カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

原発被災地での農業再開

日経新聞夕刊「人間発見」。今週は、佐藤良一・農業法人紅梅夢ファーム社長の「農で福島取り戻す」です。
・・・東日本大震災から10年。農業法人「紅梅夢ファーム」(福島県南相馬市)社長の佐藤良一さん(67)は、住民や農業者の大半が戻らない同市小高区で、米作りなどの営農再開をけん引してきた。自らも9代続く農家。その取り組みは、かつての古里を取り戻す挑戦にほかならない・・・

・・・避難指示は2016年7月まで続きました。区内2900ヘクタールの農地を避難した住民の助けも受けて徐々に整備し、震災翌年の12年に原発事故の被災自治体で初めて水稲の試験栽培を実現しました。14年には一部を出荷できる実証栽培、そして営農再開へつなげました。
17年に立ち上げた紅梅夢ファームは、避難している地権者から預かった農地も活用し、県のブランド米「天のつぶ」などを作っています。天のつぶはアイリスオーヤマグループを通じ、パックご飯などで全国に販売しています。会社で耕す田んぼは、17年の9ヘクタールから22年に150ヘクタールまで広がる計画です・・・

紅梅夢ファームは、このホームページでも何度か取り上げました。

東日本大震災から10年

あの日2011年3月11日から、10年が経ちました。その9年半を、復興に従事しました。しばしば使う表現ですが、「長かったけど早かった」というのが、私の感慨です。多くの市町村長も、同感してくださいます。

これまでにない災害で、当初は先行きも見えず、走りながら課題を解決してきました。津波被災地では、5年目くらいで先が見えてきました。もっとも、その後も次々と新しい課題が出てきたのですが。原発被災地では、まだ避難指示が解除できていない地域もあります。津波被災地とは違った、難しい問題です。

テレビや新聞も、関連の報道で埋まっていました。10年という一つの区切りを思わせるものでした。
津波被災地では工事が終わり、復興はほぼ完了しました。10年でここまで来ると予想した人はいなかったでしょう。また、産業再開、コミュニティ再生支援に乗り出すと考えた人もいなかったでしょう。その点では、及第点をもらえると思います。にぎわいの回復など、残された問題もありますが、地域の人たちで解決していって欲しいです。
原発被災地では、まだ復興は始まったばかり、まだ着手できないところもあります。しかし、10年でここまで帰還できると想像した人も少なかったでしょう。予想に反して、放射線量の減衰が進んだからです。もっとも、まだまだ長期間にわたる対策が必要です。政府が最後まで責任を持って、復興を成し遂げて欲しいです。

5年目の節目には、次のようなことを書いていました。まだ復興事業の真っ最中でした。「5年目の3月11日」。また「東日本大震災 復興が日本を変える」をまとめました。
さて、次の10年はどのようなことができて、どのように評価されるか。行政の役割は、過去を振り返ること以上に、これから何をするかが重要です(「官僚の仕事は未来との対話」「日経夕刊コラム」)。2031年に、胸を張れるように努力してほしいです。

ホームページの分類、復興10年

大震災から10年が経ち、報道などで検証がなされています。私も、取材や寄稿などで発言する機会が多いです。そこで、このホームページの分類「災害復興」の中に、「復興10年」という小分類を立てることにしました(分類はこのページ左に表示されています。「行政」欄の+を開いてください)。
これまでに書いた記事も、10年の評価や教訓に関することは、この小分類に入れました。主なものは、次のようなものです。
復興事業の教訓」(2021年1月26日から4回)人口の減少、過大な事業批判
日経新聞、大震災復興事業の検証」(2月9日から3回)予算、産業再建など
復興事業の教訓、集落の集約」(2月12日)漁港など分散した集落の集約案
復興政策、終わってからの教訓」(2月14日)今後の人口減少下での復興
提言、原発事故復興基本法案」(3月3日から2回)残っている原発事故からの復興について
町の復興、高台移転とかさ上げの違い」(3月24日)

また、インタビューなど新聞記事や雑誌への寄稿などは、分類「体験談」「寄稿や記事」に入っているので、分類「復興10年」には入っていません。主なものは、次の通り。
朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」(2020年10月11日)
朝日新聞インタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」」(12月10日)
打ち破った前例踏襲主義 霞が関のミスター復興に聞く」(朝日新聞2月9日、12月10日と同じ)
福島民友インタビュー「政府の力が試された」」(2021年2月18日)
NHKクローズアップ現代に出ました」(2月25日)
北日本新聞に載りました。「被災地支え続けた岡本全勝さん」」(3月5日)
日経新聞1面「復興の哲学を変える必要があった」」(3月9日)
毎日新聞「人口減 議論足りず反省」」(3月10日)
公明新聞に出ました」(3月16日)
NHKウエッブサイトに載りました」(3月18日)
河北新報に出ました」(3月25日)

「都市問題」東日本大震災10年特集

月刊『都市問題』3月号が、東日本大震災の10年を特集してくださっています。
いくつも論文が載っているほかに、「統計データで見る東日本大震災の10年」が充実しています。人口、産業、教育、医療・福祉、住まい、自治体財政の6分野で、詳細な数値と分析が載っています。50ページの力作です。ご利用ください。

日経新聞社説「持続性高める復興へ平時から備えを」

3月8日の日経新聞社説は「持続性高める復興へ平時から備えを」「インフラ先行を改めよ」「民間の力を生かそう」でした。
・・・東日本大震災で世界が目撃したのは、巨大津波や原発事故がもたらした筆舌に尽くしがたい惨状と、その未曽有の困難に黙々と向き合う被災地の人々の忍耐強い立ち振る舞いだった。
世界が感銘を受けた被災地に、私たちは元に戻す復旧でなく創造的復興を誓った。高台移転などによる、被災前より安全で、少子高齢化の影響を和らげ、産業を育む持続性の高い街づくりである。
この10年の被災地の努力は実を結んでいる・・・

・・・なぜ事業は過大になったのか。
一つは霞が関に根を張る「一刻も早く元に」という原状復帰のDNAだ。防潮堤の整備は自治体が復興計画を作る前に動き出し止まらなかった。人口減少時代の原状復旧は時に過剰投資につながる。
次に復興主体の市町村は復興計画で人口減を想定できなかった。住民の意向は時間が経つにつれて変化するが、事業費は地元負担がなく、見積もりが甘くなった・・・

その他、的確な指摘がされています。原文をお読みください。