細谷雄一著『国際秩序―18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』(2012年、中公新書)が、勉強になりました。18世紀から現在までの国際関係を、「国際秩序」がどう変化してきたかという観点から分析しています。これまた、新書とは思えない重い内容です。
先生は、列強間の「均衡」「協調」「共同体」という3つの原理でこの間の歴史を説明し、ほぼこの順に進んできた、関係者が進めてきたと、主張されます。もっとも、均衡のない協調や共同体は不安定であることも、指摘しておられます。切れ味の良い分析で、なるほどと思います。もちろん、簡潔な原理で分析すると、いくつも例外が出てきます。それは仕方のないことでしょう。
多くの封建領主たちがいた中世から、主権国家が統一される際には、力による統一がほとんどでした。日本にあっても、戦国の群雄割拠を統一したのは、信長と秀吉の武力による軍事統一でした。現在の国際社会は、200近い主権国家によってなりたっています。言ってみれば、天下統一前の群雄割拠状態です。武力でなく、この主権国家間の平和を維持し、さらに「統合」を進めるにはどうしたらよいか。これが、現代の国際政治の課題です。国際連盟や国際連合を作ったら、戦争はなくなるか。なくなりませんでした。
しかし、ヨーロッパ共同体の試みや、各種の国際機関や組織、そして国際的な取り決めが、戦争を防ぎ統合を進めています。これは、国家間の政治家による、政治的な意図的な統合です。
他方で、経済や文化のグローバル化が、それら政治家の意図とは別に、社会・経済そして市民レベルでの相互依存と統合を進めています。相互依存が進むことで、国際社会から背を向けては、やっていけないのです。市場経済や国際金融市場から脱退しては、その国の経済発展はありません。インターネットから外れたら、科学技術の発展から取り残されます。
1929年の大恐慌時と、2008年の世界金融危機時の違いが、象徴的です。前者では主要国が囲い込みに入り、不況をさらに深刻化させました。後者では、中国を含めて世界各国が協調して、危機を乗り越えました。
ところで中国は、今や巨額のアメリカ国債を保有しています。売りに出せば、アメリカ国債が暴落し、アメリカに大きな打撃を与えることができます。しかし、それをすると、中国が持っているアメリカ国債が減価することでもあり、容易には売り出すことはできません。そのほか、あるモノの輸出を止めることは、相手国への脅威になりますが、自国の産業にも打撃を与えます。一時的には相手を困らせても、相互依存は武器として使いにくいのです。
軍事力による政府間の均衡から、経済などによる非政府主体も含めた協調関係への変化です。それは政治を、国家間の力(パワー)としてみる見方から、金融・経済などのつながりと場としてみる見方への転換でもあります。コヘイン、ナイ著『パワーと相互依存』(邦訳2012年、ミネルヴァ書房)が、古典的書物です。
私は、さらに経済や文化の統合が進み、戦争のできない国際秩序ができると考えています。もちろん、そんなに平坦な道のりではないでしょう。軍事力を増強し、圧力をかける国がいることも事実です。他国を占領するためでなく、国内対策のために対外硬に出てくる国もあります。それぞれの国で、民主化と自由主義が進まないと、国際的統合は進みません。
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経済こそパワーの源、その2
昨日の続きです。岡本行夫さんの発言から。
・・もう一つ、日本は「世界への貢献」だの「アジアと欧米の架け橋」だの、旗印を掲げて何もしない標語外交と決別すべきだ。
中国との「戦略的互恵関係」もそうだ。互恵と言いながら、中国は尖閣、東シナ海のガス田を含め、自分たちの利益がかかることで、ただの一度も譲ったことはない。
日本はこうした標語を作ると、思考停止と不作為に陥る。それが最も楽だからだ。
尖閣は明白に日本の領土だが、中国の宣伝はすざまじい。一方、日本は領土問題は存在しないとして、何もしてこなかった。その結果、国際世論はどっちもどっちだという見方になってきている・・
詳しくは、原文をお読みください。
経済こそパワーの源
12月12日読売新聞解説欄、対論、外交・安保、岡本行夫さんの発言から。
・・私は米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)で教えているが、こちらでは衆院選は全く関心を呼んでいない。
理由は二つだと思う。まず日本の経済力が後退し、存在感が希薄になったこと、そして選挙結果がどうなっても日本は変わるまいとみられていることだ。
国際舞台での日本の姿は、本当に小さくなってしまった。
かつて世界一だった政府開発援助(ODA)は、当初予算ベースでは、ピークだった1997年の半分になった。米国だけでなく、英国、ドイツ、フランスにも抜かれた。
自由貿易の旗手だったのに、今は旗振りどころか、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加すらできずにいる。
経済力の後退とともに対外的な関与や発言も減った。日本だけ、防衛費も減り続けている。
だから、外交が大事というなら、何よりも経済を立て直す必要がある。一に経済、二に経済、三、四がなくて五に外交だ。
世界と関わらなくても、TPPに入らなくても、国内でやっていけばいいという声もある。それも一つの生き方だろう。
だが、その場合、何が起こるのか。競争力が落ち、経常収支が赤字になる。資金は流出し、国債は国内で消化できなくなる。金利は上がり、不景気になる。街は失業者であふれるだろう。内向きになれば、暮らしが相当悪くなる覚悟をすべきだ。
TPPについて、米国にはこういう気持ちもあるだろう。「日本が孤立に耐えられるわけがない。いずれ参加する。ならば今のうちに日本抜きで有利なルールを決めてしまおう
反TPP派は、本当に最後まで反対を貫く覚悟があるのか。
我々は日米安保に守られ、好き勝手を言っても軍事的な脅威にさらされなかった。しかし経済には、日米安保に相当するものはない・・
この項続く。
政党を育てるか、消費するか、その2。権力は批判するもの?
杉田・・日本では、権力は拒否していればいいという考え方が強すぎます。権力は危険だということは踏まえなければいけませんが、その権力は自分たちが作っていくものでもあるのです。選挙の棄権について、政治学者はこれまで擁護してきた面がありますが、本当はもう少し批判すべきだったのかもしれません。
長谷部・・憲法学者も、権力のやることは全部批判していればいいと考えてきた面があります。批判していれば、そのうちいいこともしてくれるかもしれないと。反省する必要があると思います。
杉田・・今回の選挙でこうすればうまくいくという妙案はありません。長期的に考えるなら、自分自身が政治に何を期待するかをもう少し自分に問うてみることでしょう。政党に裏切られたと思うのはいいですが、そもそも何を想定していたのか。政権交代さえすれば自分の懐具合がよくなると単純に期待していたということなら、そう思っていた方にも問題がある。経済成長が政党政治のあり方ですぐに実現できる時代ではありません。
この国の政治はどうあって欲しいか。全部実現できそうな政党はないかもしれないけれど、比較的それに近いのはどこかということで選ぶしかない。出されたメニューを比べて「どれも気に入らない」と言っていても仕方がない。自分が何を食べたいのかというイメージがなければ選べません。メニューを見てから食べるものを決めるのではなく、自分が何を食べたいかを考えてからメニューを見て、自分が食べたい料理に一番近いのはどれかを選んでくださいと。陳腐な結論ですが・・
詳しくは、原文をお読みください。
政党を育てるか、消費するか
12月5日の朝日新聞オピニオン欄、長谷部恭男東大教授と杉田敦法政大教授との対談、「総選挙、選ぶ」から。
長谷部・・この混迷した政治状況は、選挙をいわば自分のうっぷん晴らしに使ってきた有権者の側にも責任があります。民主党政権が期待通りじゃなかったことはその通り。私もそう思います。しかし、期待通りじゃなくても、支持層として長い目で見てちゃんと支えていこうという人が一定数いなければ、民主的な政治制度はうまく機能しません・・
気に入らないところがあっても我慢して、特定の政党を支え続けるということがあってはじめて、その政党は魅力のある政治指導者をたくさん抱える政党になり得る。「不満はあるでしょうが、どこかコミットできる政党を見つけて支持し続けてください」。私の言いたいことはこれに尽きます・・
杉田・・福沢諭吉の言うとおり、政治とは詰まるところ「悪さ加減」の選択です。限られた選択肢の中からより悪くない方を選ぶしかありません。100%満足のいく政党でなくても。しかし今は有権者が消費者化していて、「既成政党にいい政党がないからうまくいかない」「自分たちを真に代表してくれる政党があるはずだ」と、2大政党がダメなら第三極、それもだめなら4番目、5番目……と、次々に支持を変えていきます。2大政党の間でスイングするのならともかく、既成政党を全部食い潰していくという「焼き畑」的な形になっています・・
長谷部さんのおっしゃるように政党を支えることが大事だという面はありますが、私たちは、テレビを買う時にそのメーカーを支えようと思っては買いませんよね。それと同じで、ごく短期的に自分の生活が良くなったか否かで政党を判断しがちです。それでいいとは思いませんが、政治以外の行動様式は全部消費者的なのに、政治に関してだけ違う振る舞いを求めるのは難しい。そこは、歴史や文化に根ざした形で政党が存在しているヨーロッパとの違いです。
1990年代の政治制度改革では政治システムをいじることに主眼を置きすぎて、有権者の側の問題を置き去りにした面があります。マニフェストを眺めて投票し、結果だけチェックしようという、レストランのお客にも似た消費者的な行動様式が強調され、自分たちの政治家であり政党なのだと説くことはなかった。政治家を選ぶまでが有権者の役割で、あとは「お任せ」でいいという考え方がはびこりましたが、問題です。状況は絶えず動いており、有権者は自分たちが選んだ政治家に対してもさまざまな回路で意見をぶつけていく権利と義務があります・・
この項続く。