カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

復興事業の教訓、過大な街づくり批判

復興事業の教訓、人口の減少、その2」に続き、「復興事業の教訓」その3です。
「防潮堤の復旧は過大だったのではないか」「まちの復興計画が大きすぎて、空き地があるではないか」という批判です。そのうちまず、過大な街を作ったのではないかという批判についてです。

実は、街づくり計画は、各地で何度も見直し、縮小しました。計画作りのために住民意向調査を行い、その後も工事に時間がかかるので住民意向調査を繰り返しました。すると、戻りたいという住民の数が当初より減ったのです。
そこで、いくつか計画した高台移転計画を縮小しました。条件の悪い地区を、やめました。
しかし、町の中心での土地のかさ上げ(区画整理)は、計画の見直し縮小は難しいです。一定の区画を限り、その地権者たちの同意を取って、全体の計画を作っています。公共施設の配置、道路の配置、地権者の新しい町での貼り付け、そして公共用地を捻出するために地権者の所有地をどの程度縮減するか(減歩率)を決めています。面として計画を作っているので、これを見直すのは大変な労力が必要です。そして、完成が遅れます。

なお、住民意向調査では時間が経つと、自費で戸建てを建てる人が減り、公営住宅に入りたい人が増えました。これは実施の段階で変更しました。

「地元自治体負担なしが、計画見直しを進めないことになった」との意見もあります。私も、自治体負担を少しでも入れておけば、議会が予算面からより監視機能を働かせたと思います。負担できない自治体は、別途国が予算支援をする必要はあります。

街づくりを担った職員が町役場の職員ではなかったことも、その原因の一つとして指摘されています。被災市町村には能力を持った職員が多数いませんから、他の大きな自治体から技術職員を応援に送りました。ところが、街づくり工事を応援職員だけでやっていて、役場内で孤立しているとの指摘もありました。
これらの点は、今後改善する必要があります。この項続く

参考「朝日新聞インタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」」「復旧事業費地方負担なし、関係者の声」。

復興事業の教訓、人口の減少、その2

復興事業の教訓、人口の減少」の続きです。次は、宮城県沿岸部です。
この図表でも、被災の10年前、直前、10年後を比べてあります。宮城県全体では、100、99、97で、微減です。沿岸部人口は表の下に示しました。減っていません。ただし仙台市を除くと、100、97、88と減っています。
そして各市町村を見ていただくと、仙台市とその近くの市町は増えていて、仙台市から遠い北と南の市や町が大きく減っています。

町が大きく壊れた町ほど復興工事が長引き、人口の流出が大きいという指摘がありますが、それも事実でしょう。他方、宮城県を見ると、それだけでは説明できません。地理的、経済的条件が大きいと思われます。働く場と都市的魅力がある地域、そこに近い地域が人を集め、そうでない地域は人口減少が続きます。
これは津波被災地だけの問題ではなく、日本全国で起きていることです。被災地は、それが劇的に起きたのです。

話は変わりますが、原発被災地では、県内のゴルフ場や那須高原に新しい町を作って、移住する案がありました。私は担当ではなかったのですが、意見を聞かれて反対しました。働く場所のない町は、持続しないからです。かつて、東京や千葉県にニュータウンがいくつも作られましたが、それは東京という働く場があったからです。それがないと「ベッドタウン」寝るだけの町になり、持続しません。この項続く

復興事業の教訓、人口の減少

大震災復興に長く携わったので、取材や講演、執筆の依頼がよく来ます。これまでの主題は、復興の現状と課題が多かったのですが、10年を迎えるに当たって、また津波被災地では工事がほぼ終了したので、主題が反省と教訓に移ってきています。
これまでは、問題の指摘や批判があれば、それにどのように答えるか、改善するかが対応でした。ここに来て事業が終わったので、次回への教訓をまとめることが必要になりました。1月21日の「シンポジウム 東日本大震災から10年」でもこの点に触れましたが、改めて説明しておきます。今回は、津波被災地復興について述べます。

いくつか批判と反省がありますが、主なものとして、次のようなものがあります。
・住民が戻っていない。町のにぎわいが戻っていない。
・巨大な防潮堤はムダだったのではないか。町づくり計画が過大だったのではないか。
これらについて、関係者と議論し、また講演会などで話をして、私の考えを整理してみました。
まず、住民が戻っていない。町のにぎわいが戻っていないことについてです。

次の図表は、津波被害に遭った岩手県沿岸部12市町村の人口の推移です。被災の約10年前(平成12年10月)、被災直前(平成22年10月)、被災10年後(令和2年11月)を並べてあります。右の表は、平成12年を100とした指標です。
岩手県全体では、100、94、86という減少ですが、沿岸部合計では100、88、74です。沿岸部は既に人口減少傾向にあり、かつて「10年で10%減る」と聞いたことがあります。その減少傾向がさらに加速したのです。この項続く

大震災の検証、原発事故後

朝日新聞が、1月12日から「東電「国有化」の実像 原発事故から10年」の連載を始めました。「(東日本大震災10年)「原発事故、起こるべくして起きた」 東電元エース社員の告白」、13日「東電「国有化」の実像:1 事故免責求めたが「通りませんよ」」。
既にウエッブ上では6回の連載が掲載されています。
・・・10年前、放射能を大量に放出する未曽有の原発事故を起こした東京電力はなぜ破綻を免れ、国に救済されたのか。政府の隠れた意図を浮き彫りにするとともに、実質国有化までの知られざる攻防を明らかにする・・・

重要な検証だと思います。
原発事故については、国会・政府・民間などの事故調査委員会が、事故が起きたことと、直後の対応について詳しい検証を行いました。しかし、その後の検証は十分に行われていません。
原発の冷温停止や廃炉作業ではなく、避難指示と避難行動、避難指示区域の設定とその後の解除、賠償、避難者への償いと支援といった、原発敷地外の対応です。東電と政府の対応が良かったか、足らなかったかです。事故が起きた後、そして敷地外での避難者対応の検証です。

津波被災地での避難者支援と復興については、被災者支援本部と復興庁が、検証に耐えるようにできる限りホームページで情報を載せ、記録してあります。私も後世の教訓になるように、なるべく取材に応じお話ししています。
ところが、原発事故のその後の対応は、きちんとしたホームページもなく、検証も不十分です。事実の評価とともに、関係者の証言が必要かつ重要だと思います。

復興10年の検証、朝日新聞

1月11日の朝日新聞1面は、「東日本大震災10年 3・11の現在地」「「創造的復興」でも故郷を離れた」でした。
・・・「創造的復興」。この言葉に始まった東日本大震災からの復興事業は、規模・内容ともに前例のないものとなった。
壊滅した沿岸のまちをつくりかえ、かさ上げしたり高台を造成したりした。お金の調達には、25年にわたり所得税を上げるなどの増税を実現し、被災自治体の地元負担をゼロとする仕組みにした。企業の施設復旧にもお金を投じ、住民のコミュニティー再建も支援した・・・

復興の基本方針をつくった復興構想会議からの動き、地元負担なしから一部負担導入へ、町づくりの見通しと結果とのズレなどを、関係者の証言を集めて検証しています。

2面に、私の発言も載っています。
・・・復興次官を務め、10年の大半で復興政策に関わった岡本全勝氏が昨年11月、取材に応じた。10年について「行政哲学の大転換だった」と振り返りつつ、反省を口にした。
「インフラ偏重となった面はある。なりわい再生やコミュニティー再建にもっと重点を置くべきだった」・・・