に関わらず公正かつ厳正に対処し、また、在留する外国人の増加に対応できていない諸制度については、適正化していくことが必要である・・・

構成員に、田村 太郎・一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事も入っています。
ところで、外国人との共生社会の実現のための有識者会議は、法務省にホームページがあるのですが、外国人との秩序ある共生社会の実現のための有識者会議は、内閣官房副長官補本室のサイトに載っていて、どこに問い合わせたらよいのかなどがよくわかりません。

政治を動かす大衆、希望から不安へ

2026年1月15日   岡本全勝

2025年11月23日の読売新聞[あすへの考]、フランシス・ヴォルフ氏の「ナショナリズム過熱の脅威」から。気になったところを紹介します。

・・・私見では、西洋で近年、政治を動かしているのは大衆の抱く「不安」です。衰退の不安、アイデンティティー(自己同一性・帰属意識)喪失の不安、グローバル化の不安、他者に対する不安――。
19世紀半ばから21世紀初頭まで西洋の大衆が抱いていた感情は「希望」でした。「明日は今日より素晴らしい」というのはマルクス主義の歴史観でもある。子は親よりも良い暮らしが望めた。ところが2000年代後半以降、希望は不安に取って代わられた。

欧米でナショナリズムが大衆の不安を糧に勢いを増している。16年の英国の国民投票を通じた欧州連合(EU)離脱決定と米国第一主義のドナルド・トランプ氏の米大統領初当選はその表れです。大戦後、ナショナリズムの超克を期して欧州統合を主導してきた独仏両国でも「反欧州」を叫ぶ右翼政党が伸長している。大衆はナショナリズムという空間に「避難先」を見いだしているかのようです。
欧米で左翼の取り組む「アイデンティティー政治」も問題です。左翼は伝統的に人権や基本的自由に普遍性を認め、植民地主義に対抗し、男性支配を批判し、女性解放を擁護してきた。しかし近年は大衆の不安を前にして、人間は個々の人種・性別・性的指向・信仰で定義されるべきだと説いている。人と人を結びつける普遍性ではなく、人と人を隔てる個体性を優先している。これが私の分析です。
右翼はナショナリズムに拘泥し、左翼はアイデンティティーに固執する。二つの現象は、実は一つのことを意味しています。「人間は皆、同じ価値を持ち、万人は平等だ」という普遍性の否定です。

世界で民主主義が退潮しています。振り返れば、民主主義の高揚期は1970年代半ばの南欧の民政移管、80年代半ばの南米の軍事独裁の終焉、89年の東西冷戦構造崩壊に伴う東欧の民主化、91年のソ連解体などで刻まれた、20年に満たない期間でした。
20世紀の民主主義の危機は主に軍事クーデターでした。21世紀の危機の特徴は「非民主的な指導者が民主的に選出され、民主主義を攻撃する」ことです。ブラジルのボルソナロ前大統領、ハンガリーのオルバン首相が該当しますが、代表例はトランプ米大統領です。自分は国民に選ばれた以上、言論・出版の自由や司法の独立を含む基本的自由に介入する正当性があると確信しているかのようです。
選挙は民主主義の重要な柱ですが、より重要なのは基本的自由の擁護です。米国で基本的自由が脅かされています。
世間に満ちているのはSNSなどで拡散された感情です。冷静で論理的・科学的な理性は顧みられない。民主主義をもたらした啓蒙主義が危ういのです・・・

変容する政治と宗教の関係

2025年11月13日   岡本全勝

10月21日の読売新聞「公明連立離脱 変容する政治と宗教の関係 水島治郎・千葉大教授に聞く」から。

・・・水島教授は、労働組合や業界組織などの団体が個人をまとめて政党を支える仕組みが、20世紀後半の政治の構図だったと指摘する。各団体は、都会に出てきた地方出身者など、旧来のつながりから切り離された人々を包摂し、仲間を提供する場となり、政治参加の道を開いた。「戦後の新宗教も同じような機能を果たしていた。創価学会が支持する公明党だけでなく、自民党も様々な宗教団体を支持基盤としていた」
この構図は、西欧諸国でも同様だった。信徒が属する教会系団体に支えられ、キリスト教民主主義政党が政治を担った。「宗教を一つのベースとし、反共産主義の旗印の下に結集していた。教会やキリスト教団体は、信仰を共有するだけではなく、友人を作る場であり、市民が政治にかかわる経路ともなっていた」。水島教授は、宗教系の団体が、戦後の日欧政治における隠れた主役の一つだったと説く。

自公連立が20世紀の最終盤に実現したのは、両党の支持基盤に先細りが見えたためだが、そうした政治の到達点と見ることもできる。だが21世紀に入ると、中間的な団体は急速に力を弱めた。宗教団体の場合、親からの信仰の継承を拒む人や、私生活を優先する人が増えた。インターネットの発達で仲間作りも容易になった。「個人と団体との関わり方が根本的に変わり、両者の力関係が逆転した」
個人が政党支持に至る過程も、政治家の動画を見て判断するなど流動的になった。団体は縮小し、残った構成員は高齢化し、政治活動の熱も下がった。「個人―団体―政党」という安定した構図は一部のものとなった。「構成員をフル稼働させても選挙で勝てるとは限らなくなった。負ければ団体の存在意義に関わり、内部分裂にもつながる」とし、宗教団体にとって選挙がリスクになっていると指摘する。

一方で水島教授は「宗教団体の力は弱まり、団体に依存する政治のあり方は変わってきたが、宗教そのものの影響力は弱まっていない」と強調する。例えば欧州では、反イスラムで保守勢力を結集させる際、キリスト教が重要な旗印になっているという。「外部者を排除し、人々をまとめるために、自国の宗教的アイデンティティーが使われている」
実際、米大統領のトランプ氏や露大統領のプーチン氏、イスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフ氏ら、世界を揺るがせている政治指導者は一様に、宗教的アイデンティティーを前面に出している。「自分が信じているかは別として、宗教に訴えることが、政治家の戦略として効果的だとの感覚は持っているはず。宗教とナショナリズムは、人が命をささげるに値する究極の価値として意識される点で共通するものがある」・・・

・・・各国で共通するのは、宗教的アイデンティティーを前面に出し、人々をまとめる役回りを、急進的な右派勢力が担っている点だ。従来の宗教団体に支えられた中道保守勢力は弱体化している。今後について水島教授は、その傾向がさらに強まる可能性があるとする。
「社会は変わり目にあるが、宗教の役割は形を変えつつも衰えておらず、陰に陽に政治と結びついている。北欧など先進的とされる民主主義国でさえ、宗教と結びつく形で君主制も維持されている。日本でも、お祭りなど宗教的な行事への関わりは薄れておらず、皇室への関心は高い。現実の展開は、教科書的な近代化・世俗化とかなりずれているのではないか」・・・